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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.9] ■■■
[159] 誓約五男三女神こそ倭の真骨頂
[2〜9代]天皇については、全く事績記載が無いが、それも当然と見た。各氏族の【祖】を皇統譜に位置付けることに眼目が置かれているからだ。
要するに、系譜から、倭国の統一の過程が見えてくる仕掛けでもある。
📖漢光武帝の世が日本国モデルか

注意すべきは、ここでの【祖】の記載はあくまでも、王権の影響力がどのように広がったかという視点での話。

天照大御神と建速須佐之男命の誓約で生成した八柱神 五男三女神にも、【祖】の記載があるが、これは全く異なる話だろう。それは"誓約"にしても言えることで、他の場面での"誓約"とは根本的に性格が違うと思う。

その辺りの記載に際しての太安万侶の知恵の働かせ方が素晴らしい。・・・卑近な言い方をすれば、一種の賭けで占いをしてみた話、嘘か真実かを尋ねるのだが、占いの答をどのように読むかは何も書いていない。そのため、コインの表と裏のどちらを"勝"と見なすか決めずの勝負に映るようになっている。物実の武器たる剣から男神、装身祭祀器の勾玉から女神というのは当たり前であり、賭けになっていない印象を与えるのである。

このことで、読者に、これは倭流の解決の仕来たりを示しているのかも、という感覚を生み出させることに成功している。
中華帝国型は儒教の合理主義であり、対立したら殲滅し出来れば抹消が望ましいのだが、それは難しいとなれば適当なところで契約関係に漕ぎ着けるべしとなる。当座の安定した関係以上ではなく、共存は方便にすぎない。そのため、儒教圏では多くの部族が消えていったし、その文化も"利"あれば使われるだけで、それ以外は葬り去られてきた。
倭は、その方針とは正反対で、共存を志向したということになろう。しかし、そんなことをすれば、対立が日常になりバラバラになってしまうので、宗族観念を除外した婚姻関係で紐帯を形成して社会安定化を図ったということだろう。
天照大御神と建速須佐之男命は文化的に合わないし、どう見ても女系と男系の違いもありそうで、両者の摩擦は避けることはできそうにないが、婚姻関係を実現することで、最小限に抑えることに決めたことになろう。女系制社会は、産まれた男子を引き取り養育することになるし、男系制社会は女性祭祀者を抱えることになった訳である。

ザックリと眺めると、倭の信仰は、天孫系とその優位を認める4つの潮流と、独立性が高い1つの潮流の都合6派と見ることができる、と言うのが誓約の箇所と言えるのではないか。・・・

  (建速須佐之男命の剣⇒胸形三柱@天照大御神)
【1】多紀理毘売タキリビメ命/奥津島比売オキツシマヒメ
【2】市寸島比売イチキシマヒメ命/狭依毘売サヨリビメ
【3】多岐都比売タキツヒメ
<宗像>
 - 宗像大社 -@筑前
 沖津宮@[御神体島]沖ノ島(御祭神:田心姫神)
 辺津宮@[御神体島]宗像田島(御祭神:市杵島姫神)
 中津宮@[御神体島]筑前大島(御祭神:湍津姫神)
この3女神は建速須佐之男命の御子とされたようで、大国主命が多紀理毘賣命を娶ることになる。そういうことが関係するのか、胸形君@宗像は天孫の事績には関与していないし、朝廷内での活動記録もなさそう。同じ3柱神である、海人信仰の安曇連(3柱綿津見神)や墨江の大神 (3柱筒男神)とは大違い。

  (天照大御神の勾玉⇒五柱@建速須佐之男命)
【4】正勝吾勝勝速日天之忍穂耳マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ命
<天孫>

【5】天之菩卑アメノホヒ
<出雲>
 能義神社@出雲安来能義(主御祭神:天穂日命⇒[元来]野城大神)
  +阿太賀都健御熊命神社@因幡鳥取御熊(御祭神:天穂日命の御子 健御熊命)
 天穂日命神社@因幡高草布勢(御祭神:天穂日命⇒[元来]因幡国造氏の氏神)
  +天日名鳥命神社(御祭神:天穂日命の御子 天日名鳥命)
  【祖(國造)】出雲
  【祖(國造)】无邪志@武蔵
  【祖(國造)】上菟上
  【祖(國造)】下菟上
  【祖(國造)】伊自牟
  【祖(縣直)】津嶋
  【祖(國造)】遠江

【6】天津日子根アマツヒコネ
<❔>
  【祖(國造)】川内@河内
  【祖(連)】額田部湯坐
  【祖(國造)】茨木@常陸茨城
  【祖(直)】倭田中@大和生駒
  【祖(國造)】山代@山城
  【祖(國造)】馬来田@千葉望陀
  【祖(國造)】道尻岐閇@常陸多賀
  【祖(國造)】周芳@周防
  【祖(造)】倭淹知@大和山辺
  【祖(県主)】高市@大和高市
  【祖(稲寸)】蒲生@近江蒲生
  【祖(造)】三枝部

【7】活津日子根イクツヒコネ
<❔>祖無記載
 彦根神社@近江彦根後三条町(合祀:[彦根山]活津彦根命)
 活津彦根神社@近江八幡安土下豊浦(御祭神:活津彦根命)
 生根神社@住吉(現御祭神:少彦名命⇒[一説]活津彦根命)伝住吉大社創建前

【8】熊野久須毘クマノクスビ
<熊>祖無記載
 熊野大社@出雲意宇八束八雲(御祭神:伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神
     櫛御気野命[≒伊邪那伎の御子なら建速須佐之男命])
  …日本火出初之社とも
 - 熊野三山 -@紀伊
 熊野本宮大社(御祭神:家都美御子大神)
 熊野速玉大社(御祭神:熊野速玉大神+熊野夫須美大神)
 熊野那智大社(御祭神:熊野夫須美大神)
説は色々あるそうだが、紀伊が熊棲息地であることを記載しているのだから、他の意味で"熊"という漢字を使う必然性は感じられない。
  ~倭伊波禮毘古命 從其地廻幸到熊野村之時 大熊髮出入即失
猛獣信仰は古代人にあって当たり前だが、狩猟が生活上でマイナーになると失せてしまった。ただ、アイヌやアムール系少数民族にはそれを示す文化が残っている。しかし、地続きの隣人にもかかわらず、アイヌ語とは語彙的にほとんど関連性がなく(カムイとオオカミは似ているところがあるが。)接点は限定的だったようだ。ヒグマは巨大な地上生活者であり、二足で立ち上がる習性がある上、毛皮が美しいから、崇拝対象になって当然である。一方、ツキノワグマは危険性はあるものの、木登り熊的でもあり、ヒトとの棲み分け生活が主体で、一般的な崇拝対象ではなかった可能性もあろう。
 【大陸(アムール河中心)】羆 月熊 東北虎 大陸狼
 【北海道】羆 大陸狼
 【倭】月熊(黒熊)@本州・四国 日本狼


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