→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.2] ■■■ [1] 國生みは実は分かり易い そのエスプリを感じ取って、是非とも、苦笑しながら面白く読んで、考えるだけ考えて頭を捻って欲しいというのが編纂者の立ち位置と見た。 と言うか、現代人たる読者にとっては、的確で解題的な註がない限り、収録意図どころか、その譚の登場人物設定やストーリー展開の意味さえ読み取れないので、えらく頭を使うということに他ならない訳だが。 「酉陽雑俎」に至っては、その辺りを理解するまで、30年かかるらしいから、同じようなものかも知れぬが、そこまでお付き合いするほどの好事家ではないので、ご勘弁である。ともあれ、ある程度時間を割いて作品と会話するつもりにならないと、糸口に気付く可能性は極めて薄そうだ。 そんな感想を覚えたのだが、冷静になってつらつらと考えてみれば、難波湊や南都とは違って、北京の人々にとっては、そんな表現方法は処世術と呼ぶのもおこがましい類の、日常的コミュニケーションに過ぎないものかも。所謂、現代の"京都人特有の遠回しな言い方"とも言えそうだし。 枕はこれぐらいにして、本題に。 「古事記」はポロポロと読んでいるが、どうも今一歩よくわからない書と思っていた。官僚の智慧を結集して作った「日本書紀」とは違うから、色々なことが読み取れるように工夫してあると考えていたが、余りに物足りない感じ。それが、「今昔物語集」を読んでいて、突然解消。 簡単に言えば、古事記冒頭の、"国生み"話の重要性に、今頃になってようやく気付いた。 "倭""國"の緒元を作った地域が何処かわかるように書いてあるにもかかわらず、大"和"への東征根拠地の九州とか、天孫に国権を譲った出雲にどうしても目が移ってしまい、それ以外を無視していたからである。 結論を云えば、日本列島に国らしき組織が各地に生まれた時代、その魁となり、リーダーの地位を占めたのは、"粟"国に他ならないということ。 マ、本気でそう考えている訳ではない。太安万侶もそうだろう。 ただ、見事なまでに、日本の始原史を考える場合落とせない視点が巻一冒頭に記載されていたのである。 先ずは再録。📖古事記「国生み」は意味深・・・ 順番が、最初の国家観を示すものとなっている。 先ずは、瀬戸内海の東端と南側、 淤能碁呂島は同定困難だが、淡路島近隣なのは間違いあるまい。イの一番なのだから。 (1) 淡道之穂之狭別ノ島(淡路島) (2) 伊豫の二名ノ島(四国) [四面:伊豫、讃岐、粟、土佐] 次が日本海側 (3) 隠岐ノ三子ノ島(隠岐) ・・・実際は大きな島と3つの小さな島 (4) 筑紫ノ島(九州) [四面:筑紫ノ國、豐國、肥ノ國、熊曾ノ國] (5) 伊岐ノ島(壱岐) (6) 津島(対馬) そして、 (7) 佐渡ノ島(佐渡島) 聖数とされていそうな、最後の八番目が本州である。 (8) 大倭豐秋津島(本州) 尚、いずれも「島」だが、「神」でもある。 上記すべてを包含する場合は「大八島國」と呼ぶことになる。 誰だって、淡路島とは阿波への道という名称だろうと想像するが、阿波=粟だから、稲作前のことか程度で、それ以上考えることを止めてしまう。せっかく頭が働いているというのに、自らそこで打ち止めにする訳で、実にもったいない。 そうなるのは四国が、東征では無視されているし、その後も政治的表舞台には登場しないからだ。辺地扱いに近い。 ところが、よくよく読んでみれば、実に分かり易くその重要性を書いている。 先ずは淡路島時代が始まりだが、まだ国はなく、そこへ繋がる醸成期。 次の時代は国が"認められた"時期である。自ら国が成った時代という訳ではない。淡路島に続いて、意味がママ伝わる"○○○○○ノ島"と記載していないからだ。 しかも、二名ノ島とされている。と言うことは、伊予国が四国を代表していることになるが、それに納得する人はいまい。四番目の島、九州は筑紫を代表とするのとは違い、根拠が薄弱すぎるからだ。それに淡路とは阿波への道を意味しているのではないかとの気分が生まれていることでもあるし。 そうなると、"伊"国と"豫"国からなると示唆していることになる。国名が一文字の中華帝国的命名時代を感じさせる訳だ。"伊"国とは、日本流で言えばイの一番の国ということになる。 思うに、四国の一国が倭国の代表と公認された僅かな期間があったことを示しているのかも。と言っても、そのような事績があろうとなかろうと、その重要性を語るつもりがあるとは思えない。何故にそう思われたか考えて見ヨ、と指摘しているに過ぎない。 太安万侶も「今昔物語集」編纂者と同じように"綱渡り"を決行したのかも知れない。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |