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■■■ 「古事記」解釈 [2021.10.19] ■■■
[291] [私説]初代天皇名の別称の意味
「古事記」を序文頭から、33代天皇段末まで目を通してから、「播磨國風土記」と「出雲國風土記」を読むと、色々とわかってくる(気がする)
例えば、初代天皇は3つの名前が記載されている理由も自明であろう。天皇に別名とか綽名が別途必要になる筈などないからだ。
  若御毛沼命
  豊御毛沼命
  神倭伊波禮毘古命
よく見れば、周到な編纂で、天皇編が始まる中巻では1つに統一されている。風土記を眺めたお蔭で、こんなことも難しく考える必要がないことに気付かされる訳だ。

要するに、3つの名前併記とは、太安万侶が読み方に"ご注意"してくれただけの話。

そうそう、一般的にはこの他に以下の2つも使うから、5つあるとした方がよいだろう。天皇に直結する中央以外では、天皇名を直接呼ぶなど恐れ多いことで、基本は宮地名表記にするだろうし。
  畝火之白檮原宮天皇
概念を嫌う"日本史"教育では、時代区分は、大きくは、宮のある首府地域名とし、細かな区分は天皇名とするのが"通例"なので、現代では名称は中華帝国型の漢字2文字表記で統一されているが、それは、もちろん「古事記」成立後のこと。
  神武天皇

太安万侶は実によく考えており、上巻での祖の時代の別称についても的確である。・・・
  火照命 海佐知毘古
   v.s.
  火遠理命 ⇔ 虛空津日高
  亦名 天津日高日子穗穗手見命
  山佐知毘古
海幸と山幸は固有名詞的でない訳で、神ではあるものの、身近な存在感を与えることになる。一方、他の神は、火遠理命のことを別称"虛空津日高"と呼ぶ。"天"神系の皇嗣であるとの意味であるのは歴然としている。
このことで、"アマ"の二重性がわかる仕掛け。
  "海"系"アマ"…土着的山神は"海"系の可能性。
  "天"系"アマ"…虛空

要するに、初代天皇は3区分すべきであるとの太安万侶の考え方を示していると言ってよいだろう。
正確には、名称は1つしかない。・・・
  神倭伊波礼毘古命の宮は畝火之白檮原宮。
  御陵は畝火山之北方白檮尾上。137歳崩御である。

伊波礼は奈良盆地の地名であり、即位後にこのように呼ばれるようになったということ。初即位であり、皇嗣の皇子と同様に扱う訳にはいかないから、それ以前の名前の記載は不可欠ということになろう。
「古事記」を読めばわかるが、"神武東征"名付けられているが、主役を担っていることが示されている訳ではない。そう読みたければ、そう読みなさいということで、常識的には活躍しているのは長子であり、継ぐ兄も先に往く訳で、軍事的には3兄が先頭に立って動いたことを意味していると考えるべきだろう。
末子宗