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■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.8] ■■■
[97] 干支の紀年記載に拘るな
日本は現在でも様々な紀年方法が併存している。雑炊的文化を好む、日本的風土ならでは。
それを踏まえて、一言、書いておこう。
(現時点では元号が公的表記法。グローバル対応が不可欠なので、西洋の神名等由来の曜日表記と同じことで、実質上はキリスト紀元(西暦)が通用している。しかし、循環表記の干支や十二生肖が消滅した訳ではない。さらに、表だって使われることは希だが、神武紀元(皇紀)と、かなりレアとはいえ天孫紀元も存在している。この"通年型"和歴は19世紀に政治的必要性から制度化されたもので、それまでは不要だったようだ。東アジア全域に仏教が入ったにもかかわらず、仏年は理屈だけで、教団内でさえ使われることはなかったことでもわかるが。)

"「古事記」は史書と違い編年体で書かれてはいない。"と言う解説はその通りだが、それは叙事詩的な世界を描く以上、当然の編纂方針。そのことは、同時に、天皇代毎の年紀を記載するつもりはさらさら無いということでもある。
中華帝国では、皇帝による元号制定こそ、天子の証でもあるが、本朝では不要という点を「古事記」ははっきり示したともいえよう。
(皇帝は元号を受け入れさせ初めて地位が確立するが、天皇はもともと地位が確立しており、元号とは天皇を寿ぐためのもの。)

ここは、太安万侶の歴史観の基底に触れるところなので重要である。・・・

すでに触れたが、倭国は、朝鮮半島とは違って、隋の年号使用を拒否し、公然と非属国としての姿勢を見せたが、東シナ海の歴史の流れとしてはココこそ結節点と主張しているようなものだからだ。
(出土する鏡にどのような年号が記載されているか、さらに、非記載鏡と一緒にどのような形式で副葬されているかを俯瞰的に眺めると一発で古墳時代の政治状況がわかりそうな気がするが、そのような情報は見つからない。そのような検索にはつながらないデータ整理ならいくらでもあるが。)

要するに、海人の伝統もあって、倭国の外交は古くから活発だったから、相手先に合わせた元号表記と干支の世界が存在していたのだが、それはあくまでもそうした場面での限定利用。一般的には紀年表記は全く行われていなかったと思われる。従って、各天皇を紀年的時間軸上に位置付けるのは極めて困難なのである。
史書は流石に、情報が無いからといって、時間軸不明瞭な形式で纏める訳にはいかない。他書との整合性を考え、艱難しながら仕上げるしかなかろう。
一方、特定の知的読者だけを想定している「古事記」はそんな必要性皆無。言ってみれば、時間軸表記としては、マ、こんなところか、程度の情報を取り入れるだけで十分。

おそらく、編纂していて、感慨深いものがあっただろう。

高級官僚としての直観から、元号導入必至と見ていた筈だからだ。国際情勢もあるが、鎮護国家仏教が入り、教団化していくと、年号と干支を使うことになるのは自明だからだ。
(朝鮮半島のような属国化を避けたため、日本の紀年使用は極めて遅いが、逆に、通年型の公的制度化はおそらく一番早く、19世紀。西欧強国の植民地化の動きに抗する必要性から。流石に、孔子紀年でもなかろうから、民国紀年が始まり、これを引き継ぐ訳にもいかないので、ソ連を見習った毛沢東が西暦を導入に踏み切り、"公元"と称した。"紀元前"の概念があるので宗教色無しと見なしたようだ。当然ながら、民国歴とこの概念に欠ける宗教歴は抹消された。これを褒めるイデオローグが少なくないが、ゼロの概念を欠いている西暦ほ原点を曖昧にしており、非科学非合理温存の象徴そのもの。諾々とそれに従っただけに過ぎない。)

ということで、小生は、「古事記」情報をベースとした紀年表記化は無駄だと考える。「記紀」の検討はさらなり。

しかし、様々な推定方法で真摯な姿勢で試みられているのが現実。
そこで、ここでは最低限の整理だけ行って、全体を見ておくことにしよう。・・・

「隋書」で、文林郎 裴清使を倭國に派遣したのが608年のことで、「日本書紀」には[33]推古天皇十六年に大唐使人裴世清(世を外す習慣があることをわざわざ示している。)が登場するから、崩御の"戊子_3月15日発丑"を628年と見なすのは自然なこと。
(両国の歴史時間軸をここで合わせる政治的決定がなされたことを意味している。)📖海外の国が突然登場する理由
驚いたことに、太安万侶はここで同時に注意を喚起している。
この最後の一ヶ所の年月日だけ、特異的に、必要とは思えない該当干支を付記しているからだ。(日付の干支表示は註記でしかない。従って、本邦は、一般的には、干支に馴染みが薄いことを示唆しているとも言えるのかも。尚、干支の発祥は殷代だが、当初は年表記用ではなく日の方。)
しかも、3月15日は辛酉に当たるらしく、わざわざ間違いを書いていることになる。
そうなれば、それに気づいた読者は、「古事記」はマイナーな暦を使っていると思ってしまうかも。
要するに、一応、年月を記載しているものの、一番新しいこの箇所でも、ママ受け取らぬようにと語っているようなもの。
それは当たり前のことで、伝承話とは、なんらかの権力で庇護されたから残存しているのであって、そこには潤色・合成はつきもの。年号については、だいたいのところはこんなモノとして、受け取るようにとのお達しともいえよう。
小気味よし。

