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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.8] ■■■
[158] 漢光武帝の世が日本国モデルか
「古事記」序文は実に読み応えある漢文である。と言っても、よく分からない箇所は残っているものの。
流石、官僚として鍛え抜かれただけのことはある。

今上天皇に皇帝称号を付けることで、読者に違和感を覚えさせ、現王朝がどのような国家モデルを採用しているのか示してくれている訳だ。

そのように考えると、「古事記」成立環境も見えてくる。もちろん、小生の勝手な推測に過ぎぬが、「日本書紀」プロジェクト責任者たる、[40]天武天皇の御子 舎人親王が深くかかわっていると考える訳である。📖皇帝との呼称は舎人親王命か

「記紀」は全くのパラレルな書にもかかわらず、表面的には整合性を保っているという、奇妙な関係になってる理由はココにありということ。

「記」は、序文に記載されているように、皇統譜確定と諸氏の位置付けの書であるが、それは、口誦叙事詩を文字記録するための作業でもあった。そのため、史書とは、前者で一致するように見えなくもないが、その視点は180度異なる。片や、失われてしまった記憶を蘇らせ、現体制に悪影響なき範囲で、古き流れを示そうと努力している訳だが、もう一方はそのような気は皆無。朝廷統治の正統性を誇示し、現王朝の国威発揚がすべてなのだから。国史である以上当たり前である。従って、両者に齟齬が生まれて当然。

と言うか、国史編纂プロジェクトとしては、齟齬は雑音ではあるが、大歓迎でもあったろう。
諸氏にとっては、国史での位置付けでこれから先の位置付けが決まってしまうから、「古事記」記載内容を耳にした途端、朝廷へのアプローチが最重要課題に浮上してくるからだ。裏を返せば、舎人親王は今上天皇とタッグを組んで諸氏を統制する手段を手中に入れたことになり、支配体制盤石化の絶好の機会を得たことになろう。

従って、「記」の[2〜9代]天皇が事績無しになるのも当然のこと。(多くの場合、【祖】の記述は"・・・等"となっている。)ここで、諸氏の出自を皇統譜に繋げるのだから。国史は、現朝廷統治にとって最適解となるように編纂するのだから、その自由度を奪いかねない事績記載などする訳がなかろう。

・・・中華帝国の仕組みをよく理解していたことがわかる。科挙や宦官制度など、社会に不適合なのを見分ける力があったのも、それこそ、むべなるかな。
今上天皇と舎人親王は、中華帝国をモデルにして国家体制を整備することに全力投球していたのであろう。だからこそ、太安万侶は、序文で、黄帝・周王を持ち出した、天武天皇への完璧な中華帝国型賛辞を記載したのだと思われる。倭の時代の話であると言うのに、そこには倭の雰囲気はゼロなのだから。📖天の概念を熟考していそう

序文のスタイルから見て、その統治モデルは天武天皇から受け継がれたもの。天皇称号を確定し 📖天皇称号の開始時点 📖下巻で見る天皇称号の開始、中央集権体制への道を切り拓き、中華帝国型に近い施政を推進した流れをさらに一歩進めようと考えたのだと思われる。
単純化すれば、" 天皇≒皇帝+祭祀王"的な独自の概念を造り上げたということになろう。
(ご注意:史書は、こうした流れを牽引しているリーダーが政治状況を勘案しながら作成したもの。従って、いくら検討したところで、実態がわかる筈がない。太安万侶は、そこらを勘案しながら「古事記」でどのように社会を読むべきかの私見を入れ込んだことになる。)
従って、道教が本邦に入って来なかったのは、ここで決まったと言うこともできよう。道教教団は祭祀王を必要としないから、そのような宗教を入れる訳にはいくまい。それに、宗族第一主義の儒教同様に、天命による王朝交代を当然視していることもあり、倭の風土とは根本的に合わないのは自明。

天武天皇路線とは、現実的には、隋・唐型律令統治の仕組み取り入れだが、皇帝と天皇のコンセプトはかなり異なっており、思想的にも隋・唐帝国をモデルとしているとは考えにくい。
おそらく後漢。
と言うか、仏教や道教の組織的成立以前、武力で国家統一を図った光武帝の統治スタイルを参考にしたと考えるのが自然だろう。(仏教伝来は皇位継承者の明帝代だが匈奴やソグド・天竺の体質を理解した対外方針を採用しており、儒教一途と見るべきではなかろう。「今昔物語集」編纂者がいみじくも仏教渡来はもっと早いと看破しているように、光武帝は仏教の知識はあったと見た方がよいと思う。)
天武天皇代は、序文からすると道教一色だが📖日本型道儒国家の特徴、それは統治機構運営のための儒教を本邦に根付かせるのための最適解と考えたからでもあろう。倭の土着の神々を道教的コンセプトで再編するのが、早道ということで。バラバラの土着神々を系統で紐帯化する従来型から、類似コンセプト習合による神々の統合化で道教型ヒエラルキーの導入への転換を図ったと言えよう。(倭の神々の統合とヒエラルキー導入は3タイプあり、この他には、明治期に推進された、政治権力による"数減らし単純合理化+未承認神抹消"がある。)

