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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.21] ■■■
[263] てにをは文法は太安万侶理論か
素養無き状態で強引に「古事記」を読み続けているが、フェチでもないし、顕示欲などさらさら無いが、結構、それなりに面白いので続けている。
ただ、浅学であるが故に、気になるのは語訳である。小生は、「記紀」混ぜこぜの注釈は信用しないことにしているので、どうしても素人の無鉄砲なルール外しの読み下しになる。
ところが、それが正しいか否かは別として、意味が読み取れるし、太安万侶が考えているのではないかと思われるコトまで想定できたりする。

ルール度外視で訓読み的な文章を書いていて📖土雲と土蜘蛛は異なる概念、その理由が見えて来た気がしたので、書いておくことにした。

先ずわかったことは、順番に読め、と指示している点にある。
序文の漢文が一通り読めないなら、諦めて欲しいということでもあろう。
本文は、漢字を表記に用いている倭語の文章だが、漢字配列を見た瞬間、漢文文法が当たり前のように頭で回転できないと、本文の散文は読めないということ。

一方、本文の韻文は歌の部分だけで、こちらは原則一文字一音の単純明快な表音文字表記であり、リズム感だけあれば読める。文法不要。散文のストーリーから、単語を想起せよということになろう。必ずしも57で成り立ってはいないが、助詞がわかるので、4文字句切れ部分を見つけることができるようになっている。
おそらく、4のような、リズム変調部とは、後世の枕詞に当たるようなクリッシェであろう。

問題は、散文箇所だが、実に親切である。読み方が割註的に書いてあったりするが、それは最初だけで、以下同様となる訳だ。
つまらぬことで、訓読み註が入っていろように映るが、それは必要と踏んだからである。
何と言っても蕎麦らしいのは、漢字表記に表意表現を取り込んでいることと、文字表記で文法を示している点。
思うに、倭語は情緒的なため、文法的に柔軟で、いかようにも読めてしまう性情がある。従って、文字表記にしてしまうと、読み方が確定できない可能性がある。
それを防ぐには、漢文文法を登用した表記をするのが一番ということになろう。
つまり、太安万侶はは漢文読み下し型文章の創案者ということになろう。・・・
単語の読む順番を心地よい流れに変換し、それぞれの単語の文法的位置付け(格)がわかるように後置詞(てにをは)を付けて読めと指示しているようなもの。
このことは、現代の助詞を使った方がわかり易いなら、それで十分だし、語順にしても、意味を取り違える恐れが無いなら臨機応変ОKと言えよう。

そんなことを考えると、素人向けの「古事記」専用文法書が欲しいところだ。
例えば、所属を示す連体助詞は「つ」、「の」、「が」であるが、"天国 奥辺 内外 上中下 山野海沖島 家 etc."といった場所や位置は「つ」となる、とか。
思い付いたものを並べてみるだけでも、結構な数になるが、どうも太安万侶は意識的に整理を進めているようだ。・・・
文章を、強調する詞としては、「乎」「哉」「歟」「耶」。
単に、文末を示すだけなら、「也」「焉」。
文頭で、前文との繋がりを示すなら、「尓」「即」「於是」「然」だし、古文的には「登」「許曽」が該当してくるか。さらに、When的な表現にするなら、「時」「間」を用いればよい。句的表現だと、「於」「于」や「自」「従」の使用も目立つ。

引用や発現の類は語彙が多いから、それぞれ微妙なニュアンスの違いや尊敬・謙譲意識が示されていると思われる。

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