→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.1] ■■■ [151] 淡島と水蛭子に関係する地 間違えては困るが、比定地クイズ挑戦には全く興味は無いし、プロ四国のような気分はほとんどゼロの上、○○王朝論に至っては読む気もせずの、素人の見方を開陳しているだけ。 禊の地がどこかが重要なのではなく、儒教的な男尊女卑の思考を「古事記」が取り入れているといった見方は間違っていると書くために、阿波が重要だっただけ。 その地だけが、真に、橘のような南島の植生を持つ地であり、それこそ宮崎の青島のような南洋ムード満点だったということではという話をするために持ち出したのである。 <国生み>冒頭は、スンダ域から西太平洋の共通文化だった、女系社会の名残をそのまま伝えている箇所とお伝えしたかったからそこまで踏み込んでみた。 それなら、折角だから、水蛭子漂着地についても書いておこうと、・・・。 蛭子が流れ着いた伝説はどういう訳か日本各地に残っている。(海人の信仰に仏教観念が重層したのだろうか。)ご祭神に配されていることも少なくない。但し、大抵は、後世大流行した七福神のうちの唯一の日本神である恵比寿的(風体から考え、大国主命の御子 事代主と見られている。)な信仰。それに、水子供養が絡んでいることも多く、古そうなことは書いてあっても、由緒の発端に合点がいかぬものが少なくない。 一方、各地に淡島神社もあるが、その由緒は水蛭子の次に生まれた話とは無関係の神功皇后譚だったりする。(本社:紀州加太) そもそも、淤能碁呂島から海に流されたなら、漂着先としては四国東端か紀州側だろうが、海流から考えれば前者と見てよいのでは。 そう思って、阿南の神社の一覧を眺めてビックリ仰天。 後世の付託の結果としたら、この地区の人々の熱心さにはただならぬものがあるからだ。 もちろん、淡島神社も地名も存在しているということなのだが、蛭子神社の数が半端ではないのだ。2桁であり、地名にもなっている。恵比寿信仰の発祥地か、と感じたが調べていない。 そこでピンときた。それが、当たっているとは限らないものの。 太安万侶がわざわざ"水"蛭子と記載したのも当然かも。蛭子を日子と読み替えたりしてはいけないというご注意では。 ココはあくまでも南洋島嶼の古代社会発祥の話で、重層化している倭の文化の最古層にあたり、豊穣の根源とみなされたのは太陽ではなく、女性の出産とされていたのだから。 南阿波地域は、四国最東に当たり、良港があって、黒潮海人からすれば枢要そのもの。その割に古代からの伝統豊かな土地柄に見えないのはある意味当然であろう。河口や沖の小島を拠点化して繁栄していても大津波で瞬時にすべてが消滅してしまうからである。(「古事記」では、火山噴火・地震・津波・台風といった災害伝承譚の収録は避けているので、忘れがち。) 多分、そのことに気付いた阿波の人々が記憶を掘り起こしたのだと思う。 そのような地は、阿南の他にもう一ヶ所あった可能性もある。禊での海人信仰の拠点としては、神が坐した場所がわかる2か所、都合6柱と、場所が記載されていない以下の6柱が記載されているのだから。・・・ <祓 (身に着けたもの8品を脱いで化成した12神)> 【杖】衝立船戸神…陸(道)系 海との接点 【帯】道之長乳歯神…陸(道)系 【嚢】時量師神…陸(祓)系 【衣】和豆良比能宇斯能神…陸(祓)系 【褌】道俣神…陸(道)系 【冠】飽咋之宇斯能神…陸(祓)系 【左手の手纏】 ⛩当所神社@阿南伊島(四国最東端の島) ❶奥疎神…海(沖)系(遠) ❷奥津那芸佐毘古神…海(沖)系(渚) ❸奥津甲斐弁羅神…海(沖)系(中) 【右手の手纏】 ⛩n.a. ❶辺疎神…海(辺)系(遠) ❷辺津那芸佐毘古神…海(辺)系(渚) ❸辺津甲斐弁羅神…海(辺)系(中) <滌神(汗垢ニ柱+禍直三柱)> <海人系> (阿曇) ⛩志賀海神社 (綿津見神)[⇒大綿津見神] ❶底津綿津見神 ❷中津綿津見神 ❸上津綿津見神 (綿津見神の子)宇都志日金析命 (墨江) ⛩住吉大社 ❶底筒之男神 ❷中筒之男神 ❸上筒之男神 <三貴神> …洗所成~@滌御身所生 海人の信仰は3神のようだ。 <誓> (胸形大神) ⛩宗像大社 ❶【奧津宮@沖ノ島】多紀理毘売命…大国主命妻 ❷【中津宮@大島】市寸嶋毘売命 ❸【邊津宮@田島】多岐都毘売命 [参考] 蛭子神社@阿南…柳島町蛭子前, 福村町字南筋, 水井町中野, 出来町, 原ヶ崎町居屋敷, 能林町南林, 賀川町苅屋蛭子の東, ・・・10社以上ありそう。阿南の外にも10社程度は存在しているようだ。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |