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技術マネジメント論 [16]  2006年10月3日
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ボトムアップ力を復活できるか…

 前回は、“組織能力”を理解し、その能力を活用できる人材を育成することが緊要との話をした。
   →  技術マネジメント論 [15]  「組織能力と事業観」  (2006年9月26日)

 当たり前の話である。  どのような人材が、自社を牽引すべきか、じっくり考えよというだけのこと。素晴らしい人達がいるなら、必ず飛躍のチャンスは見つかるし、それを確実に収益に結びつけることができる。そんなことは、昔から誰でも知っている。

 “うちの技術は凄い”なら、人材の視点では、どこに凄さが隠れているのか言えるようにする必要がある。難しいことではない。一人の黄金の腕に依存しているのか、それとも、団栗の背比べの人達のチームが成果をあげているのか、よく眺めればよいだけの話。

 日本企業の場合、多くの場合は、チーム活動が知恵を生み出す素となっており、この力を活かせるかどうかで勝負がつくことが多い。これも、なんとなくわかっている筈。
 問題は、どんな人達を、どう集めたチームを、どう運用するかのノウハウが曖昧模糊としている点にある。上手く進めると成果を生み出すし、下手に進めれば駄目なのも経験しているのだが、マネジメントの仕組みにここから得た教訓を活かせる人が余りに少ないのである。

 研究開発のテーマ設定のやり方を見ていると、こうしたマネジメントの稚拙さがよくわかる。

 日本企業に勢いがあった70年代、ボトムが活躍したのを覚えている人は多い。チームの素晴らしさに酔った企業もいる。様々な分野で組織化されたチームが、自律的に“やらねばならない”ことを見つけ、それを組織的課題として位置付けさせ、実現してきたからだ。
 黙っていても重要な課題は、トップマネジメントに上がってくるし、本気で実現したい人達も見えるから、この人達が動き易い環境をつくり、苦しんでいそうなら、高い立場からその障害を取り除けるように支援するだけでも、成果は上がった。

 そんなやり方に慣れすぎると、新しいことに挑戦する場合も、ボトムに任せれば、成果があがると誤解してしまう。
 大きな流れを見て、自律的に“やらねばならない”ことを見つけて、挑戦を始めるから、一見妥当な動きに見えてしまう。
 しかし、“やらねばならない”のは一般論であることが多く、間違いではないが、それで当社は勝てるという見込みがついていなくても始めてしまう。手をつけなければ将来は無いと言われれば、誰も反対できないからである。資本コスト以下のプロジェクトであっても、競争力を失いかねないから、避けることはできないとの論理が優先されてしまう。

 これでどうなるかは、素人でも予測がつく。

 抜本的にメスを入れざるを得まい。当面、利益が期待できそうにないテーマを切るしかないのである。
 資金繰りにさえ窮する状態だから、致し方ないということではない。
 長期的視点なしに、強引な展開は禍根を残すという声をあげたからである。短期的なテーマでさえまともに利益をあげられないテーマが存在しているのに、長期的に利益を出せる能力があるとは思えないのだが、長期テーマを切るべきでないという理屈を展開するのだから、議論などできかねる。
 “やらねばならない”ことをカットすると将来は切り拓けないというのだが、誰が見ても、たとえ“やった”ところで、利益などでないとしか思えないからだ。勝てる根拠が皆無だからである。勝てないが挑戦すべきという主張に乗れる訳がない。
 これだけで、おわかりだろう。
 “やらねばならない”こととは、一般論の“やらねばならない”に従ってテーマを設定するようなやり方を止めることなのだ。自社が勝てるといえそうにないテーマを認める訳にはいかないのである。
 しかし、技術の波から遅れるから、“やらねばならない”はあると主張する人達がいれば、やれることは一つしかない。
 “見込み薄テーマは切れ”である。

 そのお蔭で、本来ならやっていた方がよいテーマも消滅してしまった。

 当社が基礎特許を持っている訳でもなく、競争相手も沢山いて、圧倒的に優れている証拠もあげられないのだから、致し方ない。勝てる理屈をつくれないのだから、見込み薄との判断は正当である。
 “本来ならやっていた方がよい”とは、実は勝てるチャンスがあるテーマなのだが、残念ながら、それが見えないのである。

 しかし、収益性も好調になってくれば、投資の余裕もでてくる。経営者としては飛躍のチャンス到来である。当然ながら、次世代の柱を構築する投資を始めることになる。第一歩は、飛躍できそうなテーマへの梃入れとなろう。
 ところが、これが皆無だったりする。そんなテーマは切ったから無い、というのが現場の答えなのである。
 自社の強みがどこにあるのか、さっぱりわからないマネジメントが行われると、まず間違いなくこんな状態になる。

 しかし、よく考えてみれば、ボトムが本当に“やらねばならない”ことを提起できていたら、こんなことにはならなかったともいえる。
 それでは、ボトムには能力が無いのか。

 そんなことはあるまい。どう見ても、日本企業の強さはそこにあるからだ。
 それなら、何故こんな事態に陥るのか。

 自社の組織能力を活かせるようなチームが作れなくなっているとしか思えないではないか。一時代前のチーム作りが機能していないのである。

 それならどうしたらよいか。
 先ずは、これから自社を牽引していく人材像をできる限りはっきり示すことだ。本気で技術で戦うつもりなら、どんな人材が自社のコアになるか、明確にするとよい。
 このことは、収益上での貢献が大きくても、この人材像に適合しない人には去ってもらうということ。厄介な決断ではあるが、これなくしては、ボトムの力で飛躍することはできまい。


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