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■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.23] ■■■
[112] 別天神をどう位置づけるか
"神世七代"について、「記紀」がよく似ていて、どうして倭風のではなく、道教的ななのか、考える要ありと書いた。📖神代七代は意味深長
これが大倭国の生まれを著わす常套用語のようだから。

「古事記」を論じるときに、必ずと言ってよいほど行われる「記紀」比較と同類に映るので、できればこの様な検討を避けたかったが、こればかりは、取り上げないと太安万侶の考え方がわからないから致し方ない。(小生は、「紀」に於ける"一書は云々"と言う記載は追記参照用ではなく、本文に不可欠なものを並べただけ。緻密に体系化が図られているのは明白。例えば、高皇產靈尊は巻一の「一書」に書かれているだけなのにもかかわらず、巻二では冒頭から突如として本文に何回も名前が出てくる。官僚集団の智慧の結晶とも言うべき仕上がり。)
しかし、一書を抜き出して比較するようなことをする訳ではないので、念のため。そのようなことをしても、「古事記」理解にプラスに働くとは思えないからだ。

はっきり言って、そのような形で両者を比較すれば、「古事記」はナニガナニヤラ的書に映ってしまってもおかしくない。
その結果、「古事記」は粗野だが、だからこそ魅力的。伝承話をママ引用している書と見なすことになりかねない。

そうした流れには巻き込まれないようにしたいもの。・・・

どうして、そんなことをクドクド書くかと言えば、太安万侶は、頭抜けた知識人と見なしているから。
換言すれば、「酉陽雑俎」や「今昔物語集」の著者とほとんど同じ姿勢で著述していると確信しているのだ。揶揄したり、冗談もあろうし、徹底的な批判も含め、自由自在。ただ、越えられない一線はあるし、著述環境を保つために自ずと考慮せねばならないことも多々ある。
それを踏まえて読むことが必要ということ。

つまり、リスクを勘案しながら、叙事詩を収録し、それを通して倭人社会の変遷を提起している書と見るのである。"書いてあることは、すべて得た情報"で、単に編纂しただけとの体裁を遵守することで、我が身を護りながら、ギリギリで許される線で主張を盛り込んでいることになる。

つまり、神代七代の扱いを検討するということは、その実態を探る試みに当たる。

と言うことで、史書との比較をする訳だ。
特に、冒頭での違いは極めて大きい。
どころが、すでに取り上げてように、神代七代については驚くほどの類似性を示している。そこだけ見れば、8代から、それぞれが異なる1代を抜いて7代にしているように見えるほど。
しかし、だからといって、両者がそのように図ったと考える必然性は無い。その前段階に、「古事記」は別天神5柱が控えているのに、史書は"古天地未剖 陰陽不分・・・"からすぐに神代七代が始まるからだ。

常識的に考えれば、神代の時代から始まるのだから、史書の書き方がまともであり、そこに別天神が登場するというのはいかにもわかりずらく、それこそ後から加えたように見えてもおかしくない。
しかし、「古事記」はそれを避けようとはしていない。別天神は重要な存在と指摘しているに等しい。

長々と前段話をしてしまったが、別天神記載の重要性を理解するには、この話が不可欠だからだ。・・・
史書とは、最初に登場する神から、天孫・初代天皇に至るまでの皇統譜を整然と描くことこそを最優先する書である。これをゴチャゴチャにするのは最悪であり、「別」天神とは分岐とか並列を意味するものであり、無視して当たり前であろう。
一方、「古事記」は、改竄された系譜が目立つから、まともな系譜を書けとの命を受けており、存在していた神を勝手に削ることは避ける立場。「別」天神記載は不可欠とならざるを得ない。しかし、同時に、天皇勅命であるから、その意向に沿って編纂することになる。それは、太安万侶の歴史観と違っていてもおかしくないが、それを否定したり、訂正を加えたりすることはできかねるから、そこをどう表現していくかが試案のしどころ。おそらく、伝承毎の余りの違いにに直面し、稗田阿礼と相談しながら、大胆に編集しただろう。

後世作成の系譜を眺めると、そうあってもおかしくないと感じさせられるからである。

なかでも以下の3書は必見である。
 ●14世紀の元朝作成の「宋史」
 ●推定10世紀末作成の「住吉大社神代記」
 ●推定10世紀初頭作成の「先代舊事本紀」


いずれも、国書である「日本書紀」とは大違いで、すべてが、初は天御中主尊。「宋史」では、尊号はその後継の神からで、特別扱い。驚くことに、大勢は、史書の見方に賛同しなかったことになる。
この辺りの意味は別途見ることにしよう。

