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■■■ 古代の都 [2018.12.28] ■■■
[番外-28] 墓制と「古事記」
(23:草那藝劒)

八俣遠呂智は速須佐之男命の十拳劒によって斬られるが、尾で見つかるのが都牟刈之大刀。[→]
"御刀(十拳劒)<之刄毀"だから、圧倒的に品質が高い直刀だったのだろう。そこで、異なる大刀ということで天照大御~に宝として献上された訳だ。もともとは暴虐なだけの八俣遠呂智の体内所有品であり、それに神宝の価値があるのだから、天照大御~が八俣遠呂智の権威を引き継ぐということ以外に考えにくい。

その名称は、"旋(ツム)刈の断ち(大刀)"ということか。野原で使用すれば、横に払って草を切る"草薙ぎ"になる訳だ。ヒトたる青草をすべて薙ぎ倒す威力があるのだろう。

その大刀は、日子番能邇邇藝命の降臨に当たって、天照大御~が授けることになる。葦原の国を平定するのには最適なのは間違いない。その際は草那藝劒という名称になっている。
草那藝劒
 日子番能邇邇藝命將天降之時・・・
 於是 副賜其遠岐斯八尺勾鏡及
 草那藝劒

しかし、"草薙ぎ"のシーンは大和への東征中では一度も巡ってこない。そこまでの力は不要だったということか。
草那藝劒が登場するのは、誰もが知る、ずっと後世の倭建命の場面だけである。しかも、文字通り、草薙ぎ用に使われた。劒を授与したのは倭比賣である。

もともとは、神剣など持たずに、熊曾建や出雲建の勢力を撲滅し大活躍していたのである。神剣が必要だったと思わせる逸話ではない。
纒向之日代宮所知大八嶋國 大帶日子淤斯呂和氣天皇之御子の剣
 爾 熊曾建兄弟二人 見感其孃子坐於己中而盛樂
 故臨其酣時 自懷出劒 取熊曾之衣衿
 以劒自其胸刺通之時 其弟建見畏逃出
 乃追 至其室之椅本取其背皮劒自尻刺通
 爾其熊曾建白言
  莫動其刀僕有白言
 爾 暫許押伏 於是白言
  汝命者誰・・・

倭建命の詐刀
 倭建命誂云伊奢合刀
 爾各拔其刀之時出雲建不得拔詐刀
 即倭建命拔其刀而打殺出雲建
 爾御歌曰
  夜都米佐須 伊豆毛多祁流賀
[出雲建が] 波祁流多知[佩る太刀]
  都豆良佐波麻岐 佐味那志爾阿波禮
[あはれ]

にもかかわらず、突然の神剣登場。敵対的な青草をすべて刈り取ろうとの軍事独裁国家の始まりととれないこともないが、神剣の貢献は危ないところを助けられたという一回だけでしかない。平定の鍵を握っているようには写らない。神剣のお蔭で闘いに勝利して統治者とした君臨する訳ではないし、レガリアのお蔭で結婚できた話にもなっていないのだ。英雄譚ではあるものの、屈折した悲劇の主人公として描かれているに過ぎない。しかも、レガリアを妻のもとに置き忘れ、神(伊吹山の白猪)に負けて死んでしまう。
日本列島平定の神剣と言うには、物足りぬ事績という印象は否めないが、信仰対象は鏡・玉・剣との流れが出来上がっている以上、剣は、速須佐之男命の献上品を選ぶしかなかったということかも。

草那藝劒
 即白其姨倭比賣命者
 天皇既所以思吾死乎・・・
 患泣罷時 倭比賣命賜草那藝劒
 亦賜御而詔 若有急事解茲

〃(御刀)
 相武國之時・・・
 看行其~入坐其野 爾其國造火著其野
 故知見欺而
 解開其姨倭比賣命之所給口而見者 火打有其裏
 於是先以其御刀苅撥草
 以其火打而打出火著向火而燒退還出
 皆切滅其國造等


 故爾御合而
 以其御刀之草那藝劒置 其 美夜受比賣之許 而
 取伊服岐能山之~幸行

〃(御刀)
 到坐尾津前一松之許 先御食之時
 所忘其地御刀不失猶有
 爾御歌曰
 袁波理
[尾張]邇 多陀邇牟迦幣流 袁都[尾津]能佐岐那流 比登都麻都[一つ松]
 阿勢袁 比登都麻都
 比登邇阿理勢婆
[人に在りせば] 多知波氣麻斯袁[太刀佩けましを]
 岐奴岐勢麻斯袁
[衣着せましを] 比登都麻都 阿勢袁
〃("剣[つるぎ]の大刀")
 此時御病甚急
 爾 御歌曰
  袁登賣能
[乙女の] 登許能辨爾[床の辺に]
  和賀淤岐斯
[我が置きし] 都流岐能多知[剣の大刀]
  曾能多知波夜
[その大刀はや]
 歌竟即崩 爾 貢上驛使


結局、草那藝劒は美夜受比賣の許に。
天照大御~の元に奉納され、天孫に御下賜されたが東征に訳だったと話もなく、宮で留め置かれたのではなく、結局のところ倭比賣が預かる訳で、神器扱いの剣にしては不可思議極まる。しかも、天皇から疎まれて泣いて心根を訴える倭建命に、独断で、神剣が手渡される。
そのお蔭で、"草薙ぎ"ができて命拾いするが、それ以外の話はない。

   表紙>
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