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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.26] ■■■
[176] 三国の現世利益追求姿勢が見えて来る
【天竺】では、人生の意味は、カーマ(性愛)+ダルマ(聖法)+アルタ(実利)の2つを取り上げたので、最後。 📖三国の男女関係観が見えて来る 📖三国の理念重視度が見えて来る理念を重視する風土からすれば、どうしてこの3つなのかとなろう。
おそらく、古代に出来上がった観念のアーシュラマ(住期)=人生の理念的区分に対応して生まれたのだろう。・・・
 学生期@プレ"生業"⇔聖法学習
 家住期@"生業"⇔性愛+実利
 林住期@ポスト"生業"修行
 遊行期@脱"クラス"解脱

すでに述べたように、"生業""クラス"がフラグメント化している社会であるから、住期の観念は同一でも、法や実利の内容は一様にはならない。

従って、現世利益追求といっても、何が利益かは"クラス"で異なることになる。
アルタは、「実利論アルタ スートラ」として知られているが、一般名と考えるべきでは。本来的には"クラス"毎にアルタが存在する筈だから。
従って、王という視点だと、権謀術数の武断政治による統治が上手く行き、領地拡大・政権安定が実現できれば、それこそが実利となる。そのようなテキストで有名なのが、天竺初統一王朝(マガダ国チャンドラグプタ王)の宰相カウティリヤ[前350-前283年]の著作ということ。

ただ経済基盤はあくまでも農耕生産にあるから、祈願内容もそれに即したものになる。温帯モンスーン地帯の農耕だと、旱魃冷夏大風豪雨なき天候となるので天上の神への祈願が中心となるが、亜熱帯の非モンスーン域では、河川水量の不安定さが一番問題であるから河川神への祈願が重要視される筈。
現代のインドの主要3神は古代神の、高山・火・雷霆を代替しているような存在に映るが、それぞれの配偶女神は蛇神≒水神としての人格神と見て間違いないだろう。その女神の威力を体現するのが、シヴァ・ブラフマー・ヴィシュヌといった男神と考えるとわかり易かろう。
それぞれの"クラス"毎に理念は違うので、祈願内容も異なるし、尊崇する神も様々ではあれど、基本的にはこのような神々から選ばれるだけのこと。多神教と言っても、並列的な信仰であるとは言えそうにない。
ただ、尊崇する神の概念は叙事詩ベースであるから、そのストーリーに登場する神々は脇侍的に敬われることになる。後利益内容に対応した多神教とは姿勢が異なる。

従って、死後の世界に対応する別途の信仰が存在していると考えない方がよいだろう。上述したように、それぞれの"クラス"の人生には、老齢化すると、修行+解脱的な生活を送るべき時期が容易されている。それは、現世利益祈願と峻別されている訳ではない。ここだけ見れば、死後のための信仰にとてつもなく熱心に映るが、人生の流れのなかでの、ある一面を見ているに過ぎない。
祈願内容についても、属している"生業""クラス"の掟の枠内であることは間違いなかろう。

○ ヒマヴァット(ヒマラヤ山神)
└┬△メーナヴァティー
└┬┐
┼┼││
[地位代替]ルドラ(暴風雨) or ヴァーユ(風@空界)
││
○シヴァ
││
└┬パールヴァティー("山の娘"≒湧水)
┼┼┼
┼┼┼[妹]ガンガー(河神) シヴァ妃 &/or ヴィシュヌ妃

[地位代替]アグニ(天空太陽-中空稲妻-地上祭火)…拝火教

○ブラフマー
└┬サラスヴァティー(河神)

[地位代替]インドラ(天空天候-中空雷霆-地上軍事)≒天帝 [妻:アスラ族王女]

○ヴィシュヌ
└┬ラクシュミー(乳海女/水連)

さて、【震旦】だが、王朝は変わるものの、現代にいたる迄、一貫して儒教をベースにした皇帝独裁-官僚統治の国家と言ってよかろう。

儒教国家の一大特徴は、個人生活はもちろんのこと、それこそ社会の隅々に至る迄、専制的主従関係を強制する仕組みの構築を図ろうとする点。それを宗教的に支える柱が宗族第一主義。
祖先祭祀を司る長が、宗族の独裁者となるだけのこと。すべてにヒエラルキーが持ち込まれる訳で、これによって社会の安定を図ることになる。
当然ながら、このシステムを崩しかねない、死後の安楽を願う思想とは対立的である。換言すれば、現世での富貴栄耀は宗族発展であるから道徳的に絶賛されることになる。
このような社会であるから、道教は、地場信仰等をすべてヒエラルキーに組み込むことで、儒教的国家体制を支えているといえる。これに加えて、補完的役割として重要になるのは、現世でそれなりに生活できても、出征競争敗者側を精神的に救う役割と言えよう。

どうあれ、上から下迄、すべての階層がこの観念に囚われており、宗族繁栄のためには、子孫繁栄 富貴栄耀は当然の願いとされるし、そのための健庫長寿でもあり、それを実現できる社会が続くように皇帝独裁-官僚統治による国家安穏をも願うことになる。
例外は、生活苦にあえぐ最下層だけだろう。
中華帝国に於ける現世利益とは、表面上は。個々の願望は種々雑多であるものの、社会の勝者になるようにお願いしているに過ぎず、中味は確かに異なるが、極めて同質と言わざるを得ない。
道教は、表面上は個々バラバラとなる祈願に合わせ、機能神・自然神・外来神等々を用意することになる。そして、それに呪術と占術が付随するのである。こうしてできあがる神々の世界ももちろ競争に晒される。【天竺】のような、ガイドラインや理念は創り様がないから当然であろう。ほんの一部の知識人を除けば、上から下まで、こうした状況を精神的自由と考えている節がある。

宮廷から一般家庭内まで統制社会ではあるから、理屈では社会は安定することになるが、実際は逆向きの副作用の方が大きい社会でもある。階級社会という点では、強制的従属を余儀なくされる訳だが、表面的に従属の意思表示さえしていればレッセフェールそのものだからだ。凶悪犯罪や賄賂の歯止めは無いに等しく、享楽的傾向や乱痴気風俗へと走ってもおかしくなかろう。
そこで初めて精神的自由の謳歌に気付くことになるから、ここらをいかに強権的に抑えるかは、王朝にとって重要課題といえよう。性愛は、【天竺】では、生命のエネルギーを謳歌することを意味するが、【震旦】では享楽そのものとならざるを得ない。

・・・こうして眺めてみると、【天竺】では、マガダ王国に於けるベーダ教の口誦叙事詩信仰がそのママ現代の人々の観念に受け継がれているようにしか思えないし、"クラス"分断細分化社会という実相もなんらかわるところがないことに気付く。
【震旦】に至っては、儒教が国教化された漢代の独裁者-官僚統制の帝国統治システムが、単に王朝が変わるだけと言っても過言ではない。時に、言葉では反儒教を掲げる独裁者もあるものの、儒教そのままの権力構造と姿勢方針が貫かれている王朝でしかなく、力関係の状況に合わせるべしとの儒教的合理主義で、新宗族概念の導入を図ったりする程度でしかない。

そう考えるようになると、三国観の重要性に思い至ることになる。【本朝】ははたしてどうなっているのか、と。

それを知るには、「古事記」を読む以外にあるまい。

と言うことで、現世利益追求姿勢の視点で眺めると、【天竺】とも、【震旦】とは、似たところがなさそうである。

なかでも、天の岩戸前での儀式は格別。
形式的に非常によく整っており、その精緻な行儀観に驚かされる。これぞ倭の神髄とばかりに記述にも力が入っている。
しかし、そこで不可思議感に襲われる。

ストーリーからすれば、すべての神が集合し、神の再生顕示祈願を行うのであるが、効果があったのは、場が盛り上がった性的乱痴気騒ぎの方。しかも強引に、自ら岩屋内にお隠れになった神、強引に引き出してしまう。真摯に祈りを捧げた結果上首尾に進んだ訳ではない。
形式は重要で、それに則った祭祀挙行は祈願に不可欠だが、その肝はあくまでも神と一緒になって遊ぶが如き"御祭り"的交流、としか読みようがなかろう。総員参加型の"御祭り"こそが、信仰を意味すると指摘しているようなもの。万国共通に"御祭り"の大騒ぎは存在しているが、宗教教義的には民俗行事としての余興とか、コミュニティ−としての寿ぎとされるのが普通。
「古事記」の世界からすると、これこそが本来の信仰そのものとされているようにも見える。

日本の神道は、西洋の学者から見れば、思想的未発達とされているが、そのような展開になる訳がない。信念あるいは理念にさほど関心を示さない体質だと、無理矢理に想像の神への信仰を自らに課すようなことはできかねるのは当たり前。
理解し難い理念を受け入れるより、神との遊びを実感できる"御祭り"こそが信仰を示すことなるのだから。

論理に多少の飛躍はあるものの、これこそが雑種社会を実現できた秘訣と見ることもできよう。神という存在と理念を結びつけたりせず、神の存在を感じるだけで信仰者になれるから、信仰告白は一切不要なのである。
人格神で叙事詩的ストーリーまで語られているというのに、造船技術には力を入れても、神像造像などもっての他な社会なのだから。神の存在を意識することができる環境こそが重要であり、そのような場所での依り代には肯定的だが、統一的な感性が要求される具象的神像は不快なのだろう。
ここらは、日本の仏教勢力は最初からよくわかっていたようである。・・・インドのようなブロマイド的神の絵や、中国の派手で通俗的な人形形式の神像の導入は例外的であり、日本流解釈がなされていると思われる。前者は叙事詩の神話を彷彿させるお札。要は、神々の活躍す場面を語れる切っ掛けになる絵であれば十分で、絵自体の表現の巧拙とか芸術性・装飾性にはほとんど意味がないのである。
一方、後者は官僚組織長の神に貢物を届けるための事務所内シンボルということになりそう。掟の存在を思い起こさせる姿形となっていて、派手で立派に作ってありささえすれば十分。

これだけ大きな差があるとすれば、たとえ倭に絶対神が存在していたとしても、その神へ全身全霊をかけた帰依の姿勢を過度に示すこと自体が憚れる可能性が高かろう。自分だけが神に選ばれし者になろうとの独占欲芬々の輩と見なされかねないからだ。下手をすれば、反コミュニティ姿勢を見せたとされかねまい。

但し、このような推測は、現代大衆社会に於ける一般庶民の姿から。皇統譜集成書である「古事記」とどれだけ連続性があるかはなんとも言えない。
しかしながら、神前の祭祀形式は現代でも立派に通用するから、まあ〜、かまわないだろうと安易に考える訳である。

インド亜大陸のベーダ教〜ヒンドゥー教社会、中華帝国の儒教+道教の社会、日本の神道+仏教社会は、それぞれ変遷は多々あるものの、現代までその根底思想はほとんど変わっていないのではなかろうか。日本の場合、インド・中国からの影響は小さなものではなかろうが、こと神道に限っては、表面的に留まっていると言えよう。なかでも特筆モノは、儀式形式重視姿勢。普通はそれは表面的で、理念が本質とされるがそうではないのである。現世利益追求姿勢が目立つ訳ではなく、理念に基づく祈願をしない体質というに過ぎないのでは。
(両部神道,本地垂迹説、朱子学的儒教型国家神道、等々、コペルニクス的転回とも言える程の変化が起きたのだが、人々は諾々と従ったようだし、強権的な神名変更や合祀に際してもたいした摩擦も発生していない。ところが、儀式様式自体はほとんどママ引き継がれたのである。)

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