→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.19] ■■■ [199]入其俗従其令が太安万侶の考える道教か ラテン語の原文では、 "Sī fueris Rōmae, Rōmanō vīvitō mōre; sī fueris alibī, vīvitō sīcut ibī." だそうで、後半で、その土地で暮らす者のように振る舞えと、意味を取り違えないようにはっきり記載してある。"郷に入れば郷に従え。"と完璧に一致していると言ってよいだろう。 "入郷従郷"という言葉は使ってはいないものの、周から呉に入って、文身斷髮に踏み切った、太伯の譚が漢籍での同じ意味での用例となろう。 季歴賢 而 有聖子昌 太王欲立季暦以及昌 於是太伯仲雍二人乃犇荊蠻 文身斷髮 示不可用 以避季暦 [司馬遷:「史記」卷三十一世家第一吳太伯] しかし、一般的には、"郷に入れば郷に従え。"に対応する漢語としては"入郷従郷"は使われず、"入郷随俗"である。同じ意味と見なされているようである。 しかし、"入郷随俗"なら、本来の意味は少々違っていた筈と考える人もいる。 原義は"入其俗従其令"であると。ローマの諺も、もともとはこちらだった可能性もあろう、と見るのである。 小生はこの見方を支持する。 どうしてそんなどうでもよさそうなことを取り上げるかと言えば、太安万侶の考える道教の核心的お題目は、この言葉ではないかと睨んでいるからに他ならない。 序文で日本は道教国であるかのような書きっぷりをしているところを見ると、「荘子」に目を通していないことは考えにくく、先ず間違いなく"入其俗従其令"を読んでいた筈である。 極めて優れた話なので、これを元ネタにしたお話は少なくないが、たいていは駄作に終わる。 余りにも有名で紹介する要無しだが、小生のカットバージョンで。・・・ 荘子 雕陵中をお散歩。 大きな鵲がどういう訳か飛んで来て林中に。 早速、撃とうと眺めて見ると、 鵲は螳螂を狙っている最中。 その螳螂は、蝉の背後で鎌を振り上げているのだった。 荘子、弾を捨て、その場から遁走。 逃亡者と見られ、番人に捕まってしまい、お小言頂戴。 お蔭で、3か月家に籠り、ふさぎ込んでしまった。 当然、弟子に問われることになる。・・・ 莊周曰: 「吾守形而忘身 觀於濁水而迷於清淵 且吾聞諸夫子曰:"入其俗 従其令"・・・」 [「荘子」[前369-前286年]外篇 山木第二十 庄周游于雕陵之樊] "郷に入れば郷に従え。"は、意味が換えられている、と考える訳である。もちろん、政治的な思惑で。 荘子の指摘ははっきりしていよう。・・・ 弱肉強食など唾棄すべきルールと考えるのは、"聖"の世界で語り合うなら当然かもしれない。しかし、我々が生きているのはあくまでも"俗"世間。その世界のルールから逃れて生きることはできないのである。 呉太伯は無子であるから(妾腹は有りえるが)後裔は存在していない。にもかかわらず、外交の場で倭は"太伯後"と伝えた。文身斷髮の入郷従郷を知っていたのである。だからこそ、太安万侶は、久米の眼の話を収録したと見る。(一種の呪術でもあるが、潜水するなら文身斷髮は理にかなった風習である。すでに、初代天皇即位の時代に、そのような風習は風前の灯と化していたことも伝えたかったのだろう。) ここらは悩ましい問題でもある。 日本国としては、天子独裁-官僚統制の律令国家路線を走ることを決めた以上、朝廷運営の基盤は儒教になる。天帝-天子が差配する官僚管理体制維持に意味が薄い信仰は捨てるにしくは無し。宮廷で神祇を第一義に扱っても、儒教の掟に呑み込まれることになる。こればかりはいかんともしがたかろう。 そうなると、中華帝国がそうだったように、儒教に合わせて 地場信仰をまとめあげ神を官僚的ヒエラルキー秩序にまとめ上げた道教的な宗教観念が求められることになろう。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |