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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.9] ■■■
[251] 太安万侶の地位情報の危うさ
太安万侶がどのような立場で活動していたのかは気になるものの📖太安万侶の立ち位置を考えるべし、情報が少ないのでどうにもならない。
はっきりわかるのは、序文末尾の官位記載。@「続日本紀」・・・
 幷錄三卷謹以獻上
 臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首
    和銅五年正月廿八日
    正五位上 勳五等 太朝臣安萬侶

殿上人であり、京の次官待遇だったことになる。朝臣でもあるから、皇族外では最上位ランクの家の出。
ピカ一知識人であるにもかかわらず、勲等を受領しているから、もしかすると戦乱での功があったかもしれない。
この程度でイメージが湧かないので、そうしても情報を漁ることになるが、どこまで信用できるものか見当もつかないから止めた方がよさそうな気もするが、ついつい手を伸ばしてしまうことになる。・・・

先ずは国史記載の叙爵。・・・
  704年[文武-大宝4年/慶雲元年]正月正六位下⇒従五位下
  711年
[元明-和銅4年]四月⇒正五位上
  715年
[元明-和銅8年]正月⇒従四位下
  716年
[元正-霊亀2年]九月太氏/多氏氏長
  723年
[元正-養老7年]七月卒(民部卿従四位下)
文武天皇から2階級特進という栄誉を。殿上人として使いたかった理由が生じたのだと思われる。

家系については、多家である以上のことはわからないが、記録されている多家の人物は10名を越えていて、そこから家族と推定する手は無いでもない。ほとんど空想の世界であるが、そうすると系譜はこの様になるらしい。・・・
├┐
○蒋敷
│△妹
│└┬○扶余豊璋室[百済の王子]

└┬△n.a.
┼┼
┼┼○多品治@美濃国 味蜂間評 湯沐邑
┼┼└┬△n.a.
┼┼┼├┬┬┐
┼┼┼○安万侶[n.a.-723年]
┼┼┼┼○道麻呂
┼┼┼┼┼○宅成
┼┼┼┼┼┼○遠建治

要するに、祖父は天智天皇と懇意で妹を百済王家に送り込んだことになるし、父は天武天皇の内戦勝利に一大貢献を果たした武将ということになり、太安万侶はそのような環境で育ったということになる訳だ。

一方、後継は以下の2つの流れがある。

[朝臣]入鹿[759-816年]
┼┼┼┼┼┼┼┼┼【傍系】
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┼┼┼┼┼┼┼┼┼○藤野麻呂
┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼[臣⇒宿禰]自然麿[n.a.-886年] 甲斐守
┼┼┼┼┼┼┼┼┼雅楽右舞創始家系
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┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼○良常
大歌所系(「古事記」歌謡を含む。)
[朝臣]安邑  安家、安樹、安守

名前から、太安万侶の系譜を引き継いでいそうにも見えるが、そうなると歌謡の家として存続しているということかも知れない。歌唱法・演奏法といった、楽の文書化ということで叙事詩文書化の流れを汲むと見るべきかも。対象分野的は、歌謡+舞楽だけのようで、唐楽の管弦オーケストレーションの分野は入っていないようだ。
後世の多家の状況から想像はいくらでも広がるが、太安万侶の職掌は民部卿しか知られていないし、推定父は武人であり、推理に飛躍がありすぎるのは否めない。

尚、上記で傍系と見なしたのは、朝臣でないから。684年の八色之姓で多臣は天武天皇から、非皇族の最高位の朝臣を賜っているのである。
同時に賜っている家を見ると、初代天皇の御子 日子八井命を祖と記載されているようにも見える。もっとも、朝臣対象は52家と数が多いからそうなって当然かも。
「新撰姓氏録」には、同様な記載があるらしい。(但し、神八井耳命男の彦八井耳命の後とされているが。)どういう理由かは素人なので全くわからぬが、多朝臣同祖との記載がされていたりする。(「古事記」の影響での特別扱いなのか、あるいはもともとなんらかの超謡があるのか、階層的上下関係が生まれたのか、さっぱりわからぬが。)
ともあれ、日子八井命を祖とする氏族は、天武天皇から皇族に次ぐ地位と認定されたと見てよさそう。もっとも、逆の可能性もあるが。
個々にはどのような氏族で、多家とどうかかわっているのかは情報を欠くので全くわからないが、全国規模で広がっていることは間違いない。・・・
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【茨田連】
[河内]茨田堤@淀川東岸築造と同時に茨田屯倉設定[仁徳段]
<[右京]茨田連>多朝臣同祖
<[山城]茨田連>茨田宿禰同祖
<[河内]茨田宿禰>多朝臣同祖 (子:野現宿禰)
【手嶋連】
<[摂津]豊島連>多朝臣同祖
【意富臣】
[大和]十市飫富[=磯城田原本町多]
<[左京]多朝臣>
【小子部連】
<[和泉]小子部連>
<[左京]小子部宿禰>多朝臣同祖
【坂合部連】
(<[大和]坂合部首>)大彦命後)
(<[摂津]坂合部>)大彦命後阿倍朝臣同祖
----------九州
【火君】
<[右京]火君>多朝臣同祖
<[大和]肥直>多朝臣同祖
【大分君】
[豊後]大分/碩田
【阿蘇君】
[阿蘇⇒肥後]
【筑紫三家連】
[筑紫]那珂三宅[=福岡三宅]
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【雀部臣】【雀部造】
[孝元天皇/大倭根子日子國玖琉命段]建内宿禰之子:許勢小柄宿禰…許勢臣 雀部 臣輕部臣 之祖
[大雀命/仁徳天皇名代]「古事記」には記載されていない。
<[和泉] 雀部臣>多朝臣同祖
<《志紀首》雀部臣同祖>
  (建内宿禰子 許勢小柄宿禰:許勢臣・雀部臣・軽部臣の祖)
【小長谷造】
[大和]小泊瀬
  定小長谷部…小泊瀬舎人 小泊瀬稚雀神社@明日香
【都祁直】
[大和]山辺都祁
----------四国
【伊余国造】
[伊余/伊予]
----------信州
【科野国造】
[科野/信濃]
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【道奧石城国造】
[陸奥]石城[=磐城]
【常道仲国造】
[常陸]那珂[=ひたちなか]
(建借間命)…那賀国造初祖@「常陸国風土記」行方郡
【長狭国造】
[長狭⇒安房]長狭
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【伊勢船木直】
[伊勢]多気舟木[=度会大宮舟木]
【尾張丹羽臣】
[尾張]丹羽[=一宮丹羽]
(<[河内]尾張部>)
【嶋田臣】
[尾張]海部島田[=海部美和]
<[右京] 島田臣>多朝臣同祖
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■「古事記」非記載】■
 <[摂津]松津首>豊島連同祖
 <[河内]下家連>
 <[河内]江首>
■多朝臣系■
 《薗部》《志紀県主》《紺口県主》
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《多臣賜姓》
(683年:天武十二年)九月・・・
丁未。倭直。栗隈首。水取造。矢田部造。藤原部造。刑部造。福草部造。凡河内直。川内漢直。物部首。山背直。葛城直。殿服部造。門部直。錦織造。縵造。鳥取造。來目舍人造。桧隈舍人造。大狛造。秦造。川瀬舍人造。倭馬飼造。川内馬飼造。黄文造。薦集造。勾筥作造。石上部造。財日奉造。泥部造。穴穗部造。白髮部造。忍海造。羽束造。文首。小泊瀬造。百濟造。語造。凡卅八氏。賜姓曰

(684年:天武)十三年・・・
冬十月己卯朔。詔曰。更改諸氏之族姓。
作八色之姓。以混天下萬姓。一曰眞人。二曰朝臣。三曰宿禰。四曰忌寸。五曰道師。六曰臣。七曰連。八曰稻置。
▼是日。守山公。路公。高橋公。三國公。當麻公。茨城公。丹比公。猪名公。坂田公。羽田公。息長公。酒人公。山道公十三氏賜姓曰
眞人
十一月戊申朔。大三輪君。大春日臣。阿倍臣。巨勢臣。膳臣。紀臣。波多臣。物部連。平群臣。雀部臣。中臣連。大宅臣。栗田臣。石川臣。櫻井臣。采女臣。田中臣。小墾田臣。穗積臣。山背臣。鴨君。小野臣。川邊臣。櫟井臣。柿本臣。輕部臣。若櫻部臣。岸田臣。高向臣。完人臣。來目臣。犬上君。上毛野君。角臣。星川臣。
多臣。胸方君。車持君。綾君。下道臣。伊賀臣。阿閇臣。林臣。波彌臣。下毛野君。佐味君。道守臣。大野君。坂本臣。池田君。玉手臣。笠臣。凡五十二氏賜姓曰朝臣
十二月戊寅朔己卯。大判連。佐伯連。阿曇連。忌部連。尾張連。倉連。中臣酒人連。土師連。掃部連。境部連。櫻井田部連。伊福部連。巫部連。忍壁連。草壁連。三宅連。兒部連。手繦連丹比連。靭丹比連。漆部連。大湯人連。若湯人連。弓削連。神服部連。額田部連。津守連。縣犬養連。稚犬養連。玉祖連。新田部連。倭文連。〈倭文。此云之頭於利。〉氷連。凡海連。山部連。矢集連。狹井連。爪工連。阿刀連。茨田連。田目連。小子部連。菟道連。猪使連。海犬養連。間人連。舂米連。美濃連。諸會臣。布留連。五十氏賜姓曰
宿禰
(685年:天武)十四年・・・
六月乙亥朔甲午。大倭連。葛城連。凡川内連。山背連。難波連。紀酒人連。倭漢連。河内漢連。秦連。大隅直。書連并十一氏賜姓曰
忌寸

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