→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.29] ■■■ [28] 玄奘の四風土論を参考にして欲しい 「古事記」が描いているのは、その前の世界である。 しかも、書が成立した時点で、すでに昔の事績記録もかなり失われているだけでなく、伝承も潤色改竄だらけ。当然、過去の実態などわかる筈もなく、かつての信仰に至ってはいい加減な想像しかできかねていた筈だ。 このような場合、過去を見通せるか否かは、自ら構築した風土論の有無にかかっているのではなかろうか。大胆に環境与件を設定し、強引に人々の性情を規定し、そこから当時の観念を想定し、社会構造(政治・経済)を読み取る訳だ。その視点で様々な情報を再構成していくことになる。 この方法論の優れているのは、風土として、ザックリとした歴史観を先に形成する点にある。ただ幅広い知識と、柔軟な脳味噌、それに俯瞰的に見る力が不可欠だから、誰にでもすぐにできる訳ではない。📖野生の思考 v.s. 風土@「新風土論」 「古事記」は元明天皇に712年献上されたが、仏教については一言も触れていない。しかし、太安万侶は漢籍の知識では最高峰だった可能性があり、646年成立の「大唐西域記」のガイスト位は知っていたのではなかろうか。そうでもないと、ここまでの歴史観は生まれないと思うからだが。 玄奘は、629〜645年に中央アジアから南アジアの大巡礼を敢行。パトロンははっきりしないが、インターナショナルな世界を望む王族であろうか。 その見聞をもとに、地域風土を言いきっている。[「大唐西域記」卷一 序論]・・・ "天山"を囲む4域ありとの発想が見てとれる。 🀁暑濕🐘象主之國…湿潤林野:天竺/印度[インド] 🀂臨海💎寶主之鄉…高原:波斯[ペルシア(アーリア系)] (⇒大食[アラブ系イスラム]に取り込まれる。) 🀃寒勁🐎馬主之俗…ステップ:玁狁[匈奴] 🀀和暢👪人主之地…降雨平原:震旦[中華帝国"夏"] ここで、まず、ご注意。 この4分類は家畜で揃えていないし、中華帝国だけは別格扱いしており、分類観がイマイチと感じたとしたら風土論で考えることは止めた方がよい。既存概念を離れて考える力を失っている可能性があるからだ。 例えば、宝の国との指摘は鋭いものがある。イラン高原の大国ペルシアは、アラブ圏のチグリス・ユーフラテス域やナイル域への貴金属・宝石の供給元だからだ。金銀・銅錫・瑪瑙ラピスラズリの交易ルートを造り上げたと言ってよかろう。天竺仏教の菩薩像の装身具の由来はココにある。 高原なので、農耕ではなく季節的移牧経済だろう。当然ながら、経済単位は"郷"的な小規模部族。・・・こんな風に、考えを広げていく必要がある。当たっているか否かは別な問題として。 それにしても、鋭いと思うのは"臨海"としているところ。海の交流が大きな役割を果たしているとの見解と言ってよいだろう。 この辺りを考慮に入れれば、印章の由来は間違いなくペルシアと思える。粘土による封泥で商品を保証したに違いないからだ。中華帝国の皇帝の金印授与とは、官僚管理システムが得意とする、物真似にすぎないことも見えてくる。(儒教型統治とは帝国を強化・拡大する合理主義に徹しており、自称独自文化は色々あるが、取り入れた文化を強権的に標準化して普及させた可能性が高い。文字や音楽も西域由来では。) と言うことで、玄奘は4大文明を提起したことになろう。・・・ 🐘躁烈篤學…信仰一途【宗教文明】 💎無禮義…契約に基づく冷徹な交易【商業文明】 🐎天資_暴…テリトリー無き遊牧【遊牧文明】 👪風俗機惠…労働力確保とマネジメント【農耕文明】 従って、性情に反映されるというか、そのような体質があるから文明が成立したともいえる。 🐘特閑異術 💎重財賄 🐎情忍殺戮 👪仁義照明 "残虐 v.s. 仁義"というのは、中華帝国統治の基盤である儒教の用語でしかない。