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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.9] ■■■
[189] 太安万侶だけが見抜いた讃岐岩文化圏
九州の4面についてザックリ書いてみたが📖、思っていることをダイレクトに書いた訳ではないので歯切れが悪い。構成が稚拙なせいもある。
ただ、筑紫嶋と呼ばれるのに、筑紫國については軽視。玄界灘〜朝鮮半島ルートも外しており、ナンダカナとお感じになったとしたら、小生的には大成功である。
九州の解説は恣意的にならざるを得ず、トンデモ論が横行せざるを得ないことを、お伝えしたかっただけなのだから。

ここでは、それを踏まえて、追加的に書いておくことに。
題名はそれにそぐわないが。

要するに、九州の各国の基本姿勢は、小中華思想ということ。どの国でも、多かれ少なかれそのような傾向はあるとはいえ、儒教国的なハイレベルであり特筆モノ。従って、名称や由緒については、十分に考慮してかかる必要があろう。
卑近な言葉で言えば、お山の大将("別")ということ。その性情の4ヶ国が隣り合っている上に、2ヶ国は武闘派("建")、九州の統治は一筋縄ではいかない。

揶揄するつもりは更々ないが、おそらく、この状況は今でもたいして変わるまい。
「古事記」理解に無関係に見えるが、実は、この理解が大いに役に立つ。・・・

例えば、南海の雄であることを誇りにするカゴンマとクマボッコが仲良く交流など無理筋であろう。芋焼酎 v.s. 米酒、豚 v.s. 馬という話とか、西南戦争の余韻ということではない。
一方、西北部の半島島嶼はインターナショナル性が目立つ地域だが、それは島原の乱や出島辺りが出発点という訳ではないが、交易重視だったからとの短絡思考も当てはまらない。そのすぐお隣は、朝鮮半島-玄界灘支配者然とする国粋的交易海人の国だからだ。両者の間には、心情的に深い溝があると見ることもできる。
そうした動きと一線を画すのが伊予灘対面の国東半島を地勢の中心とし、豊予海峡を境とする東側の海人勢力。瀬戸海勢力である。・・・この性情を読み取れると、初めて、九州の意味がわかってくる。

面白い例を取り上げておこう。
この勢力は、倭語的に"とよ"の国とされるのは気に沿わないようなのだ。自称は、必ず、ブ前+ブン後。外野からすれば、どうでもよさそうに思うが、トコトン拘るのである。必ずと言ってよいほど、豊(yuta)かな国として紹介されるが、実は、そういう意味では無いことがわかる。
 【豊】
  ≠豐
  =壴[鼓] + 玨;[玉x2] ≒禮
 唐音:ホウ
 呉音:フ
 慣用:ブ…仏経典読み
 訓_:ゆた-か
 常用:とよ…不詳

小生は、流石、お山の大将と拍手喝采を送りたい。"とよ"と呼ばれる国の時代は、確かにこの国が九州を代表する国だったのだから。
それは、黒曜石産出地の姫島を擁していた栄光の時代。もっとも、瀬戸海航路では枢要な地である点は変わりはないが。

ダラダラ書いて来たが、それに比べると、「古事記」は九州4面との単純明快な記述のみであり、太安万侶の凄さが光る。・・・
 南島ルートの正面入り口…熊襲国
 (揚子江デルタ〜船山列島⇔)津島海流上流部の湊…肥国
 朝鮮半島-玄界灘差配…筑紫国
 瀬戸海の窓…豊国
ちなみに、四国は瀬戸海側と黒潮側の2名に分かれており、前者は豊国と親和性が高い。豊国にとっては、筑紫・肥・熊襲より伊予・讃岐の方が文化的に近いのである。それが理由ではないが、九州の国というより瀬戸海の国とした方が似合いそう。
「古事記」は"国生み"で瀬戸海圏から国が始まったことを示唆していることもあるし。・・・
淤能碁呂島
 ㊀淡路島《淡道之穗之狹嶋》
 ㊁四国《伊豫之二名嶋》
   伊豫國[謂愛比賣]
   讚岐國[飯依比古]
   粟國[大宜都比賣]
   土左國[]
  :
 ㊃九州《筑紫嶋》(身一面四)
   筑紫國[白日]
   豐國[豐日]
   肥國[日向日豐久士比泥]
   熊曾國[]
  :
 ㊇本州《大倭豐秋津嶋》[御虛空豐秋津根]
 🀄児島(半島)《吉備兒嶋》[日方]
 🀀小豆島《小豆嶋》[大野手比賣]
 🀂屋代島/周防大島《大嶋》[大多麻流]
 🀂姫島《女嶋》[一根]…国東半島先

この時代のレガリアは天の沼矛である。いかにも、海人が使用する矛の類であるとは何回も書いて来たが、常識で考えれば、金属器であった訳もなく、南島海人なら多くの場合は貝殻加工品であろう。瀬戸内海の淤能碁呂島では何が使われたかといえば、石器しかありえない。それを踏まえて"国生み"を読む必要があろう。(伊豆七島産の黒曜石の存在は知られていないし、国東半島先の産地姫島なら、"国生み"の書き方も違ってこよう。)太安万侶は、淤能碁呂島〜淡路島〜讃岐は石の産地ルートでもあると伝えたかったようだ。それが倭の文化の初元と考えたのだろうが、流石、慧眼。

言うまでもないが、その石とは、讃岐岩/サヌカイト(高マグネシア安産岩 俗称:カンカン石)。世界的にも珍しい石であり、最初に同定された場所は讃岐の坂出五色台古田南東(国分台層)
この石の欠片は、表面が風化しているのが普通で、見た目虫食い的なタイプが多く、白色化してボロボロ観を呈しているのが普通。見向きもされない石だが、叩いて見るとかん高い金属音がするので誰でもが驚く。
しかし、なんといっても、最大の徳著うは、切断面が鋭いこと。木の葉で試し切りすれば、金属ナイフ以上の威力を発揮する筈だ。黒曜石でなくとも、十分機能する石なもである。
・・・と言えばご想像が付くように、讃岐岩砕採石ラインが瀬戸内海に存在しているのだ。そう思って調べると、「古事記」記載の鋭さに気付くことになる。
 〇大和二上山
 〇淡路島岩屋@淡路海峡
 〇周防大島(屋代)嵩山
 〇室津半島皇座山
 〇祝島
 〇[黒曜石]姫島@国東半島
レガリアの矛に使うと言っても、これは実用品そのもの。そうなれば。 この石文化に取り残される訳には行くまい。従って、この石でできたレガリアを掲げる豊国は九州の雄としての地位にあったと見てよかろう。
しかし、それがいつまでも続いた訳ではない。金属器が登場すれば、石器使用は後進性を示す以外のなにものでもなくなるからだ。
新しいレガリアは金色に輝く青銅器の矛以外に考えられまい。当然ながら、各地の邑のトーテム表示に使われたであろうし、文字通りフラッグシップ役でもあっただろう。
中央集権体制とはほど遠かっただろうが、レガリア表示が連合王国参加の証とされただろうから、共通信仰の国家が樹立されたのはほぼ間違いない。矛は、安全保障上の最重要な呪器ということになろう。「古事記」の記載からすれば、筑紫国〜出雲国〜高志国が対馬海流沿岸の矛レガリア連合国の中枢ということになる。

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