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■■■ 太安万侶史観を探る 2014.7.26 ■■■


古事記「神話」の意味

古事記上ッ巻は「神話」とされているが、あくまでも、天皇一族の系譜=歴史書。
一般的な伝承神話や宗教経典で扱うようなお話をオムニバス的に集めた本ではない。内容はかなりコンパクトだから、天皇家の歴史と無縁な話はすべて切り捨てていると見てよいだろう。だからこそ、日本の古代史が見えてくるとも言えるのでは。
しかも、この本は、絶滅必至の、古代から口誦伝承されてきた話を、太安万侶個人の見解で編纂し文書化したモノ。用語の統一のような情報加工を避け、註はつけるが、できるだけ生の言葉のまま記載しているのが特徴。
   「太安万侶の凄さ」 [2014.7.24]

とは言うものの、現代から見れば、上ッ巻とは「神話」満載書以外のなにものでもない。
従って、この「神話」を他地域と比較したくなるのは自然な流れと言えよう。その結果を踏まえ、どのような文化が流入しているかとか、全く異なる発想だと見なせるという提起がなされることになる。
手法的には、面白そうに見えるが、注意が必要である。
そのような比較をする前に、「神話」をどう位置付けているかを見極める必要があり、これを怠ると読み間違いかねないと思う。
間違えてはこまるが、これは古事記のことを指しているのはもちろんだが、対照する先にもあてはまる。

そんなことが気になるのは、一寸調べればすぐにわかるが、隣国における「神話」の扱いは、古事記における神話の位置付けとは似ても似つかぬ状態だからだ。

先ずは中国。

「史記」に神話の巻などあろう筈もなく、同時代に漢民族の神話をまとめた書物は見当たらない。
つまり、古事記のような体系的に記載されている神話の本は無いのである。もしも、存在していたとしたら、すべて焚書ということ。この状況から見て、ストーリーを覚えている人も残っていそうにない。
従って、本当は、中国神話と比較するのは無理。
にもかかわらず、中国神話の解説書は山のようにある。何故かといえば、それは、"奇書"扱いされている地誌の「山海経」(戦国〜漢)や、王がまとめさせた思想書の「淮南子」(紀元前2世紀)から、これぞと思うものを抜き出してまとめているから。プロが作るのだから、見かけは、それなりのものに仕上がるが、小生はそんな「神話」と比較してもたいした意味はないと見る。
ご想像がつこうかと思うが、"奇書"とされるのは、トンデモ話だらけの「地誌」であり、常識的には開明から程遠い未開の人達が考える世界とはこんなものと言わんばかりの表現に仕上がっているということ。

ここがポイント。中国は神話の世界をそのようなものとして切り捨てたのである。
唯一残したのは、「史記」における神話めいた記載。王朝の始祖にまつわる一寸した逸話がソレ。極めて断片的なものにすぎない。

このことは、各部族の伝承神話を捨てさせ、帝王の歴史を受け入れさせたことを意味しよう。それでも、どうしても神話を残したいとなれば、宗教経典内の逸話に統合したのではあるまいか。
要するに、中国は「漢民族の文化革命」を行ったのである。その結果、中華帝国には神話体系が消滅したった訳である。その残り香は、奇談、宗教経典の逸話、歴史書や思想書での断片的な内容の挿入文、等々で感じることはできるとはいえ、神話としての命は絶えていると見てよかろう。

逆に、中華帝国に追われ続けたが、どうやら生き残った、文字を持たぬ少数民族には神話が残っているということ。

(中国の神話について)
中華帝国には、体系的神話は無いが、天地開闢の時代の神は広く知られている。
一番有名な創造神は、女神の「女」だと思われるが、ヒト頭・蛇身であり、性別を超越しているように映る。一応、男神「伏」と対にしたという感じがする。
民衆信仰では、なんといっても「西王母」。百獣の王という印象を与えるが、おそらく山岳神だから、道教に取り込まれたのだろう。対にする必要があるようだが、「東王公」の存在感は薄い。
尚、よく引用される「盤古」は、文献学から、「女+伏」以後の創作とされている。五岳信仰に付随して必要となったと見てよさそう。
神話としては、山神だけでなく、河や湖の水神が広く存在していた筈だが、創造神とどう繋がるか、太陽神や北斗星神はどう関係するのか等、まったくわからない。

尚、朝鮮半島の神話との比較話も見かけるが、余りに無神経すぎ。最古(1145年)の文書が、日本では鳥羽上皇の時代、中国なら南宋である。
朝鮮半島は戦乱の地だった上に、文化革命的な断絶を好む体質の王朝だらけだから、こんな新しい時代の書に古代神話が収録されていると考えるのは余りに無理があろう。再編仏教話のような、非朝鮮半島由来の話の脚色化したものだらけと見るのが自然。
言うまでもないが、現代の各地の聞き取り調査に至っては、ほとんど無駄骨。儒教ベースの小中華思想が蔓延したのだから、神話は消された筈で、なんらかの目的で「作られた」神話を拾っているにすぎまい。
「檀君神話」が引用されているのを見かけるが、どう見ても、対蒙古対策用の作り物。渤海・女真系の神話を援用したに違いあるまい。
朝鮮半島の神話との比較議論は、目を曇らす効果しかなかろう。

上記がご納得いただけるなら、古事記「神話」の意味は自明。

太安万侶はそれを見事に示してくれた訳である。・・・

未開な部族信仰と見なして、口誦伝承神話を切り捨てるような「中華思想」はもっての他。
いかに原始的なものであろうと、いや、それだからこそ、現在との連続性を確認する必要があるのだ。
「神話」とは口誦伝承の歴史であり、それと文書化された歴史は一貫していなければ。
それこそが倭の文化なのである。
そして、それを連綿と守ってきたのが、天皇家系譜の口誦伝承であり、古事記はそれを文字化しただけ。


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