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■■■ 「古事記」解釈 [2021.8.12] ■■■
[223] 櫨の話は避けたかったが
植物シリーズ的になって来たので、弓材としての櫨/ハゼをとりあげようかと思ったが、安易に書くのも考えものなので、枕的に見ておくことに。・・・
  天之波士弓=櫨弓
梓弓、真弓、槻弓は取り上げたが、檀/まゆみや櫨/ハゼ@漆系の記載は避けた。📖"梓"を使った理由がわからぬ
太安万侶の意図から大きく外れてしまうのではないかと考えたからである。

櫨材は、ウルシと同様心材が鮮やかな黄色。従って特別高貴な染料(黄櫨染御袍)として使われる。当然ながら、細工物にもなるが、そのような材であるから弓にもなる。
しかし、特別な染料用材⇒弓材という流れであって、逆ではなかろう。

と言うことで、この櫨/ハジ弓だが、国譲り譚に登場する天之波士弓に当たるとされていることが多い。音が似ている該当語彙は他にないらしく、ほぼ確定とされているのかも知れないが、方法論的には素人の思い付きと何らかわるところがない。

素人のよくあるトンデモ主張のように、専門家を貶すことで、立派な説を唱えている気分に浸ろうとしている訳ではないので念のために申し添えておこう。
要するに、この矢が登場する辺りは読むのが難しいのである。「萬葉集」が読めない話とは違って、言葉自体はわかるので、とんでもなく面食らうことになるが、常識的な文量の註では対処不可能であるというか、かえって有難迷惑になりかねない箇所なのだ。

そこは、天若日子〜阿遲志貴高日子根神譚。

初めて、ここに接すれば、原典から部分部分を切り取ってきて適当に繋げただけの、滅茶苦茶な描きっぷりという印象しか残るまい。従って、「古事記」とは、そういう書と見ることもできる。

しかし、全体の構成力や光るエスプリに触れていると、そんな筈はなく、この部分は何を伝えようとしているのか考えるしかないことになる。しかし、それは素人の手に余る。おそらく、玄人も、素人向けに解説しようとは思うまい。

そんな状況と見なしながら、なんとかなるとは思えないが、長くなるが、見ていくことにしよう。・・・
国譲り譚冒頭は、天忍穂耳命が天照大御神の言因で天浮橋から天降しようとすると、荒振る神々だらけなので中止し、天菩比神を派遣することに。
  爾 高御産巣日~ 天照大御~之命 以 於天安河之河原 ~集八百萬~集
  爾 思金~令思而詔・・・

しかし、天菩比神は大国主神に媚びへつらってしまい、三年経っても復奏せず。
問題はここから先。
  是以 高御産巣日神 天照大御神 亦 問諸神等:
   「所遣葦原中國之
天菩比 久不復奏 亦 使何神之吉」
  爾 思金神答白:
   「可遣 天津國玉神之子
天若日子
  故 爾 以
天之麻迦古弓 天之波波矢賜天若日子 而遣
解説では、以下のように、弓名が読み替えられることが多い。読み替え自体が問題ではなく、すぐ後で名称が変更されるので、それとどう繋がるかが重要だと思うが、そこは捨象されるのが常。・・・
      麻迦古=真鹿児 or 摩訶古
      波波⇒羽羽=大蛇(斬) or 大羽
❷天若日子は弓矢を賜わった意味を知っている筈で、名称はそれを示唆している筈。だからこそ、その命に反するために、弓矢を使うから、名前も変更になったとしか思えない。その観点では、葦原中国が信仰している蛇を射よ、という呪術器ならわかる。初回の❶天菩比神が賜わらなかったのだから、単なるレガリアでは無い筈だし。

  於是 天若日子 降到其國
  即娶大國主神之女 下照比賣
  亦 慮獲其國 至于八年不復奏


❶最初の派遣者天菩比神と違って、❷次の天降候補者は指名の時点から神でも命でもなく、一般扱い。親は、天津國玉神だから、天津國代表となっておかしくないというに。ただ、天照大御神の威光は御子の国を樹立することで、それに合わない行動者を神扱いさせる訳にはいかないのだろう。
しかし、天若日子は篭絡させられ反逆したというより、国を獲得すべく考慮した結果とされている。大國主神の王権・神権継承候補は少なくなくないから、優れた方策とも思えないものの。

結局、天若日子が何も言ってこないので、""の鳥を派遣することに。
  雉雞類…雉[=矢+隹]/綠雉@倭  環頸雉@大陸(野雞)

  故 爾 天照大御神 高御産巣日神 亦 問諸神等:
   「天若日子 久不復奏 又 遣曷神以問 天若日子之淹留所由」
  於是 諸神及思金神 答白:
   「可遣雉 名鳴女時」
  詔之:
   「汝行問天若日子状者
    <汝所以使葦原中國者 言趣和其國之荒振神等之者也 何至于八年 不復奏>」
  故 爾 鳴女 自天降到
  居 天若日子之門湯津楓上 而 言委曲如天神之詔命
  爾 天佐具賣 聞此鳥言 而 語天若日子言:
   「此鳥者 其鳴音甚惡 故 可射殺云進」
  即天若日子 持天神所賜
天之波士弓 天之加久矢射殺其雉

もともと、天若日子は弓矢を賜わって降臨しており、その弓矢で雉を射殺するのだが、弓矢の名称が突如変更されている。
      天之麻迦古弓⇒天之波士弓=天之櫨[ハゼ@漆系]
      天之波波矢⇒天之加久矢=天之眞鹿兒矢
命名の由来も、変更の理由もさっぱりわからず。但し、レガリアあるいは呪器として賜わったなら、それを現実の武器として使用するのは常識的にはタブーだろうから、名称を変えることになるのは自然ではあるが、それに沿った名称であるとは言い難い。
それに、本格降臨の際にはこの名前で準レガリアとして位置付けられているので、どう考えるべきかわからなくなる。
❸建御雷~が十掬劒で言向和平葦原中國の後、❹天津日子番能邇邇芸命が降臨した際のレガリアは八尺勾璁・鏡・草那藝劒だが、弓矢も忘れられた訳ではないのだ。
  天忍日命 天津久米命 二人
    取負 天之石靫
    取佩 頭椎之大刀
    取持
天之波士弓 手挾 天之眞鹿兒矢

そもそも、射殺をすることになった切欠は天佐具賣という鳥の言葉。この鳥は、天所属であり、詔で天降した雉の射殺を教唆するのはえらく奇異に映る。嘘つき鳥ということだろうか。("メ"は鳥を意味する接尾語でもある。)
天佐具売=天探女と見なすことになっているようで、そうだとすれば、高天原が放ったスパイということになるが、天若日子を反逆者に仕立てる謀略者として活動したことになる。突然にして登場したスパイの言葉を受け入れるとも思えないが、そこらの説明は見かけない。

ともあれ派遣された雉を射殺したため、還矢の呪で、射殺されることになる。
  爾其矢 自雉胸通 而 逆射上逮坐天安河之河原
  天照大御神 高木神之御所
         
【是高木神者 高御産巣日神之別名】
  故 高木神 取其矢見者 血著其矢羽
  於是高木神 告之
   「此矢者 所賜天若日子之矢」
  即示諸神等詔者
   「或天若日子 不誤命
    爲射惡神之矢之至者 不中天若日子
    或 有邪心者 天若日子 於此矢麻賀禮」云 而
  取其矢 自其矢穴衝返下者
  中天若日子寢朝床之高胸坂以死
         
