古事記の記載が短い理由 古事記は天皇家の歴史書だが、上梓時点からはるか昔の第33代までしか記述していない。 その理由だが、上・中・下の3巻構成にしていることを考えると、自然な展開といえよう。 言うまでもないが、上巻は初代の親までの話である。そこでは、倭を代表する地は大和盆地ではない。 それに対して、中巻は、大和地区のリーダーがスメラミコトであり、天地と言うか、倭全体を治める役割を担うようになったことが記される訳である。(神権でもなければ、「即位」でも無い。) 下巻は、大和地区を治める尊=倭国代表が常識化し、そのなかでの統治がどう進んだかが描かれている。 実に見事な歴史区分。天皇名を眺めるだけでも、そんな流れが見えてくる仕掛け。 → 「古事記の天皇名を眺めて」 (2013.12.15) そうなると、下巻は第32代か、第33代までとなるのは必定。 少なくとも第34代とは、大和朝廷というより、飛鳥朝廷だからである。血筋上は神倭の系譜を保ってはいるものの、飛鳥朝廷の信奉する神は「宮」には存在せず、「寺」に降臨するのである。もちろん、異国からの渡来神。 当然のことながら、第33代の豊御食炊屋比売は名称だけの記載。 仏教が天皇家の宗教となれば、穢れを嫌っての、倭国独特の遷「宮」の必要性も失せることになる。と言うか、「都」が不可欠な時代に突入したのである。 その黎明期が第34代からということ。その後を考えれば、「飛鳥京→藤原京→平城京」となろう。板蓋宮といった、仮的建造物でしかなかった可能性はあるものの、条理を持つ「都」機能がもたらされ、統治形態は一変したと言ってもよかろう。 おそらく、第33代は、初瀬川上流の桜井/磐余地区の海柘榴市を重視していたに違いない。しかし、第34代になると、飛鳥川上流に都市を構築すべく動いた訳だから、そこに時代の境をつけた太安万侶史観は流石。 それを考えると、飛鳥時代は第33代(推古)からではなく、第34代からと考えるべきかも知れぬ。政治構造上も、寺が宮に隣接することで、朝廷における知識階層分化が進んだ訳で、まさに時代を画する動きといえよう。 それは、大陸との関係が動揺していたせいでもあるのは誰もがご承知の通り。にもかかわらず、見かけ大いなる国際派だった聖徳太子の事績にも一切触れようとせず、淡々と第33代への系譜を記すだけで完結させるとは、一体どういうつもりかと訝ることになるが、それこそが太安万侶の歴史観ということ。 ─・─日本書紀ベースでの明日香の宮─・─ (正確性は保証できないのでそのおつもりで。) (第29代)欽明[539-571] 磯城嶋金刺宮・・・桜井/磐余 〔難波祝津行宮〕 〔樟勾行宮〕 〔泊瀬柴籬宮〕 【向原寺@小墾田[552]】・・・明日香非中心地 (第30代)敏達[572-585] 百済大井宮[572-575] ・・・桜井/磐余 訳語田幸玉宮[575-] ・・・桜井/磐余 (第31代)用明[585-587] 磐余池辺双槻宮[585-587] ・・・桜井/磐余 (第32代)崇峻[587-592] 倉梯柴垣宮・・・桜井/磐余 【飛鳥寺@豊浦[587発願]】・・・明日香非中心地 (第33代)推古[592-628] 豊浦宮[593-603] ・・・明日香非中心地 〔耳梨行宮〕 小墾田宮[603-630]・・・明日香非中心地 ─・─古事記は第33代まで─・─ (第34代)舒明[629-641] 前飛鳥岡本宮[630-636]・・・明日香 田中宮[636-640]・・・橿原 〔有間温湯行宮〕 〔伊豫温湯行宮〕 厩坂宮・・・橿原 百済宮[640-642]・・・広陵 <小墾田宮[641-643]>・・・明日香非中心地 【百済大寺[639]】・・・明日香 (第35代)皇極[642-645] <百済宮>・・・広陵 <小墾田宮[641-643]>・・・明日香非中心地 飛鳥板蓋宮[643-645]・・・明日香 (第36代)孝徳[645-654] <飛鳥板蓋宮[643-645]>・・・明日香 前難波長柄豊埼宮[645-655]・・・大阪 〔子代離宮〕 〔蝦蟇行宮〕 〔小郡行宮〕 〔有間温湯行宮〕 〔武庫行宮〕 〔難波碕行宮〕 〔味経行宮〕 〔大郡行宮〕 山碕宮 (第37代)斉明[655-661] <飛鳥板蓋宮[655]>・・・明日香 飛鳥川原宮[655-656]・・・明日香 後飛鳥岡本宮[656-661]・・・明日香 両槻宮(天宮)・・・明日香 吉野宮・・・吉野 〔難波行宮〕 〔石湯行宮〕 〔磐瀬行宮〕 朝倉橘広庭宮[661]・・・福岡 (第38代)天智[661-671] 後難波長柄豊埼宮[661-667]・・・大阪 〔飛鳥河辺行宮〕 長津宮 <後飛鳥岡本宮[656-661]>・・・明日香 近江大津宮[667-672]・・・大津 【川原寺[670頃]】・・・明日香 (第39代)弘文[671-672] <近江大津宮[667-672]>・・・大津 (第40代)天武[673-686] 〔不破/野上行宮〕 〔嶋行宮〕 〔後飛鳥岡本行宮〕 <吉野宮>・・・吉野 飛鳥浄御原宮[672-694]・・・明日香 【薬師寺[680]】・・・橿原 (第41代)持統[686-697] <飛鳥浄御原宮[672-694]>・・・明日香 〔吉野行宮〕 〔阿胡行宮〕 藤原宮[694-710]・・・橿原 (第42代)文武[697-707] <藤原宮[694-710]>・・・橿原 (第43代)元明[707-715] <藤原宮[694-710]>・・・橿原 〔吉野行宮〕 平城京・・・佐紀 〔甕原離宮〕 (参考にしたソース) 陸墓探訪記-宮都 http://ryobo.fromnara.com/palace.html 古事記を読んで−INDEX >>> HOME>>> (C) 2014 RandDManagement.com |