→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.18] ■■■
[524] 瀬田の橋
琵琶湖から流れ出る唯一の川が瀬田川。その川に架かる長橋は、京の影響下にある地の東境界に当たるので、当然ながら軍事的要衝の地である。

景行天皇代、藤蔓で留めた船橋の搦橋ありとの伝承があるが、大きな川であり、簡単にそのような架橋が成り立つとは思えない。両岸を繋ぐロープを張り、渡船が流されないような工夫でもされていたのかも知れぬが。
そんなこともあるのか、"唐橋"の由来と称する後付け話と見なされているようだ。

ここは、俵藤太の百足退治で有名なようだが、これも939年の平将門の乱に絡んで生まれたお話の模様。

そのような話が生まれておかしくない地なのだろう。

史書には、武内宿禰が神功天皇命を受け反乱軍を鎮圧した際の地名として登場する。忍熊皇子が瀬田の渡しで投身自害したとのこと。この頃は橋は無く渡船だったと思われる。

初架橋は、天智天皇近江大津宮遷都@667年の頃と見られている。
その橋の両側で、大海人皇子と大友皇子の両軍が壬申の乱672年で最終的に対峙することになった、と史書に記載されている。大海人皇子はすでに琵琶湖東側で勝利を収め、一気に打倒しようとの勢いがあり、全面的勝利した訳だ。
この結果天武王朝が成立し、中央政権による支配が貫徹することになる訳だ。「今昔物語集」編纂者はこの戦いを結節点的と捉えるべきと考えているようで、この辺りのお話は聞き流さず、その実態を推察すべしと主張しているように思える。
  📖大友皇子鎮魂

そう考えると、鬼譚集成に登場する勢田(瀬田)橋はよく注意して読む必要がある訳だ。
何故に、この譚だけ、後半を欠文にして目立たせたのか察してみよということだろう。
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#14]従東国上人値鬼語👹 (後半欠文)
  東国から上京した一行が勢田橋を渡ったが、
  日が暮れてしまった。
  人気の無い場所なので、下馬し、
  無人の廃屋に泊まることに。
  従者は下の方の部屋にやり、
  皮を敷いて独りで横になったが
  旅の最中であり、寝ずにいた。
  夜更けなり、灯火もつけたところ、
  鞍櫃の蓋が"こほろ"という音と共に
  独りでに開いた。
  これは鬼出現と見て、恐ろしくなり
  咄嗟の判断で、乗馬し、逃げ出した。
  すると大きな者が怖ろしい声を上げて
  追って来た。
  振り返って見たが、夜なので、姿はわからず。
  勢田橋に差し掛かったが、
  このままではとても逃げられぬと思い、
  橋下の柱の袂に隠れ、観音を念じた。
  すぐに、追って来た者も橋の上に到着。
  そして、何処へ行ったのだ、と何度も叫んだ。
  男は、上手く隠れたと思ったのだが、
  すると、橋の下からそれに応え
  ココにいるゾ、と応える者がいた。
  闇の中なので、何物かわからず。  (以下欠文)


これ瀬田の橋で両軍対峙し最終決戦に臨んだものの、完璧な敗戦を喰らい、自害を余儀なくされた大友皇子の怨霊が出たということでは。
橋板を外し、敵が川に落ちることを狙った作戦は奏功せず、一気に橋を渡った軍勢に攻め滅ぼされてしまったようなのだ。
天智天皇に後継指名を受けながら、寄って立つ基盤は近江地域に限られていたようで、東国は敵側一色になってしまったようだし、西国も知らん顔となれば結果は見えていたようなもの。

渡河は、異界への境を越えるということで、妖怪の類が出ておかしくないが、この譚はそういう話とは違うと指摘したかったのだろう。

そちらの勢田橋譚はこちらになる。
  [巻二十七#14][巻二十七#21]美濃国紀遠助値女霊遂死語📖鬼だらけ

 (C) 2020 RandDManagement.com    →HOME