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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.1] ■■■
[243]<私的解説>儒教と五帝・太一
「酉陽雑俎」⇒「今昔物語集」⇒「古事記」と読み進んできて、註記の著者を吟味することの重要性をひしひしと感じることになった。

特に問題が大きいのは、儒教や道教の見方。小生のセンスで、そこらを書いておこう。

まず、儒教だが、中華帝国とは儒教ありきの国家であり、支配層から末端の民衆まで一色に染まっている点を理解しておくべきだと思う。そもそもが、国家宗教となるべくして形成された上、国家統制を基調とするため、儒教を学ばない限りどの分野もよくわからないのが実情。文化もすべて官僚が差配する国家である以上当然のこと。
例えば八卦も儒教の一分野とみなされているが、もともとの宗儀的にはあり得ない話。なんでも取り込む呪術系の土着宗教の道教に属していると考えるべきもの。しかし、意思決定に係わるから、社会秩序維持のための合理主義から、全面的に儒者の下での管理を進める以外に道は無い。個人の精神生活まで官僚統治することが究極の目標であり、儒者以外の出番の芽は早々に摘むしかない。
(日本の教育の特徴は、概念把握能力を削ぐ方向での暗記重視にあるので、ここらの感覚は理解できないかも知れない。・・・儒教の宗族信仰と一般的祖先崇拝の違いは多分わからないだろうし、宦官こそ宗族奴隷そのものという見方もできない。天子を頂点とするヒエラルキーを認めない蛮族や、宗族構造を崩そうとする者はすべて抹消すべきというドグマで固まっている"宗教"である。ただ、合理主義が貫かれるので、必ずしも短絡的に動く訳ではない。)

中華帝国では、民には公共道徳性が欠如している話だらけであり、それは、おそらく現代でも変わるまい。そのため、民は、自分勝手でルール無視の体質であり、儒教道徳とは無縁と考えてしまいがち。
実態的には、古代から現代まで、貴族と官僚からなる支配層こそが、ルール無視のご都合主義で、ルールは賄賂でどうにでもなるのである。詭弁ではなく、天子独裁-官僚統制国家体制を最高の仕組みと考えている以上、そうならざるを得ないだけの話。封建主義国家だろうが、現代の軍事独裁国家でも、同じことで、この仕組みを動かす上で合理的というだけで創られた"戒律"が道徳にされているだけ。

しかし、あくまでも合理主義から作られた"戒律"であり、それを遵守するか否かは、個々人が合理主義的に実利を考え、遵守するか判断することになる。支配層も都合が悪ければルールなど無視である。ただ、それを理由に権力闘争に敗れる恐れはあるが、もともと、出世のためとか、権力誇示による利権増大を図るためにルールを無視するのである。

当然ながら、ルール無視状況が目立ってくると、儒家が皇帝に意見することもなる。社会安定が揺らぎかねないからだが、そこで王権・神権を犯しかねない動きと見なされることもあり得る。結果、焚書坑儒となったりもする。その動きで有名な始皇帝からして、基本理念は、儒教の天帝-天子観念の塊でしかない。祭祀にしても、宗族第一主義者そのものであり、儒教との思想対立が発生している訳ではない。

おわかりいただけるだろうか。

儒教を肯定的に評価しているからこそ、民が公共道徳を優先しないというパラドックス。もちろん、見かけ、それを変えるのは簡単。罰則を飛躍的に強化しさえすればよいだけのこと。

毛沢東にしても、口だけの反儒教で、始皇帝と同類。儒教風土を踏まえて天子の地位に着いたとも言えよう。お蔭で、大躍進政策によって、とんでもない数の餓死者が生まれてしまったが、社会構造安定第一の合理主義からすればどうということもない。ただ、ほの合理主義故に、人民から芽生える創造性を極端に嫌悪するから、どうしても模倣と現状維持の政治になってしまう。そこからはみ出そうな動きは放置できないから、どう潰すか画策することになる。
言うまでもないが、あくまでも統治貫徹の合理主義が貫かれるから、犠牲者の多寡など考慮対象外である。それが問題となりかねないなら、そのような犠牲は無かったことにすればよいだけのこと。
儒教社会では、誰も、そんなことを気にすることはないのである。
毛沢東主義者のポルポトも同様で、実数は不明だが、現代社会では考えられないほどの多数の人々が殺害されたのはご存じの通り。ファシズムとかカルトとは違い、共産主義と宗族信仰の儒教を融合した独裁者の政治だったと見る方が当たっていよう。
ここらも、概念把握ができないと理解しがたかろう。・・・
儒教型仕組みでは、信用できる人物とは、"宗族"と紐帯ができた"仲間"のみ。それ以外の人物は利用の対象以上ではなく、"宗族"に敵対したことがある人物と認定したら、抹消のチャンスを見つけていつか実行することになるだけ。
利用価値があれば、実行を延期するだけのこと。