【此還矢之本也】
          
【亦其雉不還 故於今諺曰雉之頓使是也】

突然、高御産巣日神の名称が高木神となる。高天原の"高い"という観念が、葦原中国の高木シンボルと融合したことを意味しているのだろうか。
還り矢の伝承譚は有名だったようだが、放った矢が方向転換してそのママ自らに向かって来たということではない。高木神の誓約で射殺されることになる。誓約は神意ということになるが、その神に高木神は入っていないことになるから、最高3神の神意と考えることはできず、どうなっているのかわからない。
"雉のお使い"という言い回しもよく使われていたことになるが、現在の、雉は国鳥との一般概念とはかなり隔たりがある。
いかにも、この3点に関して伝えておきたいとの意向を感じさせる割原註である。

  故 天若日子之妻 下照比賣之哭聲 與風響到天
  於是在天 天若日子之父 天津國玉神 及 其妻子聞 而
  降來哭悲 乃於其處作喪屋 而
  河雁爲岐佐理持 鷺爲掃持 翠鳥爲御食人 雀爲碓女 雉爲哭女
  如此行定 而 日八日夜八夜遊也


唐突に、阿遲志貴高日子根神が登場するが、天若日子の妻の兄である。
○大国主神
└┬△多紀理毘賣@宗像 奥津宮
┼┼├┐
┼┼○阿遅鋤高日子根神…迦毛大御神
┼┼┼△高比売命/下照比売命
河雁・鷺・翠鳥・雀・雉に鴨が加わり、鳥族による鳥葬の趣を呈している。このことは、天若日子も本来的には何らかのシンボルがあったことになろう。
いなくなった途端に鴨がやって来て、又飛び去るところを見ると、燕であろうか。(燕はヒトと近しいと言うか、その環境にどっぷりつかって棲息する珍しい鳥だが、もともとは葦の生える地で巣作りしていたのでは。)
鴨は、迦毛"大御神" v.s. 天照"大御神"から来る訳だが、燕と鴨はよく似ているというのだから、非稲 v.s. 稲を意味している可能性を感じさせる。湿潤期と熱暑期が不可欠な作物と、他の穀類を同様に扱うなという怒りがありそうな気もするからだが。
  此時 阿遲志貴高日子根神 到 而
  弔天若日子之喪時 自天降到
  天若日子之父 亦 其妻 皆哭云:
   「我子者不死有祁理」
  我君者不死坐祁理云 取懸手足而哭悲也
  其過所以者 此二柱神之容姿 甚能相似 故是以過也
  於是 阿遲志貴高日子根神 大怒曰:
   「我者愛友故弔來耳 何吾比穢死人」云


高天原には父だけでなく妻も存在したことがわかる。その先妻が、夫を間違えたのであるから、とんでもない話である。
阿治志貴高日子根神は王権のシンボルの劔を佩び、命あるものに力を与える玉を身に付けており、大王とみなすべき存在だったといえそう。ただ、鏡あるいは太陽信仰を示唆するレガリア無しということのようだ。

  而 拔所御佩之十掬劔 切伏其喪屋 以足蹶離遣
  此者在美濃國藍見河之河上 喪山之者也
  其持所切大刀名 謂
大量 亦名謂神度劔
  故 阿治志貴高日子根神者 忿而飛去之時 其伊呂妹 高比賣命 思顯其御名
  故歌曰:
    天なるや[阿米那流夜] 弟棚機の[淤登多那婆多能] うながせる[宇那賀世流]
    玉の御統[多麻能美須麻流] 御統の[美須麻流能]
    穴玉はや[阿那陀麻波夜] み谷[美多邇]
    二渡らす[布多和多良須] 阿治志貴 高日子根[多迦比古泥能] 神そ[迦微曾]也
         【此歌者 "夷振"】


喪山は蹴とばされて美濃國藍見河之河に落ち着くことになるが、降臨してきたので誕生地とか一族の地という訳でもないから、非稲 v.s. 稲の境界を意味しているのかも。ここらは、そもそも経緯が不透明である。喪屋を残された妻側が造らず、高天原から父と先妻が降臨して造るのだから。高天原放逐扱いなので、それしかなかったのだろうか。
・・・阿治志貴高日子根神の珠の威光は谷越え程度で、世界から光が失せるレベルでは無い異なるという歌になっている。

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