→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.27] ■■■ [177] 男女関係進化論は妥当か その見方でいくと、親子・直系兄弟姉妹婚を禁忌とすると、プナルアPunaluan婚型家族が形成されことになる。 [《無規律性交→血族婚→プナルア婚→集団婚→対偶婚→父系制単婚》との見方。] もっとも、現在でも、その見方が正しいと見る向きもあろうが。 [文化人類学学者Lewis Henry Morgan:「古代社会」第三篇家族観念の発達1872年⇒フリードリヒ・エンゲルス:「家族・私有財産・国家の起源」] こんな話を取り上げるのは、天照大御神 v.s. 速須佐之男命の誓約譚の意味をどうとらえ返すか考える際には避けて通れないからである。はっきり示されてはいないものの、姉妹婚を意味していると考えざるを得ないからだ。・・・ 天照大御~: 「我が那勢の命之上り来る由者は、 必ず不善心にて、 我が国を奪はむと欲するのみ。」 : 「何故に上り来るか?」 速須佐之男命: 「僕者は、邪なる心無し。 唯、伊邪那岐大御神之命の問ひ賜ひしを以ちて、 僕之哭きし事の故を白さく、 "つらく、僕は妣の国に往かむと欲ひて、 以ちて哭くのみ。" と白しき。 大御神詔はく、 "汝者は、此の国に在ら不可。" とのたまひて。 かむやらひにやらひ賜ひき。 故以為へらく "将に、罷り往かむとする状を請げむ。" とおもへりて 参上しのみ。異なる心無し。」 天照大御~: 「然者、汝が心の清く明きなるは 何を以ちて知るや?」 速須佐之男命: 「各、<うけひ>に子を生さむ。」 両者ともに心理的に錯綜している状況だが、そのお蔭で、男女関係の小宇宙とも言うべき状況が顕れている。但し、3種の関係すべてが、仮想で描かれている。 ❶ 同腹誕生(母の穢れ)≒血縁関係 ❷ 精神的同一化(甘え容認)≒恋人関係 ❸ 子作り(誓約の物実)≒夫婦関係 従って、全く次元が異なる話と思いがちだが、それは男女関係の掟がすでに頭に叩き込まれているから。そこから抜け出すのはフツーの人にとっては容易なことではないだけのこと。人間の本質を考えれば上記の混淆関係が生じたところで驚くようなことではないのである。 📖書評[小川国夫「襲いかかる聖書」]@2010年 特に、南島社会の現実を考えると、特攻隊出撃基地奄美群島加計呂麻島での恋が発端となっている、壮絶なストーリーである島尾敏雄:「死の棘」を思い出したりする。 言うまでもないが、南島とは、出撃者あるいは出漁者の妹は霊力で兄を守護する伝統の地だからだ。・・・ 天照大御~と速須佐之男命の場合は、姉が弟を守護するので、少々違うようにも見えるが、もともとはおそらく同じだったのではなかろうか。 南島のこの伝統は、おなり信仰と呼ばれているそうだ。・・・ "おなり"(妹)は家を離れる"えけり"(兄)の守り神とされている。ただ、姉や弟は存在しておらず、"おなり"と"えけり"は唯一兄妹間でのみ通用する特別な用語で、家族関係性を示す一般用語としては全く使われていないそうだ。 この絆は、兄が既婚者であっても変わらず、夫婦間より強いと言われている。 宇宙には、兄妹しか存在していないかのような状況が生み出されている訳だ。 素人的に判断するに、この案形は兄妹ではなく、姉弟では。儒教型男系王朝が樹立されたため、都合で弟から兄に変わったのではあるまいか。 おなり(姉)≒おみな-り えけり(弟)≒をとこ-り 本土の用語を以下のように考えるからである。 <未婚/年少>をとめ/小つ女⇔をとこ/小つ児 (伊邪那美命:"えをとこ!" 伊邪那岐命:"えをとめ!") <既婚/年長>おみな/大美ナ⇔おきな/大岐ナ (つ≒之 美≒女 岐≒男) ただ、島嶼域には洪水型"兄妹"始祖神話があるので、姉弟と考える人はいないようだが。 兄妹だろうが姉弟であろうと、王権が男で、神権が女という政祭分権型の国家樹立の原点となった家庭内制度があったのは間違いなさそう。「古事記」の皇統譜にしばしば登場する近親婚の根拠は、この辺りの観念と同じである可能性が高い。 おそらく、霊感の強さという点では、圧倒的に女性であるというのが南島の常識だったのだろう。宗像神も女神だし。 しかし、それが普遍的という訳ではない。ツングース系シャーマニズムでは霊感ありとされるのは男性だし、船神として広く祀られて来た住吉3神は男神なのだから。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |