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■■■ 古代の都 [2018.10.17] ■■■
[16] 難波之高津宮

16代 大雀命仁徳天皇の宮は難波之高津宮。
御陵は毛受耳原。427年[丁卯]に83歳で崩御。

系譜はこうなっている。

天皇┬石之日売命(葛城之曽都毘古の娘)…皇后
┼┼├─大江之伊邪本和気命⇒皇位継承[17]
┼┼├─墨江之中津王
┼┼├─蝮之水歯別命⇒皇位継承[18]
┼┼└─男浅津間若子宿祢命⇒皇位継承[19]
天皇┬髪長比売(日向之諸県の君 牛諸の娘)
┼┼├─波多毘能大郎子/大日下王
┼┼└─波多毘能若郎女/長日比売命/若日下部命
天皇┬八田若郎女(庶妹)
┼┼《無》
天皇┬宇遅能若郎女(庶妹)
┼┼《無》

間違いなく実在し、現代にまで存在感を与える天皇である。その理由は、色々と考えられるがなんと言っても堺市にある《百舌鳥古墳群》の御陵が余りに巨大な点。前方後円墳とはどのようなものか、航空写真で一目瞭然。しかも、一度耳にしただけで覚えてしまう漢語名称なので、スターとなり易い。
しかしながら、不思議なのは、とてつもない大土木工事を挙行したにもかかわらず、「古事記」の事績を読む限り、絶対王政的な雰囲気を感じさせることが無い。どちらかというと、話のハイライトは、奈良盆地出自の皇后の嫉妬深さに抗して、素敵な女性についつい惹かれてどこまでも追っていく天皇の恋。人間臭さを感じさせるので親近感を覚えるのかも。と言うか、女系社会の歌垣時代を彷彿させるストーリーということ。
→「鳥崇拝時代のノスタルジー[1]−大雀命−」([2018.7.11)

ただ、冷静に読めば、国内政治より外交に華を感じていたことを示唆している訳で、瀬戸内海域の政治的安定を婚姻で実現することに熱心だったことが書かれていることがわかる。だからこその、宮と御陵の脱奈良盆地・入大阪湾岸である。

この、"摂津〜河内〜和泉"地域は極めて広域。しかし、海側から見れば、限定的な場所であり、淡路島と対面している大阪湾岸一帯に過ぎない。淀川と大和川の大量の堆積土砂があり、それが湾岸流で移動したりもするので、常に様相が変わる点も大きな特徴と言えよう。従って、港湾施設維持は並大抵のことではない。
しかし、そこに注力すれば水運量は桁違いに増加するから、経済的発展もただならないものになろう。

"摂津〜河内〜和泉"と名付けられている点から見て、その辺りの政策は優れて思索的なものだった可能性がある。・・・
"摂津"とは津(港)を摂する地、"河内"は大きな河川の内側の地、"和泉"は地下水が滾々と湧き出る地。各々の特徴はかなり違う。尚、初代天皇の敗戦譚で登場する「血沼の海」は"和泉"灘を指すことになろう。

古代からの港としては、当然ながら、住吉大社辺りであるが、大型船入港と小型船積み替えに向く港がより北側に開かれたのであろう。

難波から、紀ノ川河口までの鉄道駅名で位置を見ると以下の通り。

┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←大川
┌──────────┴────
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┌┐ ←大阪城
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└┘
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←難波宮
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼∴  ←難波之高津宮◆16
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼◎大阪上本町駅@近鉄──
┼┼◎難波駅┼┼┼┼┼┼
┼┼○今宮戎駅┼┼┼┼ ←四天王寺
┼┼○新今宮
┼┼┼┼┼┼┼┼┼◎──┐JR阪和線
┼┼○萩ノ 茶屋駅天王寺駅│
┼┼○天下茶屋駅┼┼┼┼┼○美章園駅
┌○┤岸里玉出駅┼┼┼┼┼
○帝塚山駅┼┼┼┼┼┌○南田辺駅
│粉浜駅┼┼┼┼┼┌○鶴ヶ丘駅
○住吉東駅┼┼┼┌┘ ←住吉大社
│住吉大社駅┼┼
○沢ノ 町駅┼┼┼○長居駅
│住ノ 江駅┼┼┼
○我孫子前駅┼┼○我孫子町駅
┼┼┼┼┼┼┼○杉本町駅
─│───────│──── ←大和川
│七道駅┼┼┼┼
○浅香山駅┼┼┼○浅香駅
○境東駅┼┼┼┼○堺市駅
└───────●三国ケ丘駅──┐南海高野線
○堺駅┼┼┼┼┼┼ ←《百舌鳥古墳群》◇16,17,18
○湊駅┼┼┼┼┼┼┼○百舌鳥駅
○石津川駅┼┼┼┼┼○上野芝駅
○諏訪ノ 森駅┼┼┼┼○津久野駅
○浜寺公園駅┼┼┼┼
○羽衣駅┼┼┼┼┼┼○鳳駅
○高石駅┼┼┼┼┼┼○富木駅
○北助松駅┼┼┼┼┼○北信太駅
○松ノ 浜駅┼┼┼┼┼○信太山駅
○泉大津駅┼┼┼┼┼○和泉府中駅
○忠岡駅┼┼┼┼┼┼
○春木駅┼┼┼┼┼┼○久米田駅
○和泉大宮駅┼┼┼┼○下松駅
○岸和田駅┼┼┼┼┼
○蛸地蔵駅┼┼┼┼┼○東岸和田駅
○貝塚駅┼┼┼┼┼┼○東貝塚駅
○二色浜駅┼┼┼┼┼○和泉橋本駅
○鶴原駅┼┼┼┼┼┼○東佐野駅
○井原里駅┼┼┼┼┼○熊取駅
○泉佐野駅┼┼┼┼┼○日根野駅 ←空港線
○羽倉崎駅┼┼┼┼┼○長滝駅
○吉見ノ 里駅┼┼┼┼○新家駅
○岡田浦駅┼┼┼┼┼
○樽井駅┼┼┼┼┼┼○和泉砂川駅
○尾崎駅┼┼┼┼┼┼
○鳥取ノ 荘駅┼┼┼┼○和泉鳥取駅
○箱作駅┼┼┼┼┼┼
○淡輪駅┼┼┼┼┼┼
○みさき 公園駅┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼○山中渓駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼○紀伊駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼○六十谷駅
└○孝子駅┼┼┼┼┼
└○和歌山大学前駅│
┼┼└○紀ノ 川駅┼┼
┼┼┼┼┼┼┌──────── ←紀ノ 川
┼┼┌───┘┼┼┼○紀伊中ノ 島駅
──┘◎─〇紀和駅─◎和歌山駅┐
┼┼┼和歌山市駅┼┼┼┼┼┼┼JR紀勢本線
↑南海本線

御陵の位置はこのように。・・・
《百舌鳥古墳群》
│境東駅@南海高野線
┌─┐┼┼┼┼┼
│⊥│┼┼┼┼┼ ←田出井山古墳=毛受野陵◇18
└─┘┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼│三国ケ丘駅
└─────────●─┐
┼┼┼┼┼┌───┐└┐┼┼┼┼中百舌駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└──────○┐
┼┼┼┼┼ ←大仙陵/大山古墳=毛受耳原陵◇16
┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼└───┘
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○百舌鳥駅@JR阪和線
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┌┘
┼┼┼┼┼┼┼┼┌┘┼┼ ←御廟山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┌┘
┌─┐┼┼┼┌┘ ←いたすけ古墳
│⊥│┼┼┌┘ ←上石津ミサンザイ古墳=毛受陵◇17
└─┘○┘
┼┼┼┌┘上野芝駅
┼┼┌┘┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼↓土師ニサンザイ古墳
┌┘┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┌─┐
┌┘┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼│⊥│
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─┘
【鉄道駅名】[→]

─・─ [付録] "おしてる" ─・─
"おしてる"(押照/押光/忍照)は46代大雀命の難波之高津宮を賛美する意味の枕詞らしい。
御製の歌が収録されている。
おしてるや 難波の前由よ 出で発ちて
吾が国見れば
阿波島 淤能碁呂島 檳榔の 島も見ゆ さけつ島見ゆ

当然ながら、「万葉集」でも枕詞として用いられている。但し、枕詞になる由縁は不明とか。それは難波/浪速の名称由来に引きずられるからで、この時代のイメージはすでに波庭になっていると考えれば、太陽光が反射して海面が光っている状況を"押し照る"と形容したと考えることができよう。これなら、至極自然な反応だと思う。
天平元年己巳、攝津国の班田の史生丈部龍麻呂が自経死し時、判官大伴宿禰三中がよめる歌一首、また短歌[巻三#443]
・・・待ちけむ人は 王の 命畏み 押し照る 難波の国に
あら玉の 年経るまでに 白布の 衣袖干さず 朝宵に・・・

冬十月、難波の宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌[巻六#928]
押し照る 難波の国は 葦垣の 古りにし里と・・・
五年癸酉、草香山を超ゆる時、神社忌寸老麿がよめる歌二首[六巻#977]
直越の この道にして 押し照るや 難波の海と 名付けけらしも
私拙懐を陳のぶる一首、また短歌[巻二十#4360]
・・・ものごとに 栄ゆる時と 見し賜ひ 明らめ賜ひ 敷きませる 難波の宮は 聞こし食す 四方の国より 奉る 御調の船は 堀江より・・・
反し歌[巻二十#4361]
桜花 今盛りなり 難波の海 押し照る宮に 聞こしめすなべ

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