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■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.3] ■■■
[2] 阿波は麻の国ではなく粟時代の雄
「古事記」"国生み"の記載では、どうしても、四国が伊豫の二名ノ島とされているのが気になる。📖國生みは実は分かり易い

常識的には四面ではなく、四名ではないかと思うからである。(九州の四面の場合は、各国すべて"別"ということで、分かれて成立したと記載されており、それとは全く異なる。)

しかし、次に、脈絡無しに、隠岐ノ三子ノ島が突然登場するから、"1.淡路島⇒2.四国⇒3.隠岐⇒4.九州"という数字合わせかと考えるだけで通り過ぎてしまう。最後を"8.大倭こと本州"で、すべてを合わせた"大八島國"で大団円としているからでもある。📖國生みは分かり易い

"国生み"という重要な箇所であるにもかかわらず、天孫の母祖地たる南海や、出自の南九州、地祇元締め出雲の存在感ゼロ。誰が考えても、単に、瀬戸海の海人の伝承を取り入れている以外のなにものでもなく、どうしてこのような話になるか、不思議とは思うものの、すぐに次のお話に移ってしまうことになる。

と言っても、淡路島から始まることを、日本史の端緒として設定している点は、素晴らしいとは感じた。陸地に海水がなだれ込み、瀬戸海となった、古代地理上の大異変の時点が日本列島の人類史スタートと考えるべきと言っているに等しいのだから。
(読み方によっては、それ以前についても示唆していることになる。・・・伊邪那岐命・伊邪那美命は淤能碁呂嶋を天沼矛で創り出し、そこに"天降坐"すが、その地にある天之御柱と八尋殿は見立てたのだ。造ったのではないから、海進でその地から去ってしまった先住の神々の存在を意味しているのかも。)

ただ、おそらく、それだけで国家成立のスタートを淡路島と見なしたのではなく、土器の時代、淡路島が他国を支える産業を持っていたということだろう。
それは、塩の製造である。
日本列島には岩塩もなければ塩湖も皆無。天日乾燥製塩にも向かない多雨多湿型気候だから、塩の入手・配布なくしては、国家樹立は難しかった筈。そこに登場したのが、淡路島産土器詰藻塩。煮蜆のような代替塩分摂取品もあるし、模倣も生まれただろうから、このお蔭で淡路が覇権を握れるまでには至らなくても、標準産品を生み出したという点で交易基盤形成に大いに役立った筈で、一目置かれる存在になったのは間違いあるまい。淡路島が国家併存への路を切り拓いたとの評価は妥当だと思う。(淡路には、西日本最大級の縄文集落と目される佃遺跡や1世紀〜3世紀[約170年間]に存在と推定されている国内最大級の鍛冶工房跡の垣内遺跡が存在する。)

・・・この程度で満足してしまったのは、実にもったいないことで、じっくり考えるべきだった。

だいたい、"伊豫の二名ノ島"という表現が奇妙奇天烈。さらに、"淡道・・・ノ島"が"阿波=粟"への路を暗示しているのも明らかだから、そこには特別な意味がありそうなことは初めて読めばすぐに感じると言うのに。
しかし、四国は実際は四面であると記載してあるから、常識に戻され、とりあえず読んだことにする訳だ。
  阿波国=大宜都比売
  伊予国=愛比売
  讃岐国=飯依比古
  土佐国=建依別

だが、本心的には納得しようがなかろう。決定的に可笑しいからだ。
実態は"四柱ノ島"で、これを2面x2名と見るのは無理があり過ぎるからだし、しかも伊予はあくまでも4つのうちの一国なのに、その名称を"四"国統合の地名にも使うというセンスも尋常とは言い難い。

しかし、太安万侶に言わせれば、それが"伝承"ですからとなろうが、読む人によっては"綱渡り的"な記載としか思えない。
繰り返すが、伊予国という表記は二文字と決められた、ずっと後世のこと。その前は一文字だと考えられるし、国生みの頃は無文字である。つまり、二名と呼ぶのだから、草創期の四国は2国であり、イ国とヨ国と言っているようなもの。(尚、"伊"の地名だが、四国最東端[紀伊水道西側]は離島の伊島@阿南。内海文化ではなく、黒潮文化の地と見た方がよい。外洋的航海辞せずの海人の拠点と思われる。)
その後、愛媛が伊予国となるのだから、そうなると、愛媛が"ヨ/豫"ということだろう。すると、伊予国とは、伊の予国という意味になってしまう。
一方、"イ/伊"国だが、神名を見れば、阿波国が妥当なところだろう。淡路という記載もあることだし。
そうだとすると、"イ/伊"国という表記は一国を意味するだけではなかったことになる。大和は奈良の一国を意味する筈だが、"ヤマト"は同時に日本全体を意味する言葉となっているようなもの。換言すれば、"イ"の時代があったことを想起させる。

ともあれ、"イ/伊"国と"ヨ/豫"国は大宜都比売+愛比売という2名になり、いかにも姉妹的。
そうなると、四面の島とされているから、2"姫"にそれぞれ介助役パートナーの"彦"が存在することになろう。はたして弟達かは定かではないが、見るから一体二面的な性情が揃った男女神のペアである。
  大宜都比売…飯依比古
  愛比売…建依別

この4柱の神のなかでは、大宜都比売は伊邪那美死して産まれる穀物起源神であるし、四国におけるパートナーが食を意味する飯依比古であることから、人々の命を繋ぐ上で現実的に極めて重要な位置を占めていると言ってよいだろう。
当然ながら、「古事記」では度々登場する。
このことは、日本列島の社会が形成される過程では、阿波の影響力が極めて強かったことを示していると見ざるを得まい。

ところが、阿波國自体は、ストーリー上ほとんど目立たない。稲作の前の粟の時代に、粟国がその生産に穀物生産を主導したことを示唆した記載は無いし、そのような地位となる理由もなさそうだ。現代に至るまで、徳島での農業生産物といえば麻一色に映るからでもある。
(阿波一宮とされているのは、大麻比古神社@鳴門大麻坂東字広塚[祭神:大麻比古大神+猿田彦大神]。)

そうなると、"伊"を重視した理由は何か気になって来る。それこそが太安万侶の意図したところでは、と思うからでもある。その理由こそ、粟⇒稲への転換前に、阿波がこの国の主導的地位と見なされた理由。

そう思って考えてみれば、註記さえあれば、素直に読めば別に難しいことではない。

どうあれ、太安万侶が、阿波国は、粟の時代に力を発揮していた国とみなしたのはほぼ間違いないと思う。
これに気付かなかったのは実に迂闊だった。

整理しておこう。
阿波国は粟時代の雄の"イ"国で、伊予国とは"イのヨ国"だったと示唆しているのと違うか?・・・そうだとすれば、中華帝国に合わせた一文字国名時代、大和も、出雲も、播磨も、丹後も、すべて"イの○国"であっておかしくない。いい加減な推量だが、そんなことは実はどうでもよい。
太安万侶は阿波国こと大宜都比売こそが、日本列島の連合国家形成の端緒と見ることができそう、と主張していそう、ということ。
これを太安万侶流の歴史観と見る訳である。

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