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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.31] ■■■
[211]丹寸手信仰のもと
/コウゾ[=紙麻/カミソ]、三叉、雁皮の靭皮は現代でも和紙原料。
ただ、コウゾは野生化してしまったので、梶(カジの木)📖カミの木と雑種化しており、両者の区別がされない状況になっている。尚、栲/タクは大陸ではブナ系常緑樹の1種を指しているが、この樹木はコウゾとされたり、カジの木とされていることが多い。用例から見て、白色布の総称"たえ"を意味している場合もあり、こちらの文字はコウゾ樹皮製品を意味していると考えた方がよさそうだ。おそらく、白い色が際立つ繊維が出来上がった際は、神聖な品とされたのだろう。(良い木を選別した上で、繊維にほぐし、色付を一本一本手で取り除く丹念で緻密な作業がなされたことを意味している。)
ただ、必ずしも布にせず、縄を綯うことも少なくなかったようだ。

繊維の長さで考えると、麻[=大麻]が優れている。その茎の断面は◆で、靭皮を採取し易いから、実用上はこちらが王者と言えよう。
こうした繊維の加工法はソグド辺りが発祥地の可能性もあろう。地中海でもよく知られていながらさっぱり普及しなかったからだが。もっとも、大麻には幻覚性があるから、神権への脅威を覚えたからかも知れぬが。(倭の大麻には、幻覚物質が僅少なようで、状況はよくわからない。)
ともあれ、太安万侶の時代には、麻布作りが相当広がっていたのではないかと思う。

この2種の他に、類縁である、紵麻[苧/カラムシ]も使われていたようだ。名称から考えると、唐の麻といったところか。ただ、倭では史前帰化植物と見られており、古くから使われていたらしい。極めて丈夫であるため、紐や縄に使うことが多く、荒く編んで漁網にすることが多い。海女の潜水時の命綱はコレに限るとか。もちろん、織れば布になるし、漉けば紙も作れるが。

   《沼河比売求婚(姫の歌)譚》
  青山に 日が隠らば 射干玉の 夜は出でなむ
  朝日の 笑み栄え来て
  [多久豆怒]の 白き腕

   《須勢理毘売嫉妬(妃の歌)譚》
  綾垣の ふはやが下に [牟斯夫須麻]
  柔やが下に [多久夫須麻] さやぐ下に 沫雪の
  若やる胸を [多久豆怒]の 白き腕
  素手抱き 手抱きまながり

上記の両譚は繋がっていることがよくわかる。文芸としての肉感表現が素晴らしく、太安万侶一押し譚と言ってよいだろう。

   《国譲り(饗宴)譚》
  繩之千尋繩打延
  爲釣海人之 口大之尾翼
  鱸/須受岐 佐和佐和邇 控依騰

布は、衣類用でもあるが、"丹寸手/ニギテ"としても使われていたようだ。玉と鏡に並ぶ祭祀具であり、極めて重要な呪用具だったと言えそう。
名称から見て、神が降臨する物実だろう。(垂れる形状から四手と呼ばれたり、奉納場所を指す霊手倉との名称も使われる。幣は中華帝国祭祀の奉納から来た用語を当てたもので、神殿-幣殿-拝殿の3殿構造を意味しており、現代的に言えば奉納の上、祝詞を挙げる場所ということになる。依り代はあくまでも神殿内。)
その丹寸手には2種あり、白は楮製で、青は麻製ということになろう。

   《天石屋戸譚》
  天香山之五百津眞賢木 矣根こじにこじ[許士爾許士]
  於上枝取著 八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉
  於中枝取繋 八尺鏡
  於下枝取垂/志殿 白丹寸手丹寸手

・・・こんなことを考えていると、必ず暗記させられる、藤原定家の白妙の衣の歌の、"けらし"と"てふ"という訳は恣意的と言わざるを得ない。
もっとも、だからこその藤原定家の歌論通りと言うことでもあるが。
  春すぎて 夏來にけらし 白妙の
    衣ほすてふ 天の香具山 
[藤原定家:「小倉百人一首」]
  (春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山)[「萬葉集」巻一#28]
香久山が夏の白雲に覆われたのは、神が受け取ってくれた白衣を干しているのだナ〜、と言う雄大な感慨を詠っていると考えるべきでは。

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