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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.4] ■■■
[184] 火山信仰の扱いは要注意
地球物理学者 寺田寅彦は、"神々の間に起こったいろいろな事件や葛藤の描写に最もふさわしいものとして・・・自然現象の種々相が採用された・・・と解釈"した。 [「神話と地球物理学」1933年@青空文庫]

実に面白い論調だが、日本の文芸家は科学的な風合いの話を避けるし、「古事記」関連の研究者は自分が属す分野外に興味などなかろうから、ほとんど無視されたのではないか。
神代七世の神々の意味を音と漢字から探る方法論と、本質的にはほとんどかわらないが、分析思考だとそうは考えないから致し方ない。

もっとも、寺田寅彦はあえて一番重要な箇所の指摘を避けており、学者として矜持すべき姿勢をとらず、批判されても当然ではあるのだが。

ともあれ、引用しておこう。・・・
●速須佐之男命
「その泣きたもうさまは、
 青山を枯山なす泣き枯らし、
 河海はことごとに泣き乾しき」

…何より適切に噴火のために草木が枯死し河海が降灰のために埋められることを連想させる。
「すなわち天にまい上ります時に、
 山川ことごとに動み、
 国土皆震ゆりき」

…普通の地震よりもむしろ特に火山性地震を思わせる。
「勝ちさびに天照大御神の営田の畔離ち溝埋め、
 また大嘗きこしめす殿に屎まり散らしき」

…噴火による降砂降灰の災害を暗示するようにも見られる。
「その服屋の頂をうがちて、
 天の斑馬を逆剥に剥て堕し入るる時にうんぬん」

…火口から噴出された石塊が屋をうがって人を殺したということを暗示する。
「すなわち高天原皆暗く、
 葦原中国ことごとに闇し」

…噴煙降灰による天地晦冥の状を思わせる。
「ここに万の神の声は、
 狭蠅なす皆涌き」

…火山鳴動の物すごい心持ちの形容にふさわしい。

●高志の八俣の大蛇
…火山からふき出す熔岩流の光景を連想させる
「年ごとに来て喫くうなる」
…噴火の間歇性を暗示する。
「それが目は酸漿なして」
…熔岩流の末端の裂罅から内部の灼熱部が隠見する状況の記述にふさわしい。
「身一つに頭八つ尾八つあり」
…熔岩流が山の谷や沢を求めて合流あるいは分流するさまを暗示する。
「またその身に蘿また檜榲生い」
…熔岩流の表面の峨々たる起伏の形容とも見られなくはない。
「その長さ谿八谷峡八尾をわたりて」
…そのままにして解釈はいらない。
「その腹をみれば、
 ことごとに常に血爛れたりとまおす」

…やはり側面の裂罅からうかがわれる内部の灼熱状態を示唆的にそう言ったものと考えられなくはない。
「八つの門」のそれぞれに「酒船を置きて」
…現在でも各地方の沢の下端によくあるような貯水池を連想させる。熔岩流がそれを目がけて沢に沿うておりて来るのは、あたかも大蛇が酒甕をねらって来るようにも見られるであろう。

●八十神が大穴牟遅の神を欺いて、赤猪だと言ってまっかに焼けた大石を山腹に転落させる話
…やはり火山から噴出された灼熱した大石塊が急斜面を転落する光景を連想させる。

素人なら、イの一番に、速須佐之男命を挙げることは無いだろう。火山ではないものの、伊邪那美命生んだ迦具土神が通り相場。陰部を焼かれて死ぬことになるという衝撃的な事績なのだから。
しかも、火山が噴火して、マグマ溜りが炸裂した大爆発が収束してきた状態と思えるような描写が続いている。
噴火は一般に御神火とされているし、噴火口は御火戸と呼ばれ、火傷をしたとされる女性器名称と同じ。噴火が終われば、そこには暗黒の世界に繋がっていそうな穴が見えるのである。但し、黄泉の国の入り口はそのような場所ではないが。
少なくとも、縄文期の阿蘇山と鬼界カルデラの大噴火は筑紫の人々に経験談として伝わっていない訳がない。国土が滞りなく出来上がって行く流れが突然にして頓挫させらたのだろうから、それは迦具土神がドンピシャではないか。

しかしながら、火山とはそうした存在であり、特筆すべき畏怖された存在ではなかろうというのが太安万侶の判断であろう。まことに正しい。
阿蘇山・鬼界カルデラや富士山は、そのうち大爆発すると考えられるが、そうなれば前者なら九州はほとんど居住不適になるし、後者の場合、首都は機能不全になること間違いない。だからといって畏怖感を覚える人はいまい。

火山信仰を「古事記」が避けたのは、おそらく、ランドマークとしての山の一種でしかないと感じたからだろう。おそらく、編纂時ひは、火山に対する特別な思い入れを感じさせる信仰が見当たらなかったということだろう。
それは、黒潮系海人の軽視したところも大きかろう。黒曜石については姫島発と考えていたと思われる。

"伊豆七島については思いもよらなかった。"、ことになろう。・・・
伊豆七島の神津島は火山島である。
その神は阿波神との伝承がある。いかにも黒潮ルートの存在を示唆していそう。荒い潮流に乗るというか、事実上の漂流状態が続いていると、夜になって突然にして、かなたに火を見つけることになるのだからその感激たるや言葉になるまい。

そうしたいい加減な想像に、いかにも感が漂うのは、
<三宅島⇔神津島⇒大島⇒初島⇒伊豆山>
の黒曜石運搬海路が縄文期にすでに存在していたのは間違いないからだ。有視界航路とは言え、そこはまさしく外洋であり、カタマランだったのだろうが、驚異的な能力と言えよう。
さらに、注目すべきは、この神は
<三宅島富賀神社⇒下田白浜海岸白浜神社⇒大仁広瀬神社⇒三島三嶋大社>
と順に遷したとされている。南島海人文化を感じさせる展開である。 📖伊豆の古代を想う@2009年

瀬戸海の要衝 大三島を固めている、[芸予海峡]大山祇神社の大山津見神とは異なる系統に属しているように思える。

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