長々と書いてしまったが、この辺りの感覚が合わないと、せっかく時間を割いて駄文をお読み頂いても得るところはほとんど無いので、致し方ない。

さて、先ずは、五帝から見ることになるが、普通は三皇と組み。夏朝以前の時代の代表的帝王を意味しているが、選び方は色々。もちろん、ここが"皇帝"名称の由来である。
司馬遷:「史記」秦始皇本紀では、三皇とされていないものの、天皇・地皇・泰皇/人皇と記述されている。一方、司馬貞[補]:「史記」三皇本紀では、その抽象概念的見方に併記の形で人格神的な伏羲・女媧・神農が記載されている。男系社会としては女媧を入れたくない向きもあろうが。
五帝の場合は、「史記」五帝本紀では、黄帝・顓頊・嚳・堯・舜だが、「易経」では伏羲・神農が入るし、「淮南子」はその呼び変えの太昊・炎帝を採用している。こちらも決まっているとは言い難い。
誰を選ぼうが、それは王朝の宗族の都合であって、たいした意味は無い。重要なのは、男系の祖を措定したということ。始祖の女性から王権・神権が男性に移行したことを、有史としているのである。もともとは女系だったと解釈するのが自然だが、そのことは一切記載されていない。
 伏羲:華胥が巨人足跡@雷沢沼を踏んで妊娠。
 炎帝:女登が龍に遭って妊娠。
 黄帝:附宝が電光を見て妊娠。
 尭:慶都が竜に遭って妊娠。
 舜:握登が虹を見て妊娠。

この三皇・五帝だが、一般には<天>信仰の対象とされている。
始皇帝は秦の雍四畤祭祀(四帝)を行ったことで知られるが、これは天帝を継承する地位にあることの表象祭祀でもある。しかし、これらの複数の天帝は、皇帝の系譜の上流に位置付けられている以上、一種の宗族祖を祀ったということもできよう。要するに、<天>郊祭祀と<宗祖>廟祭祀ということになり、儒教観そのもの。
ここで間違い易いのが、儒教の根幹は、このような祭祀そのものではない点。祭祀毎に祭祀者を限定することこそが、核なのである。・・・天帝-天子祭祀は皇帝が行うものだし、宗廟祭祀は氏族長が行う。家においては、家長で、それ以外は認められない。このことで、社会統制が実現できる仕組み。もちろん、儒家がそうした祭祀の行儀を決め、運営も一手に預かることになる。
社会にヒエラルキー型統制を持ち込む訳で、なかなかよくできたシステムであることがわかろう。(このヒエラルキーを壊そうとする動きでも出れば、宗族全体が抹消される危険がでてくるから、族長は急いでそれを潰すか、革命に走るかのいずれしかない。出兵命令による宗族派遣者にしても必死の思いにならざるを得ない。活躍できなければ、家族はもとより、宗族全体が同様なリスクに直面せざるを得ないからだ。)

こうなると道教は祭祀の出番を失うことになりかねないが、もともとが地場信仰を基盤としている上に、ナンデモ寄せ集めの融通無碍の習合宗教であるから、本質的には儒教と対立的であるが、社会安定が第一義の儒教を補完するに役割に陥っていると見ることもできよう。
それは、教団活動が始まった頃、天子と対立してしまい完璧に壊滅させられた教訓から生まれた姿勢であろう。
個人的願望に応えることが第一義なので、王権から見れば危険な存在であり、本来的には弾圧必至なのだが。それを避けるため天子の願望成就宗教として教団の存続を図る以外に手は無いということ。
しかし、この姿勢を貫くなら、支配層としては自らの願望実現に大いに期待できる宗教という評価につながる訳で、唐代は、道先仏後となったのは、そこらが大きいだろう。もちろん、宗族祖を老子とできたことが、親和性の根拠となってはいるが。
ともあれ、本来的には国教化しにくい宗教であろう。

その辺りは、魯迅の見方が参考になる。・・・
20代に9年間の日本留学経験があるが、富国強兵政策にのっとった派遣であり、本人も、"黄帝の血を引く中華民族"のために留学するとの信念あってのこと。そして、日本で感じたことといえば、祖国に最も欠けているのは科学という点。しかし、科学振興以前に、国民の精神改造が先決とわかり、医学から文学の道へと進んだのである。当然ながら、反満の革命派の心情濃厚。
その目から見れば、漢民族の根底に流れているのは、三皇・五帝を祖とする民俗的宗教たる道教ということになる。つまり、中国文学とは神仙思想ベースのお話以上ではないと見なしたのである。(親友 許寿裳に)
これでは、科学は育たないと見た訳だ。
しかし、それと同時に、山海経を愛する自分を客観的に見ることができたのだと思われる。・・・おそらく、この時、道教が儒教の補完用宗教以外のなにものでもないことを悟っただろうし、儒教国家とは世界で一番野蛮な仕組みで統いることに気付いたのだと思われる。

つまり、中華帝国の一流知識人は、官僚統制が個人の精神生活にまで及ぶ現実社会に絶望している訳で、厭世志向か反体制のどちらかの姿勢をとることになるが、道教の存在によって後者はありえないのである。王権にとっては、歓迎すべき宗教であることになろう。
それに合わせて、最高神も天子との親和性向上させ、地場信仰の神々も最高神を頂点とする官僚的ヒエラルキーに組み込むことに。こうなれば、天子の神権の安泰を」保証する仕組みを作り上げたのである。

