[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 古代の都 [2018.10.12] ■■■ [11] 磯城之玉垣宮 11代 伊久米伊理毘古伊佐知命垂仁天皇の宮は磯城之玉垣宮。 御陵は菅原之御立野中。153歳崩御。 記載されている系譜を示しておこう。 天皇┬佐波遅比売命(沙本毘古命の妹)↓* ┼┼└─品牟都和気命…本牟智和気御子 ┼┼[9]若倭根子日子大毘毘命 ┼┼〃┬意祁都比売命 ┼┼┼└─日子坐王┬沙本之大闇見戸売 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼├─[兄]沙本毘古王 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─[妹]沙本毘売命/佐波遅比売↑* 天皇┬氷羽州比売命(旦波比古多多須美知宇斯王の娘) ┼┼├─印色之入日子命 ┼┼│…茅渟池、狭山池、日下の高津池の造成。在 鳥取の河上の宮。 ┼┼│ 作横刀壱仟口を作成(石上神宮に奉納→宮坐→河上部制定) ┼┼├─大帯日子淤斯呂和気命⇒皇位継承[12] ┼┼│ ↑[身長一丈二寸 脛長四尺一寸] ┼┼├─大中津日子命(祖:山辺別, 三枝別, 稲木別, 阿太別, ┼┼│ 尾張国三野別, 吉備石无別, 許呂母別, 高巣鹿別, 飛鳥君, 牟礼別) ┼┼├─倭比売命(伊勢大神宮 拝祭) ┼┼└─若木入日子命 先代[10]と違い"入日子"名は少ない。(印色之入日子命, 若木入日子命) 天皇┬沼羽田之入毘売命(氷羽州比売命の妹) ┼┼├─沼帯別命 ┼┼└─伊賀帯日子命 天皇┬阿邪美能伊理毘売命(沼羽田之入日売命の妹) ┼┼├─伊許婆夜和気命(祖:沙本穴太部之別) ┼┼└─阿邪美都比売命┬稲瀬毘古王 天皇┬迦具夜比売命(大筒木垂根王) ┼┼└─袁邪弁王 天皇┬苅羽田刀弁(山代大国之淵の娘) ┼┼├─落別王(祖:小槻山君, 三河の衣君) ┼┼├─五十日帯日子王(祖:春日山君, 高志池君, 春日部君) ┼┼└─伊登志別王(伊登志部制定:子の代) 天皇┬弟苅羽田刀弁(大国之淵の娘) ┼┼├─石衝別王(祖:羽咋君, 三尾君) ┼┼└─石衝毘売命/布多遅能伊理毘売命┬倭建命 事績は面白い。 言葉を話さない皇子 品本牟智和気王を出雲に派遣することになった際、"甘樫丘の岬に在る葉広のくま白樫"の誓をする話があるが、それに対応するのが畝傍 四分門之脇にある鷺栖神社。[→"伊久米伊理毘古伊佐知命-本牟智和気御子-鵠"譚] 御子のために国中を探索して廻ることが可能な統治がなされていた話でもある。木国(紀伊)⇒針間国(播磨)⇒稲羽国(因幡)⇒旦波国(丹波)⇒多遅麻国(但馬)⇒淡海国(近江)⇒三野国(美濃)⇒尾張国⇒科野国(信濃)⇒高志国(越)⇒和那美の水門 宮だが、先代[10] が師木水垣宮であり、磯城之玉垣宮も類似コンセプトだろう。 三輪山〜巻向山〜柳本の山麓西側の山の辺の道沿いの古墳群に本拠を置く、祭祀統一本格政権が確立したのであろう。 ┼┼↓桜井線 ┼┼│┼↓R ┼┼○┼│┼┼> ←やなぎもと駅 ┼┼│┼│┼⊥> ←行燈山古墳=山邊道勾之岡上◇10 ┼┼│┼│┼┼> ┼┼│┼│┼┼> ┼┼│┼│┼┼> ┼┼│┼│┼┼> ┼┼│┼│┼⊥> ←渋谷向山古墳=山邊之道上◇12 ┼┼│┼│┼┼>┼┼▲ ←巻向山 ┼┼○┼│┼∴> ←まきむく駅 磯城之玉垣宮◆11☚ ┼┼└┐│┼⛩> ←穴師坐兵主神社 ┼┌──┘┼∴> ←纒向之日代宮◆12 ┼│■│┼┼┼> ┼│⊥│ ←箸墓古墳 ┌────── ←巻向川 ││┼│┼┼∨∨∨ ││┼│┼> ││┼│┼> ││┼│┼⛩ ←狭井神社 ┤│┼│⛩>┼▲ ←大神神社 三輪山 ││┼○┼> ←みわ駅 ││┼│⛩> ←御県神社=師木水垣宮◆10 ││┼│┼> ││┼│┼┼ΛΛΛΛΛ └─────────────── ←初瀬川 ┼│┼│ 御陵は何故か、奈良盆地の北方西部とされる。この辺りではほぼ独立した古墳。一番近いのが平城京北側の佐紀古墳群。菅原之御立野中陵と菅原伏見岡[20]は近い位置にありそうだが、それに見合う大型前方後円墳は無いし、そもそも田圃の地で岡など無い。柳本辺りの野原に該当古墳がありそうに思うが、菅原を示唆する伝承は全く見つからないらしい。 ┼┼│┼↓秋篠川 ┼┼│┼│ ──○大和西大寺駅─○新大宮駅─○近鉄奈良駅 ┼┼│┼│ ┼┼│┼│ ┼┼○┼│ ←尼ケ辻駅 ┼⊥│┼│ ←宝来山古墳=菅原之御立野中陵◇11☚ ┼┼│┼│ ┼┼│卍│ ←唐招提寺 ┼┼○┼│ ←西ノ京駅 ┼┼│┼│ ┼┼│┼│ ┼┼○┼│ ←九条駅 ┼┼│┼└────┤ ┼┼│┼┼┼┼┼┼↑佐保川 【鉄道駅名】[→] ─・─ [付録] "しきしま" ─・─ 10代と11代の宮の、師木水垣宮, 磯城之玉垣宮の"しき"磯城/師木/志貴/敷は地名で、現在の桜井 金屋辺りとされている。 万葉集で枕詞として使われているので有名だ。(と言うより、他では使われない。)側近による天皇讃歌である。 天平元年己巳(729年)冬十二月によめる歌一首、また短歌[巻九#1787] うつせみの 世の人なれば 大王の 命畏み 敷島の 大和の国の 石上 布留の里に・・・ 相聞 此中長歌二十九首[巻十三#3248] 磯城島の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども 藤波の 思ひまつはり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜を 反し歌[#3249] 磯城島の 大和の国に 人二人 ありとし思はば 何か嘆かむ [#3250] 蜻蛉島 大和の国は 神柄と 言挙げせぬ国・・・ 柿本朝臣人麿が歌集の歌に曰く、[#3251] 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国・・・ 反し歌[#3254] 磯城島の 大和の国は 言霊の佐くる国ぞ 真福くありこそ 族を喩す歌一首、また短歌[巻二十#4465] 久かたの 天の門と開き 高千穂の 岳に天降りし・・・ 蜻蛉島 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇の・・・ 大伴の 氏と名に負へる 健男の伴 反し歌[巻二十# 4466] 磯城島の 大和の国に 明らけき 名に負ふ伴の男 心つとめよ 二十七日、林王の宅にて、但馬按察使橘奈良麻呂の朝臣を餞せる宴歌三首[巻十九#4280] 立ち別れ 君がいまさば 磯城島の 人は我じく 斎ひて待たむ 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |