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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.4] ■■■
[492] 大江匡衡の歌
妻だけ取り上げるのもつまらぬから📖赤染衛門の歌 、夫もということか、あるいは「俊頼髄脳」【四】歌人の範囲"三輪の明神"から引きたくなったのかはわからぬが📖「俊頼髄脳」好み、「今昔物語集」編纂者撰和歌集の22番は大江匡衡[952-1012年]3首。
  [巻二十四#52]大江匡衡和琴読和歌語

○一条天皇代。式部大夫大江匡衡が学生の頃の話。
 風雅の才ありだが、
 背丈があり怒り肩で見苦しいとされ、
 女房達に笑い者にされていた。
 ある日のこと。
 女房達は匡衡に和琴(東琴)を差しだし、
 「何でもご存じでしょうから、
  琴もお上手なことでしょう。
  弾いてお聞かせ頂けませんか。」
 とからかった、
 匡衡はそれには答えず、歌を詠んだ。
 逢坂の 関のあなたも まだ見ねば
  東(吾妻)のことも 知られざりけり
 [後拾遺#937]

 これを聞いても、女房達は返歌を詠むことができず、
 座は静まってしまい、
 ひとり、またひとりと、皆、立ち去って行った。

○出世の願いがかなわず嘆いていた。
 大井川(保津川嵐山)で、
 殿上人の船遊び歌合行事があり、誘われて参加。
 そこで詠んだ歌。
 河船に 乗りて心の ゆくときは
  沈める身とも 思わざりけり
 [後拾遺#973]

 これを聞いた人達は、皆、褒めた。

○藤原実方朝臣が陸奥守で赴任している時、
 歌を詠んで送り届けた。
 都には 誰をか君は 思ひつる
  都の人は 君を恋ふめり
 [後拾遺#1138]

 おそらく、返歌があったと思われるが、
 語り伝えられてはいない。

○大江匡衡は文章道の人。しかし、和歌にも優れていた。

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