「宋史」には別天神という、わかりにくい箇所は無く、前段8代+後段8代構成のようで、伊奘諾尊がその最後になり、皇統に引き継がれる。前・後段には、國狹槌尊と國常立尊が含まれており、国ができていく様を示している印象を与える。さらに、それぞれに"天"が付く神が4柱と2柱入っているが、「古事記」では耳慣れない神名だらけである。

「住吉大社神代記」は極めて簡素化されており、天御中主尊を含む三神で始り、伊装諾尊+伊装冉尊で終わる8神構成と、初3柱+次8柱であることを示唆していそうだ。獨化とは純男ということと考えていることもわかる。8柱には天なる冠用語は使われていないのも特徴と言えそう。

上記だけでも、かなりのことが見通せる。
「古事記」では印象的な神であり、小生など、これぞ倭の神に映る宇麻志阿斯訶備比古遲神は両者共にに記載が無い。いかにも具象であり、天御中主神はいかにも形而上そのものだから、その依り代/物実に映るから、繋げることに躊躇するのは自然な姿勢だと思われる。
逆に言えば、倭の信仰の本質は依り代の方とも言えそう、天御中主神と言う名称はつけてはいるものの、実際のところは"原"という半具象的な"場"のコンセプトを体現していると考えるべきだろう。
あまりに形而上なので、後から付け加えられたようにも見えるが、おそらく逆で、一番古層の信仰なのだろう。
ただ、その神を最高神にすると、どうしても3神構造もついてくるので、支所としては受け入れ難いものがあったと思われる。

そこらの事情が見えてくるのが、「先代舊事本紀」の記載である。本居宣長によると、蘇我馬子[撰]などまさしく偽書ということになるが、そんなことはどうでもよく、実質的に神道の神典である点が重要、

つまり神祇"官"お墨付きの系譜ということ。従って、これは太政官より高位の神祇官の家系そのものと言える、中臣-藤原氏の系譜と深く係わっていると見てよいだろう。天兒屋命が全体の系譜とどのように繋がっているかだいたいのところを把握すれば、「古事記」の系譜構造作成のヒントが得られること間違いなしである。
一目瞭然だが、別神の流れが、明瞭に示されている。つまり、皇孫の系譜上から分岐した訳ではなく、初発の天御中主尊から分岐しているとされている。天孫系列と天兒屋命-中臣-藤原は並んでいることになる。簡単に言えば、伊邪那岐~-天孫系と高木神-臣下系となる。

ソリャ〜、偽書とされるのも無理はかろう。
しかし、その手の系譜が古くから存在していた可能性もあり、太安万侶はそのような系譜を切り捨てた"正統"系譜を纏める役割を仰せつかったとも言える。
極めて悩ましい仕事である。

そんな風に考えると、太安万侶が伝えたかった全体構造とはこういうことではなかろうか。・・・

🈠《造化神》
├┬┬──┐
│││  <具象的神>
││㊀《神代七代 双神》
㊁《天国八神》
㊂《別天神七柱》

つまり、神々が生まれる初元の神から、全く観念が異なる系譜が並列で存在していることになる。
それぞれの系譜の中身は確定してはいないが、性情に合わせた様々な伝承があると思われる。このような分並列系譜が受け入れられる素地は無いから、重層的な構造にして、雑炊的に一本化するしかなかろう。

㊀天孫系は双神系ということ。「古事記」は天孫に繋がるのはあくまでも5対偶神。それを道教的な神代七代に組み込んだようにも思える。かなり古くから道教的観念が入っていたことを意味していそう。
㊁中華帝国の天と地という観念が、国家意識に乗って生まれたのが、天神と国神だと思われる。倭の聖数8に合わせた対になっているし、ペアであるといっても、天孫の双神系とは全く異なる。
㊂一番新しい概念が道教を受け入れた別天神と言えよう。
星々の天信仰と見てもよいと思われる。「別」とするのであるから、天孫系とは独立している天の神々ということになろう。「古事記」には冒頭に別天神5柱が登場するが、道教的な最高神を入れるのであるから、造化3神はここに該当することになろう。

さらに一歩進めて語るなら、太安万侶が示したかった倭の特質とは、この重層構造ともう1つある。

天御中主尊+宇麻志阿斯訶備比古遲神+豐雲野神という、特別3神の存在である。
道教の至上3神と同じ3柱だが全く異質。
この3神は、天神や国神に所属するという性格を超越しており、中華帝国的な神々の官僚的ヒエラルキーには位置付け難いからだ。
いずれも、神々が交流する"場"の神と説明するしかないが、だからと言って、宮廷や宮庭、はたまた城や邑という具体的な場所を意味する訳ではなく、あくまでも心象風景としての"場"。中華帝国の神々と違って、極めて情緒的で曖昧だが、倭では、だからこそ人々がしみじみと感じ入るのであり、微に入り細に入り具体性を与えて実感性を上げる必要は無いどころか、それが逆効果しか生まない。
太安万侶は早くからこの点に気付いていたようで、余計な説明は一切していない。

