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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.10.30] ■■■
[487] 虚貝の歌
海人文化が基底にある本朝の姿を彷彿させるように仕上げた譚がある。

貝とは、中身を食べるモノ以上ではなくなってしまい、州浜感覚無きビーチを愛好するようになってしまった現代人には、その辺りは頭で理解する以上ではないが。
例えば、こんな情景が思い浮かぶようになっているということ。
 ・・・えならぬ州浜の三間ばかりなるを、うつほに作りて、
 いみじき小箱を据ゑて、
 色々の貝をいみじく多く入れて、
 上には白銀、黄金の蛤、虚貝などを、
 ひまなく蒔かせて・・・
 ・・・と喜びさわぐさまの、いとものぐるほしければ、
 いとをかしくて、見ゐたまへりとや。
  [「堤中納言物語」"貝合"]

「今昔物語集」編纂者撰和歌集の12番は、朱雀院女御故藤原慶子の元女房助と藤原実頼の歌。📖和歌集
  [巻二十四#42]朱雀院女御失給後女房読和歌語

系譜はこんな風。📖系図@藤原公任の歌
忠平[880-949年]摂政-関白

├┬┬
実頼[900-970年]関白
│〇師輔[909-960年]
師尹[920-969年]

├┬┬─┬┬
敦敏[918-947年]
頼忠[924-989年]関白
┼┼斉敏[928-973年]
┼┼┼┼述子[933-947年]…村上天皇女御
┼┼┼┼┼慶子[n.a.-951年]…朱雀天皇女御

お話はシンプル。

お仕えしていた女房は常陸守の妻となって、京から離れてしまった。
そのため、お相手もできず心苦しく思っており、女御にお見せしようと拾い集めてきた貝を小箱に入れて上京。
ところが、女御はすでにお亡くなりになっていた。
そこで、読経の布施にして欲しいと実家の太政大臣に奉ったのである。

小箱の中には、朱雀院女御(藤原慶子[n.a.-951年])の元女房 助1首。
 拾ひ置きし 君も渚の 虚貝
  今はいづれの 浦に寄らまし

教科書通りと言ってもよいほど縁語の繋がりで、まさに、女御存命時の女房と交わし合った頃の作という調子。

その歌を読んだ太政大臣(藤原実頼[900-970年])、当然、返歌。
 玉櫛笥 恨(浦)み(身)移(写)せる 虚貝
  君が形見(潟)と 拾ふばかりぞ

大臣、涙とまらず。

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