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■■■ 「古事記」解釈 [2021.2.15] ■■■
[45] 葛木川古瀬こそ大和土着族の地
「欠史八代」とは紛れも無きイデオロギー的判断では。小中華主義者、アーリア人優越論者、等の、世界中至る処で見かける歴史観の単なる裏返しとしか思えない。📖「欠史八代」という安直な解釈は無意味
しかし、当該箇所を、自分の頭で、何を意味している箇所なのかを考えてみない限り、水掛け論に参加しているようなもの。と言うよりは、五十歩百歩でしかなかろう。

と言うことで、葛城地区の記載をどう考えるべきか、もう少し、見ておきたい。
  [2]神沼河耳命/綏靖天皇
 
葛城高岡宮📖-----橿原(畝傍山山麓)衝田岡陵
  [5]御真津日子訶恵志泥命/孝昭天皇
 
葛城掖上宮📖→北側→掖上博多山上陵
  [6]大倭帯日子国押人命/孝安天皇
 
葛城室之秋津嶋宮📖→北側→玉手丘上陵

このなかで、何と言っても、メッセージ性が高いことが自明なのが、[2]代の河俣毘賣との婚姻関係。男系直系の天皇系譜が続いている状況だから、対比的に目立つようになっている。
古代型の連立王国樹立の仕組みを示したかったのだと見て間違いない。
すでに触れたが、皇后が師木縣主"祖"とされているからだ。磯城土着の女王と明確に言い切っている。王権が女系だったことを示唆している以外のなにものでもなかろう。
  [初]代后…大物主@三輪山の娘
  [2]代后…師木
県主
  [3]代后…[2]代后の兄(
県主)の娘
  [4]代后…師木
県主の先祖
  [5]代后…尾張連先祖 奧津余曽の妹(葛城地区の端、高終タカオハリとの説も)
  [6]代后…姪/兄の娘


よくよく考えてみると、出雲国の八千矛~が高志國へ"幸行"し沼河比賣を娶ったのと同じパターン。越と葛城は母系王国の両巨頭の可能性さえ感じさせる。

そして、ここで身逃がしてはならないのが、須佐之男命が降りた出雲国で最初に行った八俣遠呂智退治。毎年やってくる"高志"の大蛇とされているから、沼河比賣を、蛇崇拝の巫女とみなしている可能性が高い。
換言すれば、大国主命の登場とは、こうした信仰を転換させたことになろう。巫女王国からすれば、婚姻とは女王国傘下化を意味するが、神権を有する男系王権を確立していた出雲国から見れば支配域を拡大したことになるという、なかなかに面白い動きともいえる。第三者から見れば、黄金色に輝くレガリアを誇示する出雲王権が、土着の蛇信仰を内部に抱え込むことで、巨大勢力形成を実現したことになろう。

それを踏まえて、初代天皇の歌垣婚を見ておく必要があろう。[2]代の母とは、大物主神@三輪山の丹塗矢陰部突きで生まれた富登多多良伊須須岐比売命だからだ。三輪山/御諸山の神は蛇体かも知れぬとの書き方をしているのだから、出自的には蛇崇拝勢力の巫女系ということになろう。

[10]代になると、突然、その大美和の大神の御諸山の神主として、意富多多泥古命(櫛御方命の子 飯肩巢見命の子 建甕槌命の子)が起用される。その結果、伇氣悉息國家安平に。
意富多多泥古命は~君鴨君之祖であり、三輪山の地名由来譚に関与していて、その根源が蛇信仰であることを示唆する話になっている。
鴨君の地は葛上が主体と見られているらしく、上記で取り上げた宮の地域があたる。

宮にはそれぞれ比定地があるが、確たる証拠があるとは言い難い。(しかし、その程度で充分意味がある。だいたいの位置関係がわかればよいのだ。御陵に至っては、おそらく逆の証拠も少なくないだろう。どうあれ、情報が無いのに、無理に推測しただけ。それが余りに杜撰なのに、お化粧して全肯定する学者が登場したりするから、フレームアップとの指摘を否定のしようもなく、欠史論が通説化したのかも。)
現在の御所市(御所町+葛村+葛上村+大正村)内に、古代と同じ地名が残っていない以上細かいことがわかる訳がなかろう。
【葛上の郷】[「和名類聚抄」國郡部+「大和志」@千年村プロジェクト]
  日置:櫛羅
  上鳧:櫛羅(鴨山口神社)
  下鳧:御所宮前(鴨都波八重事代主命神社)
  大坂:市増
  楢原:楢原
  <以下比定地不詳>
  高宮…高宮廃寺/水野廃寺跡@西佐味(金剛山中腹景勝地:風の森峠西方)
  牟婁…室として残存
  桑原
  神戸
  餘戸


"御所"という現在の地名の由来にもいくつか説があり、はっきりしていない。
ただ、素人からすれば、曽我川発源地の古瀬の地名"巨勢"と同義で、葛城川の川瀬の嘉字化との説に軍配を上げたくなる。読みがゴゼであるから、宮の御所とは違うのは明らかであり、この地が大和の西の分水嶺(葛木水分神社@関屋)である以上、十分な説得力ありと見るからだ。
↓葛城山
┼┼↓葛城川
┼┼↓R24
┼┼
┼┼
┼┼○──←近鉄御所駅 JR御所駅
┼┼┼┼←玉手丘上陵◇6
←掖上博多山上陵◇5
┼┼┼┼←葛城掖上宮◆5
┼┼←今出 池之内
←葛城高岡宮◆2
←一言主神社
┼┼←小碓命(倭建命)陵
┼┼┼┼┼←国見山
┼┼┼←宮山古墳=葛城室之秋津嶋宮◆6
────┤∨∨∨∨∨][∨∨∨←大口峠
┼┼┼←巨勢山
┼┼
┼┼←金剛山
┼┼←葛木神社

山岳信仰の地である金剛山/高天山の頂上には葛木神社(御祭神:一言主命)がある。・・・「今昔物語集」では本朝3大仏教祖的扱いの役小角の登場で、一言主命信仰は衰退。その状況はよくわからなくなってしまったように読める。

[21]代の葛城山登幸時、葛城之一言主大~が百官を従えて登場し、天皇は惶畏し大御刀・弓矢・百干の衣服を拜獻。初代の入畝傍(白檮原宮)以前、この地域の王権=神権を握っていたことを意味していそうな話になっている。
そもそも、初代は忍坂大室[押坂山口坐神社@桜井赤尾]の尾の生えた土雲との壮絶な戦いに勝利したとはいえ、奈良盆地の枢要な地域("磐余")での王権樹立といってもその力量は圧倒的という訳ではない。兄師木・弟師木との闘いは一進一退状況だったからだ。そうなると、葛城地区の神権を容認して共存の道を選択する以外になかったということかも。

ところが、葛城の神を祀っていた氏族がはっきりしない。
そうなると、初代が戦って殲滅した天孫系のようにも思えてくるが、葛城氏(県主)の信仰対象の山の祖神と考えるのが素直なところだろう。ところが、ここは鴨氏の地でもあり、両者は別なのか、命名した結果かといった、氏族関係が曖昧なのだ。国譲り譚からみて、この鴨氏は天孫系ではないから、一言主大~とは無縁と見てしまうが、この地から山城に移ったとされる賀茂氏は天孫系とされており、どうなっているのやら。
実際、曽我川を誓約が行われた天安川と見なす動きもあったようで、川沿いに天安川神社が並ぶ。海に面する紀伊と繋ぐ幹線河川沿いの船溜まりということか。
…樋野権現堂(御祭神:市杵島姫命) 新田(御祭神:市杵島姫命) 重阪(御祭神:天尾羽張神)
しかも、葛城鴨系の味耜高彦根命・一言主神・事代主命が異名でないとすればさらに錯綜してくる。
要するに、そういう風土の 地なのだろう。
●迦毛大御神…大国主命の子 味鋤高彦根 ⇒土佐・伊予
  高鴨神社/上鴨(御祭神:味耜高彦根命 下照姫命[妹] 天稚彦命[妹婿] 田心姫命[母])
  志那都彦神社(御祭神:志那都比古神)…伝水稲栽培発祥地
○一言主神…出自不明 ⇒出雲・伯耆

  葛城一言主神社(御祭神:葛城一言主大神 幼武尊)
  葛木神社(御祭神:一言主大神)…役小角
○事代主命…大国主命の子

  鴨都波神社/下鴨(御祭神:都味波八重事代主命 下照比売命)
  長柄神社(御祭神:[長柄首祖神]下照姫命 or 八重事代主)
○意富多多泥古命…大物主の4代後継(三輪)

  多太神社(御祭神:太田々根子命)
  大穴持神社/三輪明神(ご神体:百日紅大樹 [大己貴命])
○御歳神…須佐之男命の孫(大年神の子)
   ⛩葛木御歳神社/中鴨(ご神体:御歳山[御歳神])

   ⛩鴨山口神社(御祭神:大山祇神)
   ⛩巨勢山口神社(御祭神:大山祇神⇒その後変更)
   ⛩野口神社(御祭神:神倭伊波礼毘古命 日子神八井耳命)
   ⛩葛木水分神社(ご神体:天水分神 国水分神)
○葛城氏(県主)
   ⛩高天彦神社(ご神体:神社背後の白雲峰 [高皇産霊神])
   ⛩葛木御縣神社(ご神体:劔根命)

○天神系賀茂氏⇒山城

  ⛩葛城天神社/鴨山(御祭神:国常立命)…加茂建角身命神跡
◇天孫
   ⛩国見神社(御祭神:瓊瓊杵尊 天兒屋根尊 田心比賣尊)

○修験道役小角
└○陰陽道賀茂氏
□山城賀茂氏@葛野…上下賀茂神社禰宜


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