従って、この3神は特"別"神と言ってよいだろう。

本流の天孫系と"別"な天神系列ではないし、地祇にも属していないという意味。ただ、そのような場所が別途存在する訳ではないので、記載上はどこかに当て嵌めることにはなるが。
例えば、葦牙は地の生命体。そこには繁茂する青草の地の息吹も背負い込んでおり、そこに天から神が憑依してきたイメージが生まれている。それこそが宇麻志阿斯訶備比古遲神であり、天と地を結び付ける神に他なるまい。
一方、青草が繁茂する地上が一面雲に覆われた状態こそが豐雲野。これは、地と天が峻別された状態であり、地に神々が溢れる神々しい雰囲気が生じたことを意味していよう。
どちらも天と地の関係性と言うか、神々の交流を意味していると考えることができよう。
これこそ、倭の独自性そのもの。

「宋史」「住吉大社神代記」「先代舊事本紀」記載の系譜は以下に示しておくが、「先代舊事本紀」に藤原氏等の系譜を繋げて、上記の重層的全体構造を取り入れて整理してみた系譜も作ってみた。
これ自体にたいした意味はなく、お遊びであるが、毛色が違う観念が3本並列に存在していることが見てとれよう。漢字読みが呉・唐・倭の3種併存だし、文章も漢文・読み下し・和語の併存という文化と同様に、神の系譜も重層的ということのようだ。
そうそう、日本語自体も重層言語だと思われる。祖から一直線の語族系統分岐では語りようがないのである。・・・📖訓読みへの執着が示唆する日本語ルーツ

【「宋史」1343年@元 巻四百九十一列傳第二百五十外國七#4日本國】
日本國者 本倭奴國也・・・
其年代紀所記云

 「初主號
天御中主
  次曰➀
村雲尊 其後皆以「尊」為號 次➁八重雲尊
  次➂
彌聞尊 次➃忍勝尊
  次➄瞻波尊 次➅萬魂尊 次➆利利魂尊
  次➇
狹槌尊
  次➀角龔魂尊 次➁津丹尊 次➂面垂見尊
  次➃
常立尊
  次➄
鑑尊 ➅萬尊
  次➆沫名杵尊 次➇
伊奘諾尊
   次素戔烏尊 次天照大神尊
   次正哉吾勝速日天押穗耳尊 次天彥尊 次炎尊 次彥瀲尊
   凡
二十三世 並都於筑紫日向宮
   彥瀲第四子號 神武天皇 自筑紫宮入居 大和州橿原宮・・・」


【「従三位住吉大明神大社神代記/住吉現神大神顕座神縁記」731年(推定成立10世紀末)】
于時天地之中生一物
状如葦牙 便化為神
天御中主尊(一書曰 国常立尊)
次 国狭槌尊
次 豐斟渟尊
  凡
三神
乾道獨化 所以成此純男
次有神 土尊
次 沙土尊
次有神 大戸之道尊
次 大苫邊尊
次[有神] 面足尊
次 惶根尊
次[有神]
伊装諾尊 伊装冉尊
  凡八神

【重層的系譜】
🈠《造化神》
天御中主尊❶  ❷ ❸
↑<抽象的> ↓<具象的>
├┬┬──┬┐
│││┼┼│〇宇麻志阿斯訶備比古遲神》
│││┼┼〇豐雲野神
│││
││└─┐㊀《神代七代 双神》
││┼┼
││ 🈚 
││ 🈚 
││  <男女対偶神による産み出す力が徐々に高まる。>
││ ➂宇比地邇~ [妹]須比智邇~
││   …「泥/砂泥(比地/須比智)」・・・7代目の原型
││ ➃角杙~ [妹]活杙~
││   …「杭(杙)」・・・原型の兆し
││ ➄意富斗能地~ [妹]大斗乃辨~
││   …「と(斗)」・・・性器
││ ➅於母陀流~ [妹]阿夜訶志古泥~
││   …「─」・・・揃ったことを称賛
││ ➆伊邪那岐~ [妹]伊邪那美~
││   …「誘(伊邪)」
││┼┼┼┼┼┼┼ ➥三貴神
││┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ➥天孫
││
│└─┐㊁《天国八神》
┼┼↓ 
 【別天神五神の第5柱】
 〇之常立神
 【神世七代の初代】
  〇之常立神
 【神生み】【山野生活文化系】…大山津見~・野椎~二~因山野持別而生~
 ➀之狹土~[訓土云豆知下效此]
  ➁之狹土~ 駒形神社@水沢
 ➂之狹霧~
  ➃之狹霧~
 ➄之闇戸~
  ➅之闇戸~
 ➆大戸惑子~
  ➇大戸惑女~

㊂《別天神七柱》《獨化天神第六世之神》

[別]天八下魂尊

[別]天三降尊

[別]天合尊/天鏡尊

[別]天八百日尊

[別]天八十萬魂尊

[別]高皇產靈尊/高魂尊/高木命
├┐
││
🈚[別]神產巢日神だろうか?
┼┼┼少名毘古那神@常世國
┼┼┼天神玉命─天櫛玉命─鴨建角耳命
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼《下鴨神社社家系譜》
┌┴┬┬┬┬┬┬・・・
┼┼┼《諸氏系譜》
《藤原氏系譜》
[別]天兒屋命天児屋根命/…祝詞奏上@天岩屋戸 五伴緒@天孫降臨
[祖]中臣連…神祇官
[宮司/社家]伊勢神宮 鹿島・香取神宮 松尾大社 気比大社 平野神社 梅宮神社
[ご祭神]枚岡神社 春日大社 吉田神社 大原野神社

└┬△

└┬△
┼┼
┼┼└┬△
┼┼┼
┼┼┼└┬△
┼┼┼┼
┼┼┼┼└┬△
┼┼┼┼┼
┌────┘
以下 Wiki
〇梨津臣命
≒"遣魏使"難升米命

〇神聞勝命
/大中臣神聞勝命@崇神朝[「常陸国風土記」香嶋郡]

〇久志宇賀主命─〇国摩大鹿島命┐
┌──────────────┘
〇臣狭山命
└┬△弥麻志姫命
([忌部首祖]玉櫛命の娘)
┌┘
〇中臣烏賊津─〇雷大臣命┐
┌───────────┘
〇大小橋命
…@御勝山古墳
《卜部氏分岐》
〇中臣阿麻毘舎卿
《中臣連》
〇中臣阿毘古─〇中臣阿麻毘舎卿─〇中臣阿毘古┐
┌─────────────────────┘
〇中臣常盤─
〇中臣真人─〇中臣鎌子─〇中臣黒田┐
┌──────────────────────┘
〇中臣可多能祜


中臣御食子
└┬△大伴智仙娘(大伴囓子の娘)
┌┘
中臣鎌足[614-669年]
《藤原氏》
└┬△与志古の娘
├┬・・・
(僧)定恵/藤原真人
┼┼藤原不比等[659-720年]

【蘇我馬子:「先代舊事本紀」(天地開闢〜推古天皇)卷一神代系紀)》
【天祖】
  天讓日天狹霧國禪月國狹霧尊…独自
<俱生天神>

  天御中主尊/天常立尊
  可美葦芽彥舊尊

  國常立尊/國狹立尊/國狹槌尊/(葉木國尊)
  豐國主尊/豐斟渟尊/豐香節野尊/淨經野豐買尊/豐齧別尊
  [別]天八下尊<獨化天神第一世之神>
<耦生天神>

  角杙尊/角龍魂尊
   +[妹]活杙尊
  [別]天三降尊<獨化天神第二世之神>

  泥土煮尊/泥土根尊
   +[妹]沙土煮尊/沙土根尊
  [別]天合尊/天鏡尊<獨化天神第三世之神>

  大苫彥尊/大戶之道/大富道/大戶摩彥
   +[妹]大苫邊尊/大戶之邊/大富邊/大戶摩姬
  [別]天八百日尊<獨化天神第四世之神>

  青橿城根尊/沫蕩尊/面足尊
   +[妹]吾屋橿城根尊/惶根尊/蚊鴈姬尊
  [別]天八十萬魂尊<獨化天神第五世之神>

  [天降陽神]伊弉諾尊
   +[天降陰神][妹]伊弉冉尊<七代天神>
  [別]高皇產靈尊/高魂尊/高木命<獨化天神第六世之神>
<八代天神>+<天降之神>
  [高皇產靈尊 兒]
    天思兼命…天降信濃國阿智祝部等祖(信濃國伊那郡阿智神社)
    天太玉命…忌部首等祖
    天忍日命/神狹日命…大伴連等祖
    天神立命…山代久我直等祖
  [兒]
    天御食持命…紀伊直等祖
    天道根命…川P造等祖
    天神玉命…葛野鴨縣主等祖
    生魂命…豬使連等祖
    津速魂尊
  [兒]
    市千魂尊
  [兒]
    興登魂命
  [兒]
    天兒屋命…中臣連等祖
    武乳遺命…添縣主等祖(大和國添下郡添御縣坐神社)
    振魂尊
  [兒]
    前玉命…掃部連等祖
    天忍立命…纏向神主等祖
    萬魂尊
  [兒]
    天剛川命…高宮神主等祖(河內國讚良郡高宮神社 高宮大社祖神社)

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