閉鎖性論議の問題点…
榊原清則、辻本将晴、両氏が「日本企業の研究開発の効率性はなぜ低下したのか」
(経済分析第172号 2004年3月)との論考を発表した。
(1)
日本企業の研究開発は売上げや利益に結びついているか? という論点で先行研究をレビューしたものである。
「日本企業の技術戦略が1980年代後半以降閉鎖的になった」ことが効率性低下の(1つの)理由としてあげる論文が多い、との内容である。
この手の報告書をそのまま読むと、日本企業の方針が誤っていた、という結論になりやすい。
間違いとはいえないが、低迷の本質的問題を抉り出す気迫を削ぐ効果もあるから、要注意である。
というのは、時代認識がはっきりしないからである。
この論文では、研究開発と設備投資との関係、研究開発と利益との関係、研究開発と企業成長との関係で、研究開発の効率低下を検討した研究結果を整理した。この結果、「研究開発の効率低下を示唆する研究が多い」と見なしているのだ。
効率性低下の実態を数値で捉えるだけでは、大きな変化を見逃してしまう。
技術導入が安価にできた時代の研究開発と、本格的な新技術開発競争が始まった時代を比較すれば、効率低下は当然だ。1980年代後半以降とは、真似と改良で戦えた時代からの訣別期であることを忘れるべきではなかろう。
従って、「1980年代後半以降」の問題を対象とするなら、最初の論点は、どうして、日本企業が脱皮できなかったか、にすべきだと思う。
もともと、研究開発費が大きい日米企業を直接比較すれば、日本企業の非効率性は一目瞭然である。
日本企業の特徴は、収益性が低くても、研究開発費だけは大きいのである。特許の数を誇っていても、企業の収益性の低さは比較すべきもない。
わかっていても、打開策を提起しないのだから、効率が良くなる訳がない。
この論文では、「日本企業の技術戦略が1980年代後半以降閉鎖的になった」ことを問題視しているが、効率向上を図らなかったことが本質的問題ではないかと思う。
そもそも、1980年代後半以降に、より閉鎖的になったという見方には疑問がある。海外から見れば、ライセンスアウトだけの、日本企業との提携に魅力がなくなっただけのことではないだろうか。
日本企業の「グループ」型の閉鎖性は、それ以前からである。1980年代後半から、格別変わったとは思えないのだが。
要するに、日本企業が変わったというより、米国企業の方が変わったのである。戦略性なき、日本企業へのライセンスアウトを止めたのだ。
そして、イノベーティブな、時代を画す技術戦略を展開し始めたのである。
この観点で日米を比較すれば、日本企業は「1980年代後半以降閉鎖的」という見方は100%当っている。
その象徴が、1984年のIBMのパソコン開発体制構築手法である。時代を切り拓いた技術戦略だ。
メインフレームの部隊から隔絶した組織を編成し
(スカンクワーク)、モジュール化を推進して、他社の力を導入したのである。
お蔭で、パソコンは標準化され、低価格化と迅速な先進技術投入が進んだ。
この結果、マイクロソフトが時代の寵児となった訳だし、モジュールや部品の新興企業が続々と誕生した。一気にイノベーションが促進されたのである。
このインパクトは壮絶であり、パソコン普及に伴うクライアント・サーバ型のコンピュータシステムの価格破壊が発生し、IBMの経営は揺らぐことになった。
そして、オープン型の産業が隆盛を誇るようになる。ついには、研究開発とは無縁の企業だったDELL のような企業がパソコン事業で大成功をおさめるまでに至る。
日本企業は、この流れを見てはいた。しかし、全く動かなかったのである。と言うより、未だに、この教訓を学びたくない企業の方が多い。
その点では、榊原/辻本論文の提起は意味があろう。
→(2004年5月6日)
--- 参照 ---
(1) http://www.esri.go.jp/jp/archive/bun/bun180/bun172.html