[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 古代の都 [2018.10.14] ■■■ [13] 志賀高穴穂宮 13代 若帶日子天皇成務天皇の宮は近淡海之志賀高穴穗宮。 御陵は沙紀之多他那美。 355年[乙卯]に95歳で崩御。 系譜記載はあるものの、極めて情報量が乏しく、存在感にえらく乏しい。 天皇┬弟財郎女(穂積臣らの祖 建忍山垂根の娘) ┼┼└─和訶奴気王 そもそも、12代 大帯日子淤斯呂和気天皇から皇位を継承したにもかかわらず、名称が若帶日子天皇。"大"を"若"にしており、一応は引き継ぎ的尊称がついてはいるが、13代として特定できる名称を欠いている。このことは、実在性についてははっきりしないが、おそらく穂積臣をバックボーンにした継承者が存在したに違いないと推定したのだと思われる。 宮の比定地は高穴穂神社とされているらしいが、おそらく"穴"の地名で選ばれただけ。穴太駅の山側には古墳群があるものの高穴穂神付近から古代遺跡を示す出土品は皆無。 地勢的には、当時は風光明美だったのは間違いないが、特段の宮地選定理由が考え付かないが、穂積臣の活動状況から見て近淡海の東南側に拠点があった筈ということなのだろう。 ともあれ、全国制覇も仕上げたので政治的発展余地も薄れ、三輪・巻向地区も前方後円墳だらけ飽和状態に近く、さらなる巨大化も困難だから、新天地志向の勢力が生まれたのだろう。 ↓比叡山 ┼<↓石山坂本線 ┼<│┼↓湖西線 ┼<│┼│↓琵琶湖 ┼<│┼│■ ┼<│┼│■ ┼<│⛩│■ ←高穴穂神社=志賀高穴穂宮◆13☚ ┼<○┼│■←あのう駅 ┼<│┼│■ ┼<│┼○■←からさき駅 ▲<│┼│■ ┼<○┼│■←しがさと駅 ┼<│┼│■ 【鉄道路線】 ┼↓石山坂本線 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼│湖西線┼┼ ↓琵琶湖 ┼◎坂本比叡山口駅┼○比叡山┼■ ┼│┼┼┼┼┼┼┼┼│┼坂本駅■ ┼○松之馬場駅┼┼┼│┼┼┼┼■ ┼○穴太駅┼┼┼┼┼│┼┼┼┼■ ┼│┼┼┼┼┼┼┼┼○唐崎駅┼■ ┼○滋賀里駅┼┼┼┼│┼┼┼┼■ ∴○南滋賀駅┼┼┼┼│┼┼┼┼■ ←廃寺跡=大津宮◆38 ⛩○近江神宮前駅┼┼│┼┼┼┼■ ┼●京阪大津京駅┼┼●大津京駅■■■ ┼└────────│─○三井寺駅─○びわ湖浜大津駅─ ┼┼┼┼┼┼┼┼┌─┘ ┼◎京都駅───○山科駅 御陵は宮から遠く離れ、平城京北の奈良山/平城山を背景とした佐紀古墳群(推定4世紀〜5世紀前半)の地。比定地は佐紀石塚山古墳とされている。(奈良盆地北部と京都府木津町との境界を東西に走る標高100m前後の低丘陵) 平城京に住む人々にとっては墳墓域以外のなにものでもなかった筈だが、そこを流れる佐紀沢(水上池)は近しい存在だったようだ。 ▼中臣女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌五首[「万葉集」巻四#675] をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ 嘗ても知らぬ 恋もするかも ┼┼↓秋篠川 ┼┼│┼┼│┼┼┼┼┼┼┼│○ ←JR平城山駅 ┼┼│⊥┌┘┼┼┼┼┼┼┼││ ←[北西側] ┼○──┘┼┼┼⊥┼┼┼┼││ ←[北側] ┼│├─┼┼┼┼┼┼⊥┼┼││ ←[東側]a ┼││┼⊥⊥⊥┼┼┼■┼┼││ ←[西側]a☚,b,c ┼││┼⊥┼┼┼┼┼■⊥⊥││ ←[西側]d [東側]b,c ┼││┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼│└ ←[南側]a ┼○─┐┼┼┼┼┼⊥┼┼┼│┼ ←[南側]b ┼││└┐┼┼┼平城京跡┼↑R24 ┼↑平城駅 大和西大寺駅 ----北西側 --- 五社神古墳 =狹城楯列陵[14]皇后 --- 北側 --- 塩塚古墳 --- 西側 --- a 佐紀石塚山古墳 =沙紀之多他那美陵◇13☚ b 佐紀陵山古墳 =沙紀之寺間陵[11]天皇妃日葉酢媛命 c 佐紀瓢箪山古墳 d 佐紀高塚古墳 --- 東側 --- a ヒシアゲ古墳 =[16]皇后磐之媛陵 b 小那辺古墳 c 宇和奈辺古墳 --- 南側 --- a 市庭古墳◇51 b 神明野古墳 --- 遠東方 --- 奈保山南陵◇45 --- 遠南方孤立(大和西大寺駅南の尼ケ辻駅) --- 宝来山古墳 =菅原之御立野中陵◇11 [→] 【鉄道駅名】[→] 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |