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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.16] ■■■
[258] <私的解説>太安万侶的創世記
俗に謂う天地開闢についてはすでに取り上げてきたが、太安万侶はかなり深く宇宙創成について考えを巡らしていたのではないかとの思えてきた。

早い話、序文と本文の余りのアンバランスが気になってしかたがなかった、ということに過ぎぬが。
どうしても繰り返しになってしまうが、その辺りについて触れておきたい。

先ず、重要なのは、序文はどう読もうと、中華帝国に於ける概念に、倭の最初の3神と、様々な物の大元となった2神の存在を接ぎ木した構造。
確かに、国際宗教導入を急ぎ、律令国家体制を急遽構築し、中央集権化を図っている状況からすれば、この表現はズバリ。なんの誇張も無いと言ってよいだろう。
【序文冒頭要約部】
  臣安萬侶言
  夫混元既 凝氣象未效
  無名無爲 誰知其形 然 乾坤初分
  參~作造化之首
  陰陽斯開
  二靈爲群品之祖
混元から2界が分かれるという単純な2元論である。道教的な用語を用いているものの、"天地"開闢と記載してはいない。天帝ありきの思想は組み入れられていないのであろう。注意深い記述がなされているといえよう。
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---------------------乾坤初分 陰陽斯開
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ところが、この要約の主旨と、本文は出だしから全く異なるので面食らう。
いきなり天地から始まり神が登場してくるからだ。クラゲのような海状態や、葦牙が伸びて行く生命力を彷彿とさせる神々登場シーンはその後なので、常識として覚え込まされる、混沌とした始原の海的宇宙創成が初源とはされていない。倭の人々の観念は、中華帝国の人々とはかなり隔たりがありますと指摘しているようなもの。
【本文冒頭】
  天地初發之時 於高天原 成~・・・
この箇所、実にしっかりした書き方。もともと序文要約部とは自分の考えであることを最初にことわっている訳だし。もちろん、ここには"開闢"イメージは欠片も無い。

天地とは、いかにも自然という現代の観念を思わせる概念になっていそうで、"天帝@天⇔天子@国"とは異なっている。高天原≒天と葦原中国≒地としてはいるものの。・・・
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┼┼┼┼││高天原
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┼┼┼┼┼├─┤天地初發
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┼┼┼┼││(葦原中国)
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││┼┼┼┼(海原+海外国)
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┼┼┼┼││(異界の国)
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つまり、この部分は中華帝国との違いは大きいですゾ、と記しているようなもの。かなり意図的な描き方と言ってよさそう。

序文は漢文で、本文は倭文(訓読み)になっているにもかかわらず、本文冒頭の4文字"天地初發"はいかにも漢文的だからでもある。と言っても、この文字は、テンチでなく、アメ・ツチと読むことになるが、初發の方をどう読むかは自明とは言い難いのでは。
そう感じた人は、鈍感でない限り、ここでガツンと一撃を喰らうことになる。

漢文的用語に見えるので、意味を調べるからだ。すると、唐代は勿論のこと、それ以前にも"初発"という用例が見つからない。太安万侶は、意図的に中華帝国で使わない用語で書いたことになろう。
参考に、"発"の用例を示しておこう。・・・
/發([相似形]髪)≒"起" [「廣韻」]
 舜發於 畎畝之中 [「孟子」]
 春夏曰發 秋冬曰斂 [「暦法」]
 地無以寧 將恐發 [「老子道コ經」]…動也
 春氣奮發 [「楚辭」大招]…洩也
 大昏之未發齊也 [「荀子」禮論]…謂未有威儀節文 象太古時也
従って、"初発"は、極めて恣意的な記述と言わざるを得ないが、問題は、それにどういう意味があるのかと尋ねられても答えに窮する点。そうなると、特段の考えがあると見るべきでは無いとなるが、そうとは言えないのは、小生のような浅学者でも"初発"は馴染みの用語だからだ。もちろん、太安万侶がそれを知らぬ訳がない。朝廷は仏教で沸き返り、帰化僧に様々な教えを乞う時代だったのだから。・・・
初発心[=発菩提心]
  [實叉難陀[訳]:「大方廣佛華嚴經」卷十七初発 心功徳品]

言うまでも無く、華厳は一世風靡したのである。
  📖「法華経」v.s.「華厳経」@今昔物語集の由来

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