しかし、これらは強権的に作られた仕組みではない。中華帝国の風土そのものと言ってよいだろう。

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古者天子以春秋祭太一東南郊 用太牢 七日 為壇開八通之鬼道 [「史記」封禅書]
孝成帝時・・・上方郊祀甘泉泰畤 汾陰后土[揚雄:「甘泉賦幷序」]
漢成帝数次“行幸雍,祠五畤[「漢書」成帝紀]
 甘泉泰時…<太一>昊天上帝祭祀
 汾陰后土…<地>地上自然神(地母神)祭祀
 雍五畤…<天⇒宗祖五帝(青帝 赤帝 黄帝 白帝 + 黒帝)祭祀
     (秦雍四畤に黒帝追加)
----------------------
 <蛇朝>
伏羲⇒大昊(姓:風)🅔
女媧
└┬┘
┌┘
//
<焼畑朝>
神農/炎(姓:姜)🅢
臨魁楡罔─×

//
<黄帝朝>
/軒后🅒   《五帝世系図》
├─────────┐
玄囂⇒少昊🅦┼┼┼┼昌意
┼┼┼┼┼┼┼┼┼
蟜極┼┼┼┼┼┼┼┼乾荒
┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼顓頊🅝
├┬┬┐┼┼┼┼┼┼├┬┬┬┐
│││┼┼┼┼┼┼窮蟬│││
││┼┼┼┼┼┼│││
┼┼┼┼┼┼┼││老童
││后稷┼┼┼┼┼│││魍魎
│││┼┼┼┼┼┼│││梼杌
Ω※#┼┼┼┼┼┼││└────┐
┼┼┼┼┼┼┼┼│└──┐┼┼├┬┬┐
┼┼┼┼┼┼┼┼敬康┼┼┼┼│││
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││
┼┼┼┼┼┼┼┼句望┼┼駱明┼┼
├┬┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
丹朱┼┼┼┼┼┼橋牛┼┼┼┼┼
┼┼娥皇┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├┬┬┬┬┐
┼┼女英┼┼┼┼┼瞽叟┼┼┼┼┼昆吾││││
┼┼││┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼参胡│││
┼┼│└──────│─┐┼┼┼┼┼彭祖││
┼┼└───────舜┬┘┼┼┼┼┼┼会人
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼商均┼┼┼┼┼┼┼晏安
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼季連
┌─────────────┘
<夏朝>(禹)─启┬─中康少康─・・・
┼┼└─太康
 ※<商朝>(契)昭明相土昌若曹圉─・・・
 #<周朝>(后稷/棄)不窋公劉慶節─・・・
 Ω<漢朝>劉氏出自"祁"姓 帝堯陶唐氏子孫生子有文在手曰:「劉累」,因以為名。
      ・・・邦,漢高祖也。 [「新唐書」表第十一]


どうみても、本来的にゴチャゴチャしていている様々な部族集団を、整合性ある形に無理にまとめただけ。
  📖古代神話なき社会@「酉陽雑俎」の面白さ

┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼(盤古)→"元始天王"@道教
伏羲/太昊 + [人面蛇身]
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼(共工[人面蛇身])→北狄
炎帝神農氏─・・・─(祝融)
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼(形夭[断首身])
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼(蚩尤[牛頭人身])
黄帝
┼┼┼┼┼┼┼┼┼<臣下>(蒼頡)

│┌(昌意)高陽氏
││┼┼┼┼
││┼┼┼┼│┌・・・・─有虞氏/俊+(羲和,常羲)
││┼┼┼┼││┼┼┼┼┼[七孔欠損面六足重翼]
││┼┼┼┼││┼┼┼┼┼窮奇[ハリネズミの毛が生えた牛]
││┼┼┼┼││┼┼┼┼┼饕餮[人面牛身]=蚩尤の頭
││┼┼┼┼││┼┼┼┼┼[人面犬毛虎身]
││┼┼┼┼└┤
││┼┼┼┼┼┼┼┼┼(益/)<臣下>
││┼┼┼┼┼(鯀)(禹)()---@「夏」
││┼┼┼┼┼┼└→東夷
└┤
└玄/少昊─・─高辛帝
┼┼┼┼
┼┼┼┼│┌伊祁
┼┼┼┼│││┼┼┼┼┼┼<臣下>(羿+嫦娥)
┼┼┼┼││├(丹朱/驩兜)→南蠻
┼┼┼┼│││┼┼(三苗[渾沌+窮奇+饕餮])→西戎
┼┼┼┼││└<嫁下>(娥皇,女英)
┼┼┼┼└┤
┼┼┼┼┼(契)─・・・─(主癸)(湯/天乙)---@「殷/商」
┼┼┼┼┼(后稷)─・・・・・・---@「周」
┼┼┼┼┼├・・・

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