労働力として不要あるいは、農地獲得のためなら、地場民抹消しかありえないからである。テリトリー無き遊牧民の場合、遊牧地がかち合うことになれば生きるためには妥協の余地はなくなるだけの話。農耕民が生活の場を農耕地化すれば、どうなるかも自明であろう。 生活実態についても、的確な表現といえよう。 🐘族類邑居,室宇重閣 💎有城郭之居,務殖貨之利 🐎毳帳穹廬,鳥居逐牧 👪安土重遷,務資有類 東西南北の四方に限ったことと、消滅する道しかなかった文化だから扱わないのは当然とはいえ、ソグドに代表される中央アジアの豊かだったオアシス国家群を欠いているのが残念。「今昔物語集」が天竺・震旦・本朝でもソグド無しになっているのも、この記載が大きいのでは。 本朝記載の眼から、玄奘風土論を眺めれば、日本列島のような島嶼、つまり大陸から離れた辺境地域の文化をどう位置づけるべきか悩むことになろう。 現代、好まれる風土論とは、🅳乾燥 v.s. 🆆湿潤である。その発展形が常緑広葉樹林帯という区域の設定。ここが稲の発祥と主張する学者まで登場したから、小生も最初は一理あると思ったが、どうみてもガセ。あとは、榊/梻を依り代とする人の住居圏という位の定義しかできず、経済基盤と樹相の繋がりがおよそわかりにくい。おそらく、その曖昧さが人気の元なのだろう。 湿潤・乾燥は生活スタイルを大きく変えるのは間違いないから、そこから風土論に繋げること自体は自然だが、実際に語られる内容はかなりいびつ。 🅳🀃遊牧 🅳🀂オアシス 🆆🀀東アジア農耕 🆆🀁南アジア農耕 誰が考えても、オアシスとは乾燥地帯の例外箇所。重視すべきと小生も考えているが、この書き方では乾燥地帯の例外的箇所を4大文化の一つにする根拠が全くわからない。概念になっていない。遊牧との関係について語れる力が無いからであろう。 お蔭で、全体構造がナニガナニヤラだが、そう感じる人は稀。玄奘の場合の書き方に違和感を覚えるのに、これは素晴らしいと思うのが日本の特徴。 素人からすれば、トンデモ論に映るのが、湿潤域の2分割。東アジアと南アジアの農耕文化の違いが全くわからないからである。その違いを生み出した根拠を語れないのである。と言うか、湿潤地帯は「今昔物語」の3国観の接ぎ木と見てよかろう。 もう一言付け加えれば、これは梅棹忠雄的な主張の裏に抱えられている、西洋〜中間(中央アジア+インド亜大陸)〜東洋(蒙古+中国)を、絶対造物主信仰 v.s. 多神教で区切り、後者をアジアとして東西南北としただけとも言える。アーリア人種と聖書の民でくくる発想に引きずられていると言ってもよかろう。中央アジアはチュルクと考え、蒙古は中国の元朝と見なし、ユーラシアをこんな具合に纏めることになろう。 東欧||西欧 露 ||アラブイスラム圏+ペルシア & 地中海 _____________ 中国||印度 日本||東南アジア この文化圏分けだが、印象からすれば、わかりきった説を情緒的に習合しただけに映る。そのため、議論といっても、水掛け論にならざるを得まい。 お蔭で、玄奘の洞察力が光ってくることになるが、そう感じる人は多分希である。こうした手の見方は大いに喜ばれ、場合によっては定番通説化されていくことになるからだ。 例えば、「今昔物語集」編纂者は、玄奘の見方の的確性を感じ取っていたように思える。東アジアと南アジアの文化の違いを理解していたのは間違いなかろう。その結果、日本列島の文化が根本的に異なることに気付いたということ。・・・ところが、そのように見る人は滅多にいないようだ。たいていは、"3国観"を、狭い世界しか知らなかった編纂者の限界と指摘しているようだから。読む姿勢が全く違うのだから致し方ないが。 「今昔物語集」と違い、仏教の話を全くしない太安万侶だが、同様に、その辺りを見抜いていた気がする。ここらの判定になると、センスの問題であるが。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |