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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.8] ■■■
[188] 代表筑紫の身一面四嶋の読み方
筑紫嶋について検討してみよう。

これは極めて厄介。この地の精神風土を勘案してかかる必要があるから、面倒なことこの上なし。

そもそも、九州という呼称(天下を形成するのはこの地の9國であるという中華帝国用語。)に拘る人々が住む地域であり、小中華思想的な精神風土に染め上げられていると見て間違いなかろう。
突然にして、本物と思しき金印が出土してきても、その経緯や出土地さえ示せない代物。(常識的には証拠扱できない。)さらに驚かされるのは、関係する伝承皆無。まさに、儒教国的体質そのもの。
要するに、何もわからないということ。基本、情報が無いのだから、できることと言えば、朝鮮半島の"古代史"と同じで物語を創作するしかあるまい。(余計な話だが、行基はそこらをよくご存じだったようで、この地のパトロン化に大成功したように見える。)

それはともかく、一番の課題は、"国生み"の記載を読み解くこと。九州だけは、ほとんど解説の態をなさないのだから。
  📖古事記「国生み」は意味深@2014年

言うまでもないが、そんなものに素人が改めて挑戦したところで、ほとんど意味はなかろう。しかし、「古事記」全体像を見ようということで頭を使ってきたので、そのセンスで眺めれば、太安万侶が考えていそうなことが見えてくる可能性はあろう。
どのように、九州を眺めるべきかを示唆しているに違いないのだから。

構造的にはこんな風になっている。
淤能碁呂島⇒
 ㊀《淡道之穗之狹嶋》
 ㊁《伊豫之二名嶋》
   伊豫國[謂愛比賣]
   讚岐國[飯依比古]
   粟國[大宜都比賣]
   土左國[]
 ㊂《隱伎之三子嶋》[之忍許呂]🌊
 ㊃《筑紫嶋》(身一面四)🌊
   筑紫國[白日]
   豐國[豐日]
   肥國[日向日豐久士比泥]
   熊曾國[]
 ①《伊伎嶋》[比登都柱]🌊
 ②《津嶋》[之狹手依比賣]🌊
 ③《佐度嶋》🌊
 ㊇《大倭豐秋津嶋》[御虛空豐秋津根]
=大八嶋國
 〇《吉備兒嶋》[日方]…児島半島
 〇《小豆嶋》[大野手比賣]…小豆島
 〇《大嶋》[大多麻流]…屋代島
 〇《女嶋》[一根]…;国東半島姫島
 〇《知訶嶋》[之忍男]… 五島列島🌊
 〇《兩兒嶋》[兩屋]…五島列島南の男女列島の男女島🌊

1〜4の語呂合わせと、聖数8でメインが完了するという表面的な記述だけでなく、内海系の島々⇒🌊外洋系の島々という順番で考えヨと言っていることがわかる。
四国の代表を伊予とし、九州の代表を筑紫とするのは、その見方をはっきりさせるためでもあろう。瀬戸海航路(淡路⇔小豆島⇔児島⇔芸伊海峡⇔屋代⇔国東半島姫島)と、対馬海流での渡来上陸島(男女列島・五島列島⇒対馬・壱岐⇒北九州⇒隠岐⇒佐渡)となるからだ。大倭豐秋津嶋は両者の究極ということになるか。

渡来上陸という観点で重要な島は、神名の接頭語に[=海]が付けられていると見ればよさそう。九州国東半島先の姫島だけは、そういう意味ではなく、黒曜石産地として垂涎の地だったから例外扱いになるが。

九州一般で言えば、そのように見られていないことになる。地場勢力が根付き易い地ということか。明らかに、一目置くべき勢力の神名にはとの尊称があり、九州は4國が並立してことになるのだから。
さらに、そのうち武力的に力を持っている国の神名には、が付随してくる。・・・土佐、肥、熊襲、吉備のみだ。
感覚的には肥国以外はわかる気がする。
瀬戸海では、後背地に吉備を擁する児島の海人が覇権的地位を誇示していそうだし、熊襲〜土佐は黒潮遠洋航海も厭わずの荒々しさを誇りとしていそうなで威力だからだ。(黒潮は紀伊半島手前で東流していた時期があり、土佐を過ぎると陸から離れて太平洋へと流される可能性も筈。)

このように全体像を見ていくと、西海道の9国で九州を考えることをしなくなるので、筑紫嶋の身一面四の読み方が見えて来る感じがする。【日向國】設定なしは当然。・・・

→壱岐⇔日本海
↑↓
前→筑前──┐
┼┼┼┼┼前⇔瀬戸海
├─→後─┘│
後────→(日豊)豊後
↑│┼┼┼┼┼┼
甑└────→(日向)
┼┼┼┼┼┼┼
大隅┼┼熊襲┼┼薩摩─→土佐
┼┼┼┼┼┼┼
口永良部・硫黄種・屋久
└┬──────┘
┼┼
┼┼吐噶喇⇔南島

「古事記」では、筑前が日本海側のネットワークのノードになるのは、"神生み"の後の時代。上記はその前である。九州西岸の肥前〜有明海(筑後川) 〜肥後と黒潮に洗われる熊襲が倭国の正面(揚子江デルタ域、船山列島、済州島、南島からの渡来)である。

つまり、肥國とは、西側の<肥前(浦)+有明海(泥海)+肥後(不知火)>と山越えの東側<日豊+日向>からなり、ランドマークの雲仙岳で、シンボルは阿蘇山ということになろう。西域オアシスのソグト的に、モンスーン地域のなかで住み易い地区を見つけて居住したため、バラバラと邑が存在している状況だったのでは。個々の防衛力は小さなものだから、総員訓練が行き届いた民兵的な広域ネットワーク型国家を形成していたのであろう。神名が建日向日豐久士比泥別と矢鱈に長いのもむべなるかな。

ただ、肥国にそのような見方があったとは思えない。「古事記」成立頃の神社は、九州はあくまでも4国ということのようで、但し、それにもう1つの国(速日別)を追加すべきと考えていたようだ。邇芸速日命が東征に先行して降臨した地は肥國ということを示しているのだろうか。
九州の代表は肥国であるとの意識が高揚していたのだろうか。
四面宮@甑島[⇒温泉神社]
     [1]@高来郡/雲仙小浜…[一説]701年創建
     [2]@有江(有家)
     [3]@加津佐
     @山田
     @千々石
     @伊佐早(諫早)
 (ご祭神:白日別命+速日別命+豊日別命+豊久土比泥別命+建日別命)

筑紫国は、九州の代表であると朝廷からお墨付きを得ているから、四面宮的な信仰場を必要としていないから、対照的と言えよう。<白日別>のみである。
筑紫神社@御笠郡/筑紫野原田[背振山地東部の低丘陵地]
      (ご祭神:筑紫神/白日別)

本来なら古社の筈だが、肥国同様に後世創建ではないか。国の礎(国魂)を祀るべしということで。
安曇の霊を思うと、もともとの海人主流派は移動済だったりして。

日向王朝の海幸彦こと火照命は、阿多君之祖だから、大隅〜薩摩〜日向は黒潮文化が色濃い地であるのは間違いないが、一方の山幸彦は九州西方の島嶼に上陸した勢力が肥國に入り山を越えて東岸に達した勢力を意味していそうだ。
しかし、山人ではないから、南海の大海神の娘を娶るし、潮をコントロールする呪器も賜ったりする。それによって、山幸彦は海幸彦に勝利を収める。
南島勢力と組むことによって、挟み撃ち的に熊襲國の威力を削ぐことに成功したということなのだろうか。
その制圧した熊襲だが、雇用は隼ハヤブサ。およそ海人のトーテムとしては似つかわしくないが、隼人衆に、朝廷の兵部的役割を期待するために命名したのだろう。山彦系は、鳥トーテム太陽信仰の海人部族イメージが強いから、それほど外れた想像でもなかろう。ピッタリの呼称だったようで、この地域の衆を指す用語としてすぐに定着してしまったようだ。
【肥國境界域】…熊襲支配の代理人としての名称か。
 (球磨)
 (日向隼人)
【熊曾國】
 薩摩隼人
 阿多隼人[⇒大隅隼人]
【海圏接触域】…本来は独立地域だろうから、従属後の呼称だろう。
 甑隼人@甑島
 多褹隼人@種子島/多禰島+屋久島

最後に、<豐日別>についても触れておこう。
修験と混淆している上に、土台は高木神とされていたり、それこそ時代に合わせた愛でたき信仰を習合させることで地位保全を図ろうとしているようにも思えてくる。
(豊前坊高住神社)/鷹栖宮@英彦山(高木神)
(大行事社)/高木神社@英彦山北岳
(到津八幡神社)@小倉北上到津(応神天皇+神功皇后+宗像三女神+豊日別命)
(左留多比古社)[⇒豊日別宮/草場神社]@福岡行橋)
(闇無浜神社)@中津角木/国東半島
(菅原神社)@小倉北古船場(菅原道真+豊日別尊+木花咲耶媛命+大山咋命+・・・)
おそらく、高木神の発祥元、修験の創始、云々となるのであろう。そのラインで国土を整えていく訳で、これこそ儒教的合理主義そのもの。歴史は、度、編纂されるべきものなのであり、邪魔になる記録は廃棄するのが一番ということになる。

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