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■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.7] ■■■
[6b] 「国生み」の前段こそ真骨頂
「日本書紀」の"国生み"を眺めると、「古事記」との違いが歴然としており、自然に太安万侶史観が見えてくる。📖「日本書紀」の国生みは単純

太安万侶は公的史書編纂にも参加とされているが、勅命とはいえ、よく我慢して、と感じるからでもある。と言うのは、「古事記」とは似ても似つかぬ記述の本文となっている上、なんと10書もの引用が註記的に並べられているが「古事記」だけは入っていないからだ。

従って、「古事記」を、偽書とか、後世成立の書とみなしたくなる人がでてくるのも無理はない。
しかし、公的史書自体が、異なる見解も記載するという常識に反する記述スタイルだし、改竄厳禁と思いきや、明らかに後世に手を入れた書しか伝わっていないから、たいした問題ではない。(後世決定の天皇名に変換されており、原本は残されていない。)
・・・この手の判定話は研究者以外に大した意味がなかろう。

公的史書の一番の目的は、王朝の正統性を高く掲げること。換言すれば、国土統一を果たした経緯を示し、唯一無二の権力であることを宣言する訳で、だからこそその役割は大きい。
にもかかわらず、「日本書紀」は、異なる伝承をズラズラ並べたのである。日本国では、諸説の存在を容認するとともに、合議で統一見解を纏めるのが習わしと言っているようなもの。大陸から見れば、意思決定者不在に映る筈だが、それでかまわないと腹をくくったのであろう。

但し、注目すべきは、異なる見解がズラズラ並記されているようだが、それは枝葉末節的な違いでしかない。大陸と違って、分権社会ではあるものの、中央権力を侵しかねない見解まで容認する訳ではない。
と言うことで、「古事記」だけは排除されたと見てよいだらう。

その理由は自明。
淡路を胞と見なすか、正式な初子とするかで多少の違いはあるものの、すべての書で、大日本豊秋津嶋は長子か次子。「古事記」のように、8番目の末子扱いは言語道断ということ。なにがなんでも、全会一致で、日本国の緒は大日本豊秋津嶋、と記載する必要があったのである。
淡路は王家の重要な拠点として機能し、出雲を従えた状況での史書編纂。現中央政権以外の勢力の覇を示唆するような記述はすべて消し去るのは当たり前の話。
分権型で合議で継承を決定していく以上、中華帝国のように革命を是認し王朝転換は当然という観念を想起させる記述が容認される訳がなかろう。

太安万侶は、その辺りは心得たものがあり、「国生み」に至る過程についても、史書編纂では出来る限りコンパクト化。中華帝国的な天子拝命に近いイメージが生まれるようにしたかったからだ。
しかし、「古事記」での姿勢は全く異なる。「国生み」以前こそ重要ということで、できる限り流れがわかるよう、精力を注いだ記述になっている。
しかも冒頭からそうした姿勢を明らかにしている。
  天地初發之時
  於高天原 成~ 名天之御中主~
   <訓高下天云阿麻 下效此>

"高天原"という言葉の"天"の訓読指定文として、なにげなく読むだけで終わってしまいかねない一文だが、「日本書紀」とは全く違うことに気付かさせるためのご注意文とも言えよう。

神祇の天は、中華帝国の天命を頂戴する観念でのテンでは無いし、仏教の輪廻六道の天界とも違うと書いたに過ぎないが、歴史観を示すものでもある。
内容自体はどうということはないが。・・・"天"という文字のもともとのコンセプトは人頭上の方角で、日本語ではソラだが、そのソラに神が居られる場所[原/ハラ]を阿麻/アマと呼ぶ。それだけ。
神祇のアマは天と表記するものの、中華帝国の天や、仏教の天界とは区別すべきと書いたに等しい。
但し、ソラの概念ということでは、どれも天であるから、神祇の天には、"高"を付けて、"高天原/タカアマヶハラ=たかまがはら"(天之御中主神)としたのだろう。
(アマの概念は「山海経」にほの見える、神々の集まる地への"滅びた超古代信仰"を意味しているようにも思える。天を8本柱が支えるという観念も生まれたようだし。但し、中国では神話は抹消されたので、実態はわからない。)📖酉陽雑俎的に山海経を読む@「酉陽雑俎」の面白さ

「今昔物語集」の天竺・震旦・本朝の3国俯瞰思想はもともとココに由来している可能性もある。「古事記」は仏教に全く触れていないが、仏教的語彙は散見される訳で、冒頭でこの3国観を示唆したと言えないでもないからだ。
3国の信仰対象の地はすべて「天」であるが、天竺では六道の天界、震旦は天帝の地、本朝神祇になると高天原ということ。
もともとはそれは頭上の「ソラ」でしかないが、観念的に分かれたことになる。
そして、その信仰を土台として、国という観念が生まれるまでには、相当な時間がかかったものの、ついに創出されるに至る。(國之常立~)そして、王朝正統性宣言の根幹となる、王朝誕生史が始まる。(男女ペア神)

史書なら、國之常立~から国家祖神に繋がれば十分で、それ以外の神々は引き立て役以上の意味は無い。
しかし、「古事記」はそのような体裁になってはいない。国が生まれるまでの過程についても細かいし、日本列島で国が生まれる以前、すでに、国々が存在していた可能性が高いことまで記載しているも同然だからだ。
さらに驚かされるのは、"高天原"での神々は集団で、日本列島創出を決め、男女神を派遣したとされている点。
  於是天~諸命
  以詔
  伊邪那岐命伊邪那美命二柱~
  修理固成是多陀用幣流之國

そこには天子を地上の統治者として命ずる、最高神たる天帝は存在していないと、はっきりと示しているのである。

【附:「古事記」について】
「古事記」成立時点では、太安万侶の家に伝わっていた「多氏古事記」が流布していたと見るのが妥当だろう。ただ、その元本は、様々な追加記載が積み上がった形式で保管されていた可能性が高い。底本がはっきりしていない上に、各地域では、地場の伝承話も組み込れたりするので、編纂する必要が生じたのだと思う。
○「万葉集註釈」巻一 「土佐国風土記」逸文
  土佐國風土記言神河訓三輪川・・・故為河名。
  <世訓神字為三輪者、多氏古事記曰>
   【岩波版註記】崇神紀と古事記崇神巻を混同した如き内容で逸文とは認めがたい、と。
○木梨軽太子の話もこの「古事記」が伝えていたようだ。公的な史書が存在していれば残らなかったのではないかと思われる話である。
[左注]右一首歌古事記与類聚・・・
君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ[「万葉集」巻一#90]
[左注]檢古事記曰 件歌者木梨之軽太子自死之時所作者也
こもりくの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け 真玉なす 我が思ふ妹も 鏡なす 我が思ふ妹も ありといはばこそ 国にも 家にも行かめ 誰がゆゑか行かむ[「万葉集」巻十三#3263]


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