→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.10] ■■■ [498] お盆食物供養できぬ女の歌 ●[巻二十四#49]七月十五日立盆女読和歌語 お盆とは、その名前が象徴するように、精霊へ、盆に乗せた食物供養を行う行事。竺法護[譯]:「盂蘭盆経」に記されている目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母供養が発祥とされてはいるものの。七月十五日に行われる理由は、道教の中元節に合わせたと見られているようだが、安居最終日に行われた施餓鬼と考えるのが自然だ。 ところが、この話では、__盆となっており、この部分が虫食いでないとすると、この削除にどのような意味を込めたのか、はなはだわかりにくい。 盂蘭をつける意味は失われているから、この語句は不要と主張しているのだろうか。ストーリーでは、七月十五日は、亡親への食物供養日とされているからだが。流石に、天竺の非大乗仏教では盂蘭盆会は行われていないことまでご存じだったとは思えないし。 話はショートそのもの。 七月十五日の__盆の日。 極貧の女が、亡親のために食物で供養する余裕が無いので、 着た切り雀の、一つしかない薄色の綾織の衣の表を解き、 瓷のお盆に入れて、 蓮の葉で上を覆った上で、 愛_寺に持参し、 伏礼し、泣いて去って行った。 見ていた人がおり、怪しんで、お供えを見ると、 蓮の葉に歌が書かれてた。 奉る 蓮巣の上の 露ばかり これを哀れに 三世の仏に 人々は、これを見て、皆、哀れなことと言い合った。 女の素性は知られていない。 登場する寺名は、誰が読んでも、愛宕寺となりがちだが、ここも気になる。 現在の、愛宕念仏寺@嵯峨は移転再興したもので、この頃の寺は鳥辺山入口の六道の辻にあったとされている。 しかし、王城鎮護を目的とするなら、その場所は北西の山が似つかわしく、洪水被害に遭遇するような地に建立されていたとの説明には違和感を禁じ得ない。さらに本寺が慶俊創基とすれば、山岳地の可能性が高いから、再建時に創建地の前山から後山に変更されたと見る方が自然で、"本"愛宕寺≠六道の辻の寺かも。 実際、六道の辻の寺については由緒についても諸説あるようで、小野篁📖→が建立したとも言われる六道珍皇寺と"本"愛宕寺が同等扱いされてもおかしくないのである。その地には、錯綜した信仰が存在しているから致し方なかろう。📖→葬式仏教の原点に触れる。[京都] と言うことで、小生の推量だと、六道の辻の寺の名称は、例えば、愛宕寺の別名として使われている愛當護寺となる。「今昔物語集」編纂者は、河原念仏の空也だけ記載していないから、六原辺りには思うことがあるのだろう。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |