→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.9] ■■■ [497] 筑前守侍の妻の歌 ●[巻二十四#50]筑前守源道済侍妻最後読和歌死語 筑前守源道済[n.a.-1019年]は和歌詠み上手。 その守に仕えていた侍が、妻同伴で赴任に同行。 しかし、現地の女を愛するようになってしまい 一緒に暮らすように。 もとの妻は取り残されてしまい、どうにもならない。 「共に暮らして欲しいとは申しませんが 上京する人に連れて行ってもらうよう 頼んでくださいまし。」 しかし、夫は知らん顔。 そのうち、送ってよこす手紙も読まずに捨てるように。 もとの妻は、嘆き悲しんでいたが、病に罹ってしまった。 男に伝えたがなしのつぶて。 ついに重篤になったので なんとか手紙を書きあげて 一人しかいない童に持って行かせた。 男には会えたが、分かったというだけで 返事も書いてくれないので、そのまま帰って来た。 ところが、 男の同僚がうち捨てられていた手紙を、 何気なしに、読んでしまった。 問へ悲し 幾夜もあらじ 露の身を しばしも言の 葉にや掛かると [後拾遺#1006] (素人には読めないが、かつての夫への辞世の句だろう。) 同僚の男は女に同情し、その手紙を守にそれとなしに見せた。 それを読んだ守が男を呼び問いただしたので 男はすべてを話すしかなく、 守は「不人情で人非人の薄情者。」と怒り 女のところに人を派遣したが、すでに亡くなっていた。 守は、 「長年使って来たことが限りなく悔しい。 人とは思えない輩を目にするなど、堪え難し。」と言い、 男からすべてを取り上げ国から放逐してしまった上で 妻の葬儀・法要を行わせた。 男はなんの蓄えもなしに、 上京する人の船に同乗させてもらうしかなかった。 〆はこうなっている。・・・ 守は慈悲有て、物の心をも知て、和歌をも読ける人にて、此く人をも哀びける。 ご想像がつくと思うが、源道済は三十六歌仙である。河原院の古松の歌を詠んだことで、取り上げられている。📖黄昏河原町の歌 大隅国の国司も、老郡司への慈悲があり、状況を察する心を持っており、和歌を読む人と言えそうだが、ご教訓に絡ませていない。📖大隅国郡司の歌 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |