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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.23] ■■■
[203]楽器を神器の琴に限定していそう
🎹🎸🎻「古事記」には、音楽のシーンが乏しい気がしてならない。それに、原初の信仰について一家言ありそうに見えるのに、笛が登場しない理由も判然としない。

神事らしきシーンを並べてみると、どうも琴にこだわりがあるようだ。
  📖原初琴を考えてみた@2015年

小生は、酒と歌謡舞踊が基本と見ているが、その辺りの表現は抑制的である。
【天詔琴】
大穴牟遲~・・・
取持其大神
[須佐能男命]之生大刀與生弓矢。及其天詔
【神前慰撫歌舞】
天宇受賣命・・・爲~懸而 掛出胸乳 裳飼E垂於番登也
【ご神託】
帶中日子天皇{仲哀天皇}・・・
猶あそばせ其大御
・・・
不聞御琴之音 即擧火見者既崩

【酒楽】
是還上坐時 其御祖 息長帶日賣命[神功皇后] 釀待酒以獻
【服属儀礼】
吉野之國主等 瞻大雀命[仁徳天皇]之所佩御刀歌曰・・・"・・・"
又於吉野之白檮上 作横臼而
於其横臼釀大御酒獻其大御酒之時・・・

【豐樂】
一時天皇[仁徳天皇]爲將豐樂而
幸行日女嶋之時
被給御
歌曰・・・
【n.a.(船材)】
此之御世[仁徳天皇]・・・
是船
("枯野") 旦夕酌淡道嶋之寒泉獻大御水也
茲船破壞 以燒鹽
取其燒遺木作
其音響七里
【大御酒献上】
大長谷若建命[雄略天皇]・・・
幸行吉野之時・・・
坐其御吳床彈御
令爲儛其孃子
【継承者発見】
遂兄[意祁命/顕宗天皇]儛訖 次弟將儛時・・・
如調八絃
所治賜天下伊邪本和氣天皇之御子
市邊之押齒王之奴末


小生は琴は叙事詩が生まれた後の楽器と見ているので、古事記の叙事詩はかなり後期の手が入ったものと見ている。
  📖上声去声表記の意味
つまり、このように見る訳だ。・・・
__呪詞__叙事詩⇒芸能作品
__神語__聖語__造語_
__秘儀式⇒信仰集会⇒世俗公演_
__声と息 ⇒_
__手足打⇒_
_____劇(仮面)
__環境音⇒_

このように整理すると、日本の文化の凄さというか、特殊な重層性に気付くことになる。
成立は後世にもかかわらず、能は、神霊信仰の原初をママ表現しているからだ。特殊発声の謡を核としたシンプルな音楽舞踏劇は、世界的に見て、珍しい芸術ではあるまいか。
(オペラのような例を挙げることはできるが、芸術分野では楽と劇は峻別される。それぞれ楽譜とシナリオが別途表記されるからである。日本では能がそのような分離を進めてしまったと言えるのかも。)

一方、叙事詩型については、日本は標準化されていない。おそらく、場当たり的な好みで、様々な変遷を経てきたのだろう。それを考えると、日本の音楽の好みは、フラグメント化している筈だが、どういう訳か、現実は全く逆である。米国流の、マスコミ主導の大衆文化に従うべしという思想が広がったことが大きそうだが、当のマスコミに金太郎飴文化の国にしたい人達が多いせいもあろう。

ちなみに、叙事詩段階に入れば、宗教的な外枠が形作られて、信徒が一体感を感じる音楽が創られるのが自然であろう。国の状況によって、かなり異なることになろう。その辺りの感覚が一番よくわかるのが、教会音楽である。讃美歌とパイプオルガンの信仰者集会が宗教活動の核になるからだ。言うまでもないが、祝詞と巫女舞というバラバラな部族信仰を消滅させる流れである。
それが徹底しているのは、早くに五線譜型を導入している点。神の国には規則があり、ヒトはそれを見つけて従うという深層意識に合わせるとそうならざるを得ないのである。オルガンは声を機械的に精緻なものに置き換えるためのものなのは明らかだし、木管フルートも機械的な楽器への道を進むのである。笛とは、神の息吹を感じるものであるという能管的な意識を消し去る必要があるということ。
ただ、重層文化の国である日本では、だからといって、能管だけに愛着を感じるということはない。
しかし、天竺の文化を考えると、機械的な音は叙事詩世界と親和性が乏しかろう。鍵盤楽器のゆらぎ鳴き音程の演奏は好まれない可能性が高いのでは。

琴は胴に糸を張る構造であり、古くに渡来した楽器を本朝でも作るようになったと思われるが、それなら同時に渡来した筈の他の楽器もそれなりの役割がありそうな気もするが、鏡と刀と琴という、道教の流れに対応しているのかも。(おそらくは、弓[撥弦]器の発展形。)・・・
《8音》
  金…編鐘(青銅)、方響(鉄)、銅鑼、鈴
  石/玉…編磬、特磬
  
、筝、瑟、琵琶、箜篌
  竹…簫、箎、笛
  匏…笙、竽
  土…塤/土笛
  革…鼓
  木…柷、敔、拍板

《5楽@五行》
  
  火…笙
  土…塤
  金…鐘
  水…磬
中華帝国は、経典は漢字で統一表記可能だが、その読みは統制できない。従って、声楽上から楽劇の標準化は無理であり、それに対応する楽器も本来的にバラバラにならざるを得ない。帝国の威容を示すのは、統一楽劇ではなく、万種劇とならざるを得まい。第一義的な楽器ではなく、数々の楽器を用いて統制がとられた演奏をすることが重要になろう。倭はもともと重層文化なので、そのような編成にたいした意味はなかろう。

そんなことを考えながら、8音/5楽を眺めていると、"楽器は琴。"と言わざるを得ない。秘儀的な伝統を継承するなら、楽劇的になる筈で、神儀を叙事詩で運営するなら、和歌を謡う必要があり、一名の場合は息を用いる楽器は不適である。その上で、音階設定になってしまう方式は受け入れ難いのであるから、手の運動で鳴る楽器を選ぶのだから、琴しかなかろう。
中華帝国分類は早くから導入されていたので、蚕の絹糸と、依り代にもなる木材で作られる琴は神器としてふさわしいということもあっただろうし。

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