■■■ 太安万侶史観を探る 2014.2.6 ■■■

「黄泉の国」期から世の中一変

小生は、「神生み」とは日本の歴史を記述したものと考える。[→2014.2.3]

古事記とはあくまでも、天皇家の歴史書として、太安万侶が編纂したもの。序文でわかるように、朝廷には道教的世界観が満ちていそうだし、天皇親政的雰囲気も濃厚のようだ。しかも、この頃は仏教思想が怒涛のように流入していたのである。にもかかわらず、古事記にはそんな影響力を直接受けているとみなせる箇所はいたって少ない。しかし、神道的見方で対抗しようと考えている節はない。
従って、神の記述が多いからといって、古代の神道を解説していると見るのは無理筋。神を描くのは、あくまでも日本の歴史を示すため。
ただ、そう考えて読むのはことのほか難し。心理的なバリアがあるからだと思う。訓詁学的な専門家が積み上げてきた成果も役に立たないことが多いし。なにせ、何を意味するのか皆目不明な神名がある位だ。このことは、「正しい」とされていても、その見方が妥当とは限らない訳だ。この点には注意せねばなるまい。

史書と見なして読もうというなら、細かいことを気にせずに、自分でイメージを膨らませるに限る。
例えば、わからない神が記載されていたら、一群になっている他の神々と合わせ、使われている漢字のイメージからその役割を推定するしかあるまい。言うまでもないが、言語学的な発想ではなく、太安万侶が描こうとしている歴史の流れを思い描いて。

そういうことで、【第4期】「神生み」は日本列島全般が文化的に次第に高みに進んだことを描いているとみなした訳である。普通は、イザナミノミコトが最後に残した「和久産巣毘ノ~」で段落を切らずに、イザナギノミコトが黄泉の国へ行く直前までを「神生み」と考えがちだが、歴史的な区切りからいえば"火力"がもたらしたイノベーションを考えれば、イザナミノミコトが逝った以後は、新たに【第5期】を設定した方がわかり易かろう。

ということで、イザナミノミコトとイザナギノミコトによる国生みと神生み行為を総括しておこう。小生が行う訳ではなく、テキスト上の話。・・・注記では、14島と35柱。前者は8島(大八島)+6島(他)を指す。後者は、それぞれの注記では、10柱(オホコトヲシヲ〜アキツヒメ)+8柱(アワナギ〜クニノクヒザモチ)+4柱(シナツヒコ〜ヌヅチ)+8柱(アメノサヅチ〜オホトマドヒメ)+8柱(アメノトリフネ〜トヨウケビメ)だが、これだと合計が一致しない。このことは、最後は8柱ではないということになろう。イザナミノミコトが病臥る以前の「生みませる」神はヒノカグツチまでの3柱。これに嘔吐物由来だから「成りませる」の筈なのに、「生みませる」と記載している、カナヤマビコ/ヒメを加えると、数字は合う。
・・・つまらない話に聞こえるかも知れぬが、この手の論理にはトコトン拘った方がよい。誰が読んでもすぐにわかる数字なのに、わざわざ神の数をこまめに注記として載せるのだから。

さて、ここから先は、イザナギノミコトによる、逝ったイザナミノミコトとの交流話に入る。

唐突にも、最初に、イザナギノミコトの精神的主柱が提示される。遺体の足元に全身を伏せ、慟哭した際の涙から「泣澤女ノ~」が「成りませり」なのだが、その場所が「香山の畝尾の木」とされる。大和の「天の香具山」は国生みと神生みの労苦を象徴する場所だったということなのだろうか。いわば、日本列島の文化発祥のモニュメントか。
一方、イザナミノミコトが葬られた場所は「出雲ノ國と伯伎ノ國との堺比婆之山」である。こちらは、それまでのよき時代を象徴するような地域だろうか。
いずれにしても、「島生み」で登場する、日本文化圏への海外からの窓口と思われる、以下の島々を示唆する土地ではない。
  大陸北部→佐渡島
  朝鮮半島東部→隠岐
  朝鮮半島南端→対馬と壱岐
  大陸南部→五島列島
  先頭からの島嶼列島→九州南端
瀬戸内海から日本海にかけた島々が中心の時代が終わったことを示すものと言ってよいのでは。先進文化提供地でもあった高天原の重要性は低下したことを示す。
「金山毘古ノ~/金山比賣ノ~」は、渡来でもなく、半自動的にモノから「成りませり」でもなく、イザナギノミコトとイザナミノミコトによる「生みませる」結果と強調しているのも当然だろう。
おそらく、金属類の製品輸入の要がなくなり、日本列島内で鉱石採掘・製錬・製品製造まで可能になったことを意味しよう。しかも、その質は誇れるものだった可能性が高い。これを切欠にして、日本列島は新時代に突入したのである。

それがはっきりするのは、聖なる武器の出所。日本列島の歴史は「天の沼矛」を賜ったとから始まるのだが、ついにこの時点で、凄まじい武力を自ら創出することができるようになったということ。その象徴として登場するのが、イザナギノミコトが腰に佩びていた「十拳劒(拳の10倍の長さの剣)。その武器で、御子たるヒノカグツチの首を切る。その結果、8柱の神が「成りませる」。注記では「御刀に因りて「生りませる」~」であり、イザナギノミコトの成果であり、その神々は血族的関係が生じることになる。さらに死体からも、山に係る8柱の神が「成りませる」。こちらは、山の神々だが、以前に登場した山の神とは違い、金属に関する拠点を指しているのだと思われる。
当然ながら、この刀も特別視され「天之尾羽張/伊都之尾羽張」と命名される。高天原にまでその威力が届く刀とみなされたことになる。そして、ヒノカグツチの血から「成りませる」神だが、「生りませる」とされた「建御雷之男ノ~」も、この刀の子としても位置付けられる。後に、高天原から派遣されて葦原中国を平定する「刀」をトーテムとする武力神は日本列島への渡来神ではないという訳だ。

ここで、古事記は、唐突にも、どのように成り立っているのかの説明なきまま、「黄泉國」の話に移行する。そこは、イザナミノミコトが葬られた地で、位置づけ不明な黄泉~という神の世界という以上のことはなにもわからない。情景が殯を暗示してはいるとはいえ、坂で繋がっていて、自由に行ける地のように描かれており、よくわからない国である。(倭語の「ヨミ」を、中国語の「黄泉」に当てはめただけだが、概念が一致しているとは限るまい。)
ただ、穢れ感や、邪鬼の存在とそれをはらいのける行為が描かれているから、宗教儀式の様式やその底に流れる思想が日本列島に定着したことを物語っていそう。支配的地位に就くには、こうした儀式を遂行する 能力が不可欠で、呪術も駆使できなければならない社会に変わったということでもあろう。

ここで注目すべきは、桃の呪力で軍勢から逃げることができて発する、感謝の言葉。・・・「汝吾を助けしがごと、葦原ノ中ッ國に有らゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて、苦まむ時に助けてよ」と言うのだが、中ッ国との表現は初出。
高天原と黄泉国の中間地という見方も有りえなくもないが、葦の如き霊力を発揮する中心地と考えるのが自然だろう。その勢いは高天原を凌駕したということ。
ヒトを青草と見なす発想も今までの記述からは想定不可能だが、ひたすら生命力を感じいることが信仰だったと指摘しているのだろうか。

ともあれ、これはイザナギノミコトと黄泉国の1500名の軍団との戦いでもあり、洗練されぬ勢力を閉じ込めることに成功したということになる。・・・一日に1000人を殺すことをよしとする、激しい戦乱を自己目的としかねない、過去の体質を抱えた勢力との決別が示されていると読んだらどうか。
時代は大きく変わったのである。
そう言えばもうおわかりになると思う。ついに、武力統治と呪術を中心とする祭祀政治が当たり前の世の中になったのである。日本列島のそこかしこに、明示的な統治機構を持つ王国が生まれたことを意味しよう。

(使用テキスト)
旧版岩波文庫 校注:幸田成友 1951---底本は「古訓古事記」(本居宣長)
新編日本古典文学全集 小学館 校注:山口佳紀/神野志隆光 1997

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