ただ、光武帝をモデルにしたことを示唆するような文意の箇所がある訳ではないので、以上は素人の推測に過ぎないので、そこはご注意されたい。

しかし、考古学的にみると、そのような兆候がみられないでもない。・・・

飛鳥池@明日香から出土した本邦鋳造銅貨"富本銭"の年代は推定683年(天武天皇代:詔曰 自今以後 必用銅銭 莫用銀銭)。唐の"開元通宝"を模し、律令国家樹立の決め手として、和銅発見記念を兼ねて発行した、最初の皇朝銭とされてきた"和同開珎"より古いことになる。(708年@「続日本紀」)
無文銀貨はもともと呪術用に存在しており、当然ながらそれは交易用としても使われていたろうが、律令国家制度で管理できるようなものでは無い。
"富本銭"は名称から見て倭の宗教性に合いそうになく、皇朝銭を意図しているとしか思えない。漢 光武帝の故事に由来する命名であるのは間違いなかろう。・・・
  東觀漢記曰・・・馬援在隴西.上書曰.富民之本.
  在於食貨.宜如舊鑄五銖錢.天下ョ其便.
[「藝文類聚」卷第六十六産業部下]


--- 参考 ---

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○[兄](県主)波延
[妹]河俣毘売 【祖(県主)】師木
│└──┬──[2]神沼河耳命/綏靖天皇
┼┼┼[3]師木津日子玉手見命/安寧天皇
┼┼┼
└┬
┼┼阿久斗比売
┼┼└┬─┘
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┼┼┼常根津日子伊呂泥命
┼┼┼┼[4]大倭日子鉏友命/懿徳天皇
┼┼┼┼│○師木津日子命
┼┼┼┼│└┬
┼┼┼┼├──┐
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┼┼┼┼【祖(稲寸)】伊賀国須知@名張周知
┼┼┼┼【祖(稲寸)】伊賀国那婆理@名張/奈波利
┼┼┼┼【祖(稲寸)】伊賀国三野@(名張)n.a.
┼┼┼┼┼┼┼┼和知都美命淡路 御井宮
┼┼┼┼
┼┼┼┼└┬賦登麻和訶比売命/飯日比売命 【祖(県主)】師木
┼┼┼┼┼├┐
┼┼┼┼┼[5]御真津日子訶恵志泥命/孝昭天皇
┼┼┼┼┼│○多芸志比古命
┼┼┼┼┼【祖】血沼別@茅渟湾沿岸 茅渟神社(泉南樽井)
┼┼┼┼┼【祖】多遅麻竹別@磯城三宅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼@但馬国美含郡竹野郷 鷹野神社(城崎竹野)
┼┼┼┼┼【祖(稲寸)】葦井@n.a.
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼├┐
┼┼┼┼┼│○[兄]奧津余曽 【祖(連)】尾張
┼┼┼┼┼└┬[妹]余曽多本毘売命
┼┼┼┼┼┼├─┐
┼┼┼┼┼┼[6]大倭帯日子国押人命/孝安天皇
┼┼┼┼┼┼天押帯日子命
┼┼┼┼┼【祖(臣)】春日@大和添上
┼┼┼┼┼【祖(臣)】大宅@大和添上
┼┼┼┼┼【祖(臣)】粟田@山城愛宕
┼┼┼┼┼【祖(臣)】小野@山城愛宕
┼┼┼┼┼【祖(臣)】柿本@大和葛下
┼┼┼┼┼【祖(臣)】壹比韋[櫟井] @大和添上
┼┼┼┼┼【祖(臣)】大坂@大和葛上
┼┼┼┼┼【祖(臣)】阿那[穴]@近江坂田
┼┼┼┼┼【祖(臣)】多紀@丹波多紀
┼┼┼┼┼【祖(臣)】羽栗@山城久世
┼┼┼┼┼【祖(臣)】知多@尾張智多
┼┼┼┼┼【祖(臣)】牟邪≒牟佐@大和高市軽
┼┼┼┼┼┼│     ↑[(e.g.武蔵/身佐斯/無邪志)]
┼┼┼┼┼【祖(臣)】都怒山[角野]@近江高島
┼┼┼┼┼【祖(君)】伊勢 飯高
┼┼┼┼┼【祖(君)】(伊勢)壹師
┼┼┼┼┼【祖(国造)】近淡海
┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼└┬
┼┼┼┼┼┼└┬─忍鹿比売命
┼┼┼┼┼┼┼├┐
┼┼┼┼┼┼┼○大吉備諸進命
┌───────┘
[7]大倭根子日子賦斗邇命/孝霊天皇
└┬細比売命(大目の娘)
││┼┼┼【祖(県主)】十市
││※↓[8]

└┬千千速真若比売命春日
│└千千速比売命
└┬意富夜麻登玖邇阿礼比売命/蠅伊呂泥
│├┬┬┐
夜麻登登母母曽毘売命
日子刺肩別命
┼┼││【祖(臣)】高志利波@越中
┼┼││【祖(臣)】豊国国前@豊後
┼┼││【祖(君)】五百原@駿河
┼┼││【祖(直)】角鹿海@越前
┼┼比古伊佐勢理毘古命/吉備津日子命
┼┼┼【祖(直)】吉備上道
┼┼┼倭飛羽矢若屋比売
└┬蠅伊呂杼(阿礼比売命の妹)
├┐
日子寤間命【祖(臣)】針間牛鹿@播磨
┼┼○若日子建吉備津日子命
┼┼┼┼┼【祖(臣)】吉備下道
┼┼┼┼┼【祖(臣)】

※↑[7]
[8]大倭根子日子国玖琉命/孝元天皇
└┬内色許売命(内色許男命の妹)
││┼┼【祖(臣)】穂積
│├┬┐
│○大毘古命
│└──○建沼河別命
││【祖(臣)】阿倍@大和葛下
少名日子建猪心命
┼┼*↓[9]

└┬伊迦賀色許売命(内色許男命の娘)
│○比古布都押之信命(祖:膳臣)
││┼┼【祖(臣)】
│└┬葛城之高千那毘売(意富那毘の妹)
│││【祖(連)】尾張
││○味師内宿祢
││┼┼【祖(臣)】山代内@大和宇智
│└┬山下影日売(宇豆比古の妹)
【祖(国造)】@紀伊
建内宿祢
└┬波邇夜須毘売 河内 青玉の娘
┼┼建波邇夜須毘古命


┼┼┼┼*↑[8]
┌───┘
[9]若倭根子日子大毘毘命/開化天皇
└┬竹野比売旦波大県主 由碁理の娘
比古由牟須美命
│├┐(2王には5息女)
│○大筒木垂根王
讃岐垂根王
└┬伊迦色許売命(継母/父の妃)
│├┐
[10]御真木入日子印恵命/崇神天皇
御真津比売命

└┬意祁都比売命(日子国意祁都命の妹)
││┼┼┼【祖(臣)】丸邇
│○日子坐王
│└┬山代 荏名津比売/苅幡戸弁
││├┬┐
││○大俣王
│││○小俣王
│││【祖(君)】当麻勾@大和葛下
│││志夫美宿祢王
│││┼┼【祖(君)】佐佐@伊賀
││└┬
││├┐
││曙立王
││┼┼【祖(君)】伊勢品遅部
││┼┼【祖(造)】伊勢佐那
││┼┼菟上王
││┼┼┼【祖(君)】比売陀@大和郡山
│└┬沙本大闇見戸売春日 建国勝戸売の息女
││├┬┬┐
││○沙本毘古王
││┼┼┼【祖(連)】日下部
││┼┼┼【祖(国造)】甲斐
││○袁邪本王
││┼┼┼【祖】葛野之別@山城
││┼┼┼【祖】近淡海 蚊野之別
││○沙本毘売命/佐波遅比売(伊久米天皇の皇后)
││○室毘古王
││┼┼┼【祖】若狭耳別
│└┬息長水依比売近江御上祝 が斎 する天之御影神の息女[姉]
││├┬┬┬┐
││○丹波 比古多多須美知能宇斯王
│││○水穂真若王
│││┼┼【祖(直)】近江安
│││○神大根王/八爪入日子王
│││┼┼【祖(国造)】美濃国本巣
│││┼┼【祖(連)】長幡部@美濃
│││穂五百依比売
│││御井津比売
││└┬丹波河上 摩須郎女
││├┬┬┐
││比婆須比売命
││┼┼真砥野比売命
││┼┼┼弟比売命
││┼┼┼┼朝廷別王 【祖】三河穂別
│└┬袁祁都比売命近江御上祝 が斎 する天之御影神の息女[妹]
├┬┐
○山代 大筒木真若王
│○比古意須王
伊理泥王
└┬丹波能阿治佐波毘売(同腹弟 伊理泥王の息女)
┼┼迦邇米雷王
┼┼└┬高材比売丹波 遠津臣の息女
┼┼┼○息長宿祢王
┼┼┼└┬葛城高額比売
┼┼┼┼├┬┐
┼┼┼┼息長帯比売命
┼┼┼┼┼虚空津比売命
┼┼┼┼┼┼○息長日子王
┼┼┼┼┼┼┼┼【祖(君)】吉備品遅
┼┼┼┼┼┼┼┼【祖(君)】針間阿宗@播磨
└┬比売葛城垂見宿祢の娘
建豊波豆羅和気王
┼┼┼┼┼【祖(臣)】道守@河内
┼┼┼┼┼【祖(部造)】忍海@河内
┼┼┼┼┼【祖(部造)】御名
┼┼┼┼┼【祖(部)】稲羽忍海
┼┼┼┼┼【祖】丹波之竹野別
┼┼┼┼┼【祖】依網阿毘古@三河

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