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■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.31] ■■■
[30] 訓読みへの執着が示唆する日本語ルーツ
🗣「古事記」は訓読みにトコトン拘っている。
序文の出来から見て、漢文には自信があったことは間違いないが、命を受けたこともあり、叙事詩として残しておきたかったのだろう。
このことは、日本語の位置付けが大いに気になっていたということでもあろう。仏教について一言も触れていないが、すでに相当数の経典が渡来していたから、読んでいない筈はなく、すべて漢語への翻訳モノだが、元の経典とは釈尊の言葉を文字化したものであることは知っていたと見てよいだろう。

そうだとすれば、すぐに気付いておかしくない。・・・
中華帝国では、まず「書」ありきだが、天竺は「口誦」ありき。天竺の経典とは書ではなく、口誦の叙事詩なのだ。
考えてみれば、それなら本朝と同じでは、と。つまり、そんな感覚で、稗田阿礼の口誦を文字記録した可能性が高いということ。

そんな気分はわかる気がする。史書編纂にたずさわり、道教になぞらえた記載にすることに決定したが、時代性を考えればそれしかあるまいと思うものの、実際は全く違うので、なんとしても記録を残しておきたかったのと違うか。

そのように考えていると、日本語ルーツについても色々と考えさせられてしまう。
太安万侶も、書き下ろしていて、漢語との余りの違いに驚いたに違いない。なんだ、天竺の言葉の方が似ているではないか、と思ったかはなんとも言い難しだが。

そんなことを考えていて、今迄感じていたことが、なんとなくひとつにまとまってきたので書いておきたくなった。・・・
 📖日本語は雑種言語なのでは
 📖日本語だけは、類縁性検討に特別な方法論が必要そう」
 📖眼で見ると、日本語は海洋民族語
 📖日本語の一大特徴はオノマトペ

それにしても、漢字という表意文字を、表音文字にして使うという発想は凄すぎ。
言葉ありきの世界は、言語とは信仰そのものであり、文字化するなら必ず表音文字となる。一方、人民統制ありきの国家樹立が第一義的に重要なら、文書化こそが言語の役割となるので表意文字の書となろう。
日本語の場合、どちらを選んだのかさっぱりわからない。

このことは、文字のコミュニケーションに重きをおかない人達もいることを意味しているのでは。
地域が異なれば、統治形態も宗教も違うが、そんなことを気にせず交流したいなら、文字など作っていられまい。マルチリンガルになるしかなく、そのような能力のある人が、飛び歩く世界もあったのでは。
日本語は、そのような人々のために用意されたような言語と言えまいか。そのように設計されたのではなく、そのような社会ができあがってしまったので、言語がその特徴を残していると見る。

母音は少なく、変形といっても長母音だけで、子音が重なることもない。類似の発音が入ってきても、すべてそのなかの音と見なす。
文法類の複雑化も徹底的に嫌っているようだし。
「古事記」の文章表現は、そんな諸々のことを思い起こさせてくれる作品に仕上がっているから、感心させられる。・・・

関係代名詞や特別な接続詞で複合文章をつくることはしない。基本は短文の羅列。接続詞もなるべく使わない。使っても、たいした意味は与えられず、感嘆詞的に情緒を付与しているにすぎない。

文章は、本来的には、世界で通用するSОV型。ただ、主語が自明なことが多いから、Sは出来る限り省略。このため、Sが必要であっても、誤解を生じないなら、どこに入れてもかまわない。
そんなこともあって、一見、順番の規則が曖昧に見えるが、個々の要素の文章内位置で意味が変わる訳ではない。それぞれが一意的に規則に従っているから、並べ方を変えても誤解を与えることは滅多に無い。

動詞は活用するものの、規則性が極めて高く、不規則変化は僅かな例外でしかない。
一方、名詞は絶対に変化しない。このため語幹や語尾という概念は一切不要である。しかも、性や格といった煩雑な分類概念を全く取り入れていない。単数・双数・複数といった数や集合概念も排除しており、数や種類を表現したい場合は別途修飾用語を付け加えることになる。この場合、種類表現に間違いがあっても、名詞の意味が通じていれば、取り違えることはない。

文章中での名詞の位置付けを示す格表現が無いので、それを伝えるための助詞が不可欠となるから、接尾辞を付けることになる。この場合、動詞との関係を示す接置助詞は限定した数しか存在しない。つまり、どの名詞にも使える汎用。言うまでもないが、文章の基幹たるSやOを示す格助詞の場合は、厳格さが要求され、他の格で同一助詞が用いられることは絶対に無い。
同様に、動詞にも、意味を拡大する接尾辞的に使える助詞が存在することになる。

単語の複合化も可能で、この際、繋ぐための助詞が必要となるが省略も可能。このような使い方をする以上、"話し易さ"のため、どうしても音便や母音調和が生じてしまう。しかしながら、このルールは自然発生性重視。極めて単純で、ほぼ例外無し。すぐに覚えることができる程度にとどめている。

動詞には活用しない副詞、名詞には形容詞という修飾語があり、必ず前方に於く。

小生は、この言語は容易に重層化できるように設計されているとみた。

つまり、古層として、スンダ大陸が存在していた頃の言語が残っている可能性がある。ドラヴィダ(タミル)の息吹を感じさせて当然である。
さらに、黒潮の島嶼文化も現れていそう。隼人系の言葉には、おそらくかなり残っているだろう。
そして、中華大国が中原から広がっていった頃に押し出された勢力の言語である江南地域の言語が加わる。
ただ、ツングース系なら必ず現れる重子音は避けているし、漢語は"外国としての帝国中央語"と見なし、単語借用だけ。
そういう重層言語なので、孤立した言語に映るのは致し方あるまい。


小生的再編分類は以下の様になる。

ちなみに、❶〜❹はインド亜大陸に現存する4言語群であり、超古代からの変遷の様子を残している。(ついでながら、インドの公的調査による言語一覧は明らかに政治的なものであり、信用すべきでない。常識的に考えて、かなり不自然だからだ。方言扱いの方針は曖昧な上、多くの非サンスクリット系の異言語集団を恣意的に記載していない可能性が極めて高い。)カーストとは、もともとは、この4群の人々の肌の色の違いを意味した言葉ということになる。出アフリカ大移動ルートの違いから分化した人達のハシリと見てよいだろう。それが亜大陸で混じり合い生活することになり、次第に雑種化し、言語も相互浸透し始めたので、王権を握る人達が身分制度用語として使うことになったと考えるのが自然だろう。・・・

《屈折語系》
<インド‐ヨーロッパ語族>&<セム語族>"宗教帝国語"
  :
 インド西部イラン系[パシュトー, パミール]
 北部インド(アーリア)[サンスクリット/パーリ]
《声調孤立語系》
<シナ語族>"官僚統治帝国語"
 
<タイ・カダイ語族>中華帝国膨張時代
 海南島・夜郎
 タイ・チワン/壮・ラオス
<ミャオ/苗・ヤオ/瑶・シェ/畲語族>中華帝国膨張時代
《膠着語系II》"広野人語"
<チベット・ビルマ語族>中華帝国膨張時代
 チアン/羌・タングート/西夏
 チベット/西蔵
 ネパール
 ビルマ・カレン
 ロロ/彝・ハニ/哈尼・ナシ/納西・リス/傈僳
 ペー/白
<北方アルタイ的>
 チュルク(トルコ)/突厥[飛び地:ブルガリア]
 モンゴル/蒙古
 ウラル系[サーミ, フィンランド, エストニア; サモエード]
 ツングース/満🆃
《膠着語系I》"大海人語"
<オーストロネシア語族>黒潮時代
 台湾
 マレー・ボルネオ・フィリピン
 ポリネシア&マダガスカル
<通称 オーストロアジア語族>黒潮時代
 ベトナム・ムオン
 モン・クメール ムンダ@インド
<アンダマン語>@ベンガル湾島嶼[孤立語])スンダ時代
<パプア・メラネシア語>スンダ時代
<エラム・ドラヴィダ語>スンダ時代
 ドラヴィダ
 [古代語]エラム@メソポタミア/南西イラン
《膠着語系III》"重層語"
<日本海語系>スンダ時代黒潮時代中華帝国膨張時代
 ニヴフ/ギリヤーク@アムグン川・北樺太🆃
 アイヌ🆃
 朝鮮🆃
 日本
【ご注意】"重層語"を語族と書いても、内実はバラバラ。表面的にいくら似ていても、言語の祖が全く異なる可能性が高いからだ。漢語・英語だらけの現代日本語を考えればわかる筈。長期接触ありを考えれば、アイヌと日本もまず間違いなく全く異なる。素人感覚では、朝鮮語はツングース系ルールに変換された漢語にしか見えない。

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