ちなみに、干支記載がある15件を、[33]から[10]へと、古い方へと順に当て嵌めていくと以下のようになる。
間隔が空き過ぎていると見なすなら、ご自分の頭で考えて欲しいということになろう。
例えば、60年周期でなく、古代農歴の習慣を引きずった30年循環の可能性もある訳で。15日を越える日付が一つも無いから、そう考えてみたりするだけのこと。

この表記の基準点は、上記でお示ししたように[33]代崩御年。
尚、参考程度にしかならないが、考古学的には、稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に🈑"辛亥"があり、[21]獲加多支鹵大王との推定文字列がある。471年と見られているが、531年説も。

   --- 崩御年の干支 ---
甲寅-乙卯-丙辰-丁巳-戊午-
     己未-庚申-辛酉-壬戌-癸亥-
甲子-乙丑-丙寅-丁卯-戊辰-
     己巳-庚午-辛未-壬申-癸酉-
甲戌-乙亥-丙子-丁丑-[10]戊寅12月
[11]+{12]
     -己卯-庚辰-辛巳-壬午-癸未-
甲申-乙酉-丙戌-丁亥-戊子-
     己丑-庚寅-辛卯-壬辰-癸巳-
甲午-乙未-丙申-丁酉-戊戌
     -己亥-庚子-辛丑-壬寅-癸卯-
甲辰-乙巳-丙午-丁未-戊申
     -己酉-庚戌-辛亥-壬子-癸丑-
甲寅-[13]乙卯_3月15日-丙辰-丁巳-戊午-
     己未-庚申-辛酉-[14]壬戌_6月11日-癸亥-
[-]
甲子-乙丑-丙寅-丁卯-戊辰-
     己巳-庚午-辛未-壬申-癸酉-
甲戌-乙亥-丙子-丁丑-戊寅-
     己卯-庚辰-辛巳-壬午-癸未-
甲申-乙酉-丙戌-丁亥-戊子-
     己丑-庚寅-辛卯-壬辰-癸巳-
[15]甲午_9月_9日-乙未-丙申-丁酉-戊戌-
[-]
     己亥-庚子-辛丑-壬寅-癸卯-
甲辰-乙巳-丙午-丁未-戊申-
     己酉-庚戌-辛亥-壬子-癸丑-
甲寅-乙卯-丙辰-丁巳-戊午-
     己未-庚申-辛酉-壬戌-癸亥-
甲子-乙丑-丙寅-[16]丁卯_8月15日-戊辰-
     己巳-庚午-辛未-[17]壬申_1月_3日-癸酉-
甲戌-乙亥-丙子-[18]丁丑_7月-戊寅-
[-]
     己卯-庚辰-辛巳-壬午-癸未-
甲申-乙酉-丙戌-丁亥-戊子-
     己丑-庚寅-辛卯-壬辰-癸巳-
[19]甲午_1月15日-乙未-丙申-丁酉-戊戌-
[20]
     己亥-庚子-辛丑-壬寅-癸卯-
甲辰-乙巳-丙午-丁未-戊申-
     己酉-庚戌-🈑辛亥-壬子-癸丑-
甲寅-乙卯-丙辰-丁巳-戊午-
     己未-庚申-辛酉-壬戌-癸亥-
甲子-乙丑-丙寅-丁卯-戊辰-
     [21]己巳_8月_9日-庚午-辛未-壬申-癸酉-
[22]+[23]+[24}+[25]
甲戌-乙亥-丙子-丁丑-戊寅-
     己卯-庚辰-辛巳-壬午-癸未-
甲申-乙酉-丙戌-丁亥-戊子-
     己丑-庚寅-辛卯-壬辰-癸巳-
甲午-乙未-丙申-丁酉-戊戌-
     己亥-庚子-辛丑-壬寅-癸卯-
甲辰-乙巳-丙午-[26]丁未_4月_9日-戊申-
     己酉-庚戌-r">辛亥-壬子-癸丑-
甲寅-[27]乙卯_3月13日-丙辰-丁巳-戊午-
[28]+[29]+[30]
     己未-庚申-辛酉-壬戌-癸亥-
甲子-乙丑-丙寅-丁卯-戊辰-
     己巳-庚午-辛未-壬申-癸酉-
甲戌-乙亥-丙子-丁丑-戊寅-
     己卯-庚辰-辛巳-壬午-癸未-
甲申-乙酉-丙戌-丁亥-戊子-
     己丑-庚寅-辛卯-壬辰-癸巳-
甲午-乙未-丙申-丁酉-戊戌-
     己亥-庚子-辛丑-壬寅-癸卯-
>[30]甲辰_4月_6日--乙巳-丙午-[31]丁未_4月15日-戊申-
     己酉-庚戌-辛亥-[32]壬子11月13日-癸丑-
[-]
甲寅-乙卯-丙辰-丁巳-戊午-
     己未-庚申-辛酉-壬戌-癸亥-  …600年
甲子-乙丑-丙寅-丁卯-戊辰-
     己巳-庚午-辛未-壬申-癸酉-
甲戌-乙亥-丙子-丁丑-戊寅-
     己卯-庚辰-辛巳-壬午-癸未-
甲申-乙酉-丙戌-丁亥-[33]戊子_3月15日-  …628年
     己丑-庚寅-辛卯-壬辰-癸巳-

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