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■■■ 古代の都 [2018.10.4] ■■■
[3] 片塩浮穴宮

3代 師木津日子玉手見命安寧天皇の宮は片塩浮穴宮。
御陵は橿原の畝火山之美富登。49歳崩御である。

名前がすべてを語る。
大和 磯城の地(桜井)で土着の師木の兄弟勢力に直面した時、神倭伊波礼比古命が歌を詠んでいる。[→]師木(=磯城)の弟は皇軍に加勢したことで、兵力を消耗せずに済んだのでその功績を称えたともいえよう。天皇とその御子に、その勢力名が入っている訳だ。その祖は2代の皇后とされているが、兄も、祖扱いではないが県主とされているから両者一心同体的統治が行われていたのだろう。このことは、九州的風習は土着勢力によって一掃されたことを意味していそう。
内陸河川に津があるとも思えないから、比喩的に、征服のための船出の政権を作り上げた天皇ということだろうか。

天皇┬阿久斗比売(2代神沼河耳命の妃河俣毘売の兄である県主 波延の娘)
┼┼├─常根津日子伊呂泥命
┼┼├─大倭日子友命⇒皇位継承[4]
┼┼└─師木津日子命┬n.a.
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├─(稲寸の祖:伊賀国須知, 名張, 三野)
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─和知都美命@淡路 御井宮

宮の地は「片塩」「浮孔」の地名が存在する大和高田とされているようだが、いずれも近代以降の呼称とも。遺跡が見つかったため、取り急ぎ比定地としたのかも。
↓高田川
┼┼┼┼┼↓葛城川
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──○─────←近鉄 やまとたかだ駅
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───○┬───←JR たかだ駅
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┼┼←石園座多久虫玉神社=片塩浮穴宮◆3
───○────○─←近鉄 たかだし駅 うきあな駅
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【鉄道駅名】[→]

寿命が常識的なところを見ると、特段のリーダーシップを発揮したのではなく、磯城勢力の組織的な動きにのっかった治世だった可能性が高い。伊賀国須知, 名張, 三野へと影響範囲を広げており、政治的には成功を収めているからだ。
そんな風に考えると、宮は葛城地区に設営されておかしくないが、御陵が橿原地区だから、その近辺と想定するのが自然であろう。

尚、畝傍山にある御陵は、地名が残っていないから、墓守役が設定されていなかったと見てよかろう。江戸幕府の指示で検定が行われだが、曖昧な比定地決定しかできなかったようだ。換言すれば、小規模古墳らしき場所しかなかったのであろう。そのなかでは、稜線の丘であるアネイ山=[3]畝傍山之美富登陵だけが、比較的古墳らしさを醸し出している。と言っても、大王レベルではない。御陵を信仰対象とする人々も早々と消滅してしまった訳だから、部族長レベルの勢力だったと考えるべきだろう。

↓曽我川
┼┼┼↓近鉄
┼┼┼↓R169
┼┼←衝田岡陵◇2
┼┼←畝火山北方白檮尾上陵◇1
←畝傍山 うねびごりょうまえ駅
┼┼←畝火山之真名子谷上陵◇4
┼┼←橿原神宮≒畝火之白檮原宮◆1
←畝傍山之美富登陵◇3
┼┼←深田池
──○──○←にしぐち駅 かしわらじんぐうまえ駅
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┼┼┼┼┼┼┼←剣池 剣池之中岡上◇8
┼┼┼┼┼←軽島明宮◆15
┼┼┼┼┼←法綸寺(軽寺)
├──┐←(大軽)丸山古墳◇29=軽之境岡宮◆4
┼┼←牟佐坐神社=軽之堺原宮◆8
┼┼┼←おかでら駅
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┼┼┼↑檜前川
【鉄道駅名】[→]

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