→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.14] ■■■ [103] 命以言依と事依の世界 そう思わない人は、「古事記」とまともにつきあうことはかなり難儀なのでは。 (現代感覚で言えば、本文と合わない序文は後世創作との疑問が沸いてくるだろうし、おかしな系譜や似た名前を平然と並べてあったりすれば、その余りのいい加減さから、半分素人に手伝わせたりするゴチャゴチャ編纂が行われていると見なしたくなろう。事績紹介ゼロの箇所だらけで、それに意味があるとも思えず、要するに、この書はパトロンの言いなりで作成されているため、何も書けなかったのだろうと推測することになる。と言うことは、全編にわたって、政治的潤色だらけかも知れぬと考えながら読むことになる。と言っても、どういう姿勢で改竄するのかわからないから、とりあえず天皇崇拝にプラスになるように書いてあるのだろうという視点で考えることになるが、何がプラスなのかは通説で決めるしかなかろう。) 小生は、全体構造から見て、プロフェッショナルの作品と見るので、ヘンテコに映る部分や矛盾が放置されているように見えたら、それは何らかのメッセージを伝えようと工夫してあると見る。 当たり前だが、表だって書けないからで、そこにどのような意味があるか簡単に読み取れる筈はないから、これも又難儀だが、全体を眺めてくれれば理解できるように書いてあるに違いない。 「古事記」を読む醍醐味はそこにある。 例えば、こういうこと。・・・ パトロンに対して、「解明できない過去の経緯もございまして、ご指示の観点で、カットすべきでないと思われる箇所は、そのママ収載することに致しました。」と称した可能性は高かろう。もちろん、実際はそういうことではなく、恣意的に矛盾を露呈させ、それによって、主張を展開しようとの手口。要するに、命じられた方針を逆手にとって、如何ともしがたいとして、パトロンがご不満な内容の書を仕上げようと打って出たのである。 小粒な例をあげておこう。 天鳥船神と建御雷神が到着した出雲國伊那佐之小濱のシーン。 大國主神は"我子八重言代主神"と言っているにもかかわらず、御大之前に出かけているその神は、突然名前が変わって、"八重事代主神"となる。 亦の名と記載してある訳ではなく、いかにも出鱈目な借字方針に映る。しかし、全体を眺めると、万葉集よりはるかに厳格な文字使用がなされているのは間違いない。にもかかわらず、こんなことをするのが、「古事記」の一大 特徴。 そうなれば、"言⇔事"という、実に曖昧な概念が容認されている"風土"なのでご注意あれ、との文章と考えざるを得まい。(誤解を招き易いので一言:分析結果から"言⇔事"が導かれることなど有りえない。太安万侶流概念を想定して眺めると、この部分はこうも読めるかも、というに過ぎない。重要なのはあくまでも概念で、分析にたいした意味は無い。) "言向和平"が建御雷神譚と倭建命にのみ登場していることについて書いたが、これも太安万侶の風土論と見なすこともできる。 それは、現代社会にも通用するものとなっているので、その洞察力には恐れ入る。 要するに、統治している「神」の言には威力があり、言われた者はその使命を全うするしかないのである。 葦原中國に居る伊邪那伎命は、あくまでも命を受けた側であり、天神として活動できる訳ではない。従って、命を下すことはできないし、下された言なくば、"言依"もできない。できるのは、"事依"なのだ。上記で述べたように、"言⇔事"ではないことがわかる仕掛け。 もちろん、伊邪那岐大御神と化せば、"命以"を始めることになる。 しかし、同様に、葦原中國で"言依"すべき立場にいながら、"命以"を無視している場合は、"言趣"とされるし、"命以"にもかかわらず、それを受けて命として活動がはじまらないと、"言因"となる。 実に細かい。 そして、初代天皇をもって"命以"時代が終わると、詔の時代になり、"言向"に替わるのだ。 しかし、それも"言擧"の悲劇的結末で失われて行くのである。 「萬葉集」ではここらのことを、"言霊"として歌に残しているが、当然ながら「古事記」はそのような用語は使わない。そのような単純な概念ではないからだ。 ㊤淤能碁呂嶋 於是《天神 諸》①命以 詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神 「修理固成是多陀用幣流之國」 賜天沼矛 而 言依賜也 ㊤生子水蛭子・淡嶋 於是二柱神議云 今吾所生之子不良 猶宜白天神之御所 即共參上 請天神之命 爾 《天神》之②命以 布斗麻邇 爾 ト相 而 詔 之: 「因女先言而不良・・・ ㊤三貴神分治 《伊邪那伎命》大歡喜・・・ 即 其御頸珠之玉緒母由良邇 取由良迦志而 賜 天照大御神 而 詔 之: 「汝命者 所知高天原矣」 事依 ☚事 而 賜也 故其御頸珠名謂御倉板擧之神 次 詔 月讀命: 「汝命者 所知夜之食國矣」 事依也 ☚事 次 詔 建速須佐之男命: 「汝命者 所知海原矣」 事依也 ☚事 ㊤速須佐之男命欲妣國 故 伊邪那岐大御神 詔 速須佐之男命: 「何由以汝 不治所事依之國 ☚事 而 哭伊佐知流」 ㊤欲往妣國以哭 速須佐之男命答白: 「僕者無邪心 唯 《[伊邪那岐]大御神》之㊚命以 問賜僕之哭伊佐知流之事故・・・ ㊤稻羽之裸菟 先行《八十神》之㊇命以 誨告: 「浴海鹽當風伏」 ㊤天降-天忍穗耳 《天照大御神》之⓿命以 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者 我御子 正勝吾勝勝速日天忍穗耳 命之所知國 言因賜而 ☚因 天降也 ㊤天降-神集 爾 《高御產巢日神 天照大御神》之❶命以 於天安河之河原 神集八百萬神集 而 思金神 令思 而 詔 「此葦原中國者 我御子之所知國 言依所賜之國也 故以爲於此國道速振荒振國神等之多在 是使何神 而 將言趣」 ☚趣此の国に道荒振る多くの国ッ神等 ㊤天降-天若日子 問天若日子状者: 汝所以使葦原中國者 言趣和其國之荒振神等之者也 ☚趣其の国の荒振る神等 何至于八年 不復奏 ㊤天降-天鳥船神副建御雷神 是以此二神。降到出雲國伊那佐之小濱而・・・ 問其大國主神言: 《天照大御神 高木神》之❷命以 問使之 汝之宇志波祁流葦原中國者 我御子之所知國 言依賜 故汝心奈何 ㊤天降-建御雷神復奏 故 《建御雷神》 返參上 復奏: 「言向和平葦原中國之状」 ㊤天降-天忍穗耳命 爾 《天照大御神 高木神》之❸命以 詔太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命: 「今平訖葦原中國之白。故隨言依賜 降坐而知看」 ㊤天降-邇邇藝命 科詔 日子番能邇邇藝命 此豐葦原水穗國者 汝將知國 言依賜 故隨❹命以 可天降 ㊤天降-天宇受賣神 爾 日子番能邇邇藝命 將天降之時 居天之八衢而 上光高天原 下光葦原中國之神 於是有 故 爾 《天照大御神 高木神》之❺命以 詔天宇受賣神: 「汝者雖有手弱女人・・・ 以下、平定関係は再掲。 ㊥熊野山之荒神 故天神御子 問獲其横刀之所由 高倉下答曰: 「己夢云 《天照大神 高木神》 二柱神之❻命以 召建御雷神而詔: "葦原中國者 伊多玖佐夜藝帝阿理那理 我之御子等 不平坐良志 其葦原中國者 專汝所言向之國 故 汝建御雷神可降"」 爾答曰: 「僕雖不降 專有平其國之横刀 可降是刀」 ㊥八咫烏 於是 亦 《高木大神》之❼命以 覺白之: 「天神御子 自此於奧方莫使入幸 荒神甚多 今自天遣八咫烏 故其八咫烏引道 從其立後應幸行」 ㊥八十建 故 爾 《天神御子》之🈗命以 饗賜八十建 ㊥畝火之白檮原宮 故如此 言向平和荒夫琉神等 退撥不伏之人等 而 坐畝火之白檮原宮 治天下也 ㊥吉備國 大吉備津日子命 與 若建吉備津日子命 二柱相副而 於針間氷河之前 居忌瓮而 針間爲道口以言向和吉備國也 ㊥御眞木入日子印惠命/崇神天皇 又此之御世 大毘古命者 遣高志道 其子建沼河別命者 遣東方十二道 而 令 和平其麻都漏波奴人等 ㊥大毘古命 亦斬波布理其軍士故 號其地 謂 波布理曾能 如此平訖 參上覆奏 故大毘古命者 隨先命 而 罷行高志國 爾 自東方所遣建沼河別 與 其 父大毘古共 往遇于相津 故其地謂相津也 是以 各和平所遣之國政 而 覆奏 ㊥倭建命 於是 天皇([12]大帶日子淤斯呂和氣天皇/景行天皇)惶其御子之建荒之情 而 詔之 西方有熊曾建二人 是不伏无禮人等 故 取其人等 而遣・・・ 殺也・・・ 稱御名謂倭建命 然 而 還上之時 山神河神 及 穴戸神 皆言向和 而 參上 即入坐出雲國・・・ 打殺出雲建・・・ 爾天皇 亦頻詔倭建命: 「言向和平東方十二道之荒夫琉神 及 摩都樓波奴人等・・・ 「天皇 既所以思吾死乎 何撃遣西方之惡人等 而 返參上來之間 未經幾時 不賜軍衆 今更平遣 東方十二道之惡人等・・・ 故到尾張國 入坐 尾張國造之祖 美夜受比賣之家 乃雖思將婚 亦 思還上之時將婚 期定而 幸于東國 悉 言向和平山河荒神 及 不伏人等・・・ 自其入幸 悉 言向荒夫琉蝦夷等 亦 平和山河荒神等・・・ 自其國越科野國 乃 言向科野之坂神 而 還來尾張國・・・ : 騰其山之時 白猪逢于山邊 其大如牛 爾 爲言擧 而 詔 是化白猪者 其神之使者 雖今不殺 還時將殺而 騰坐 於是零大氷雨打惑倭建命 【此化白猪者 非其神之使者 當其神之正身 因言擧見惑也】 : 於是化八尋白智鳥・・・ : 凡此倭建命 平國廻行之時 久米直之祖 名七拳脛 恆爲膳夫以 從仕奉也。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |