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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.18] ■■■
[260] 豊明と豊樂は異なる
"楽"は文字通り喜悦を意味しており、笑いが重なることもあるが、現代で言うところの音楽という意味では用いてないと見た。
音楽は仏教渡来から始まった用語ということで。
さらに、"楽"は宴会を意味する用語にもなるが、その場合は《豐樂》と《盛樂》という熟語表現となるという話をした。📖"楽"文字の扱い

その際に、一言、余計なことも書いたので、そのご説明をしておこう。・・・
一般には、豊明=豊樂であるとされているが、解説を読むと、「古義」という書に、両者は豊宴(トヨノアカリ)と同じとされているかららしい。"豊宴"はいかにも宮中宴会の総称という用語だが、明と楽は全く異なる意味の文字であり、それなりの定義があってしかるべきで、両者は峻別すべきと思う。訓読みも同じとする理由も乏しい。

常識的には、豊明の訓読みはトヨノアカリだが、豊樂をそう読むことなど有りえまい。後世、以前の読みを強制的に捨てさせたと考えるしかあるまい。

「古事記」がはっきりとそれを示しているからである。両者は用語使用で峻別されているとしか思えないからである。・・・
【[15]応神天皇】軽嶋明宮
天皇豊明聞こしめしし日に
髪長比売に大御酒の柏を握らしめて
その太子
([16]仁徳天皇)に賜ひき
【[16]仁コ天皇】@難波之高津宮
亦一時 天皇爲將豊楽 而 ・・・被給御琴
【[17]履中天皇】@伊波礼若桜宮
本 難波宮に坐しし之時(太子時代)
大嘗に坐して 而
豊明為たまひし之時
於 大御酒にうらぎ
[宇良宜]て 而
大御寝したまふ也
・・・
  弟の中津王は皇位を狙い大殿に放火し暗殺を謀る。
  しかし、臣下が馬に乗せ避難に成功。
・・・
  下の弟 水歯別命
[18]反正天皇は忠誠を示すなら
   墨江之中津王を抹殺せよと天皇に言われたので
   連座を防ぐため、その臣下を唆し惨殺。
  主を殺したその臣下に褒美の位を授与するとして
  急遽、

其の山口に留まりたまひて
即ち仮宮を造りて
豊楽を為したまへり
  酒宴に乗じて、主殺しの臣を斬首。
  その上で、天皇に反逆者抹消を報告。

┼┼●[16]仁徳天皇/大雀命
┼┼└┬△石之日売命(葛城之曽都毘古の娘)
┼┼┼├┬┬┐
┼┼┼●[太子]大江之伊邪本和気命/[17]履中天皇
┼┼┼┼○墨江之中津王
┼┼┼┼┼●蝮之水歯別命/[18]
┼┼┼┼┼┼●男浅津間若子宿祢命/[19]

豊明節会は践祚大嘗祭(皇位継承期の新嘗祭)の後(翌日)に行われる節会の飲酒的饗宴とされている。(皇極天皇代に行われたとの記載があるので、その辺りから始まったと見る人が多いようだ。)用字的に、いかにも"光照天下"を意味していそう。
ただ、"新"嘗は一般的には歳時祭祀であり、皇嗣の催事とは言い難い印象があるが、どうということもない。中華帝国型律令国家の道を驀進することに決めた以上、宗廟祭祀が必要となっただけ。ただ、倭には宗族概念が無いのでわかりにくいだけのこと。・・・
天子諸侯宗廟之祭:
 春曰礿
 夏曰禘
 秋曰

 冬曰烝
天子祭天地
諸侯祭社稷
大夫祭五祀
  天子祭天下名山大川:
   五嶽視三公 四瀆視諸侯
  諸侯祭名山大川之在其地者

  [「禮記」王制第五]

ただ、厄介極まるのは、皇統譜上、天照大御神が祖となってしまう点。誰が見ても太陽女神であるから、中華帝国型皇帝祖や天帝イメージとは性情が違い過ぎるからだ。(中華帝国の天上の神々での太陽神の位置付けはOne of them。太陽は烏が運ぶ存在だったり、弓矢で太陽を落とす伝承まであり、倭の皇祖であるとか、天の最高神として掲げにくかろう。)従って、その辺りは曖昧にするしかなかろう。「古事記」序文からすれば、天武天皇が道教的な信仰体制を敷くことに決めたのだから、天照大御神≒中華帝国太一神とする以外に手はない。

ただ、中華帝国の天子-諸侯-大夫構造とは異なり、皇統譜上に臣下が結びつけられている上に、宗族ルールに反する近親婚や、女系の婚姻関係の紐帯が色濃いため、倭では宗族祭祀が適用できない。
そのため、"嘗"は倭としての秋の収穫祭にならざるを得ない。そこに下手に厳格な祖先崇拝を混ぜるとグチャグチャになりかねないので曖昧にしておくのがベスト。
つまり、倭では、天子が天神祭祀、皇族と主要婚姻関係の臣下は地祇といった、中華帝国型の厳格な区分けの導入はえらく難しいことになる。
従って、朝廷としては、天照大御神だけでなく、地祇も含めた祭祀を行うことになろう。それが新嘗祭ということ。
この祭祀は国家統治上でも大きな役割を担うことになるのは自明であるから、皇嗣祭祀が必要となれば、大嘗祭となるだけのことだろう。
そして、大嘗祭の大宴会≒豊楽は特別な扱いとなるので、豊明との名称がついたということになろう。"日子穗穗手見命者坐 高千穗宮"のイメージから来る名称ではないかと思われる。

何故に"楽"を止めたかも、中華帝国流を知れば自明であろう。秋の祭祀とは夏に迎えた神を送る場だから、哀しいだけで、楽しく無いとされているのだから。・・・
樂以迎來 哀以送往
故 禘有樂 而
無樂
  [「禮記」祭義第二十四#1]
しかしながら、収穫祭での宴が楽しくないなど、どこの世界だろうが有りえない。大陸とは季節の状況が違うのである。ただ、"豊楽"という用語の使用だけは止めようとなるだろう。
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