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■■■ 「古事記」解釈 [2021.2.26] ■■■
[56]秋津嶋の蜻蛉洲言い換え理由
🗾秋津嶋という名称に特別な地や人名をイメージさせる要素はなさそうに思ってしまうが、どうもそういうことではなさそうだ。

気にもかけない理由は、国生み譚がいかにも①〜⑧の語呂合わせ的に島名を並べたように映るので、考えることをしないからでもあろう。

国生み⑧はマト名が付く、大倭豐秋津嶋/天御虛空豐秋津根別。ここまでで、大八嶋國という名称由来とされるのである。
秋津と書いてあるから、直観的に"豊穣[秋]""の[つ]"という意味だろう、と考えて通り過ぎてしまう。

小島生みに引き続いて、神生みに入ると、水戸~の速秋津日子+[妹]速秋津比賣~が生まれ、さらに、この対偶神から海・水の神8柱神か生まれることになる。
いかにも海人だが、定着し植物の恵みを享受するようになった雰囲気を感じさせる箇所だ。

ところが、"秋津"という名称はここで終わらない。
6代 大倭帯日子国押人命孝安天皇の宮は葛城室之秋津嶋宮だからだ。
こうなると、秋津嶋の命名は葛城で生まれたとされかねない。と言うか、おそらくそうなのだろう。一言主や事代主が統治すべく命名したと見てもおかしくないのだから。📖葛木川古瀬こそ大和土着族の地

これは、後々、よろしくないと考える勢力がいておかしくなかろう。

そうなると、"あきつ"の読み替えをするしかなかろう。
その結果選ばれたのが、あきづ/蜻蛉[セイレイ]だろう。イメージ的には嘉そのものと言えよう。
しかし、本来的には"づ"だったところを、"つ"にしたのであるから、多少の無理があろう。そのため、異名が広がったということかも。
 ⇒とんばう飛ぶ棒
 ⇒かげろう蜉蝣
 ⇒やんま蜻蜓

蜻蛉の命名譚はよく知られているが、重要なのは、シーンではなく場所。もっとも、葛城の猪の狩猟だからそれなりの示唆はあるものの。太安万侶はこの事情を知っていて、わざわざ記載したと見てよかろう。・・・

21代 大長谷若健命/雄略天皇【阿岐豆野への行幸時の御製】

三吉野の 小牟婁@紀伊〜葛上/御所室}宍すと
誰そ 大前に白す 八隅知し
吾が大王の 宍待つと 胡坐に坐し
白妙の 袖着装束ふ 手脛に
[阿牟]齧きつき
其の虻を 蜻蛉[阿岐豆]早咋ひ
斯くの如 何に負はむと
空見つ 倭の国を 秋津洲[阿岐豆志麻]と云

故 自其時號其野謂"阿岐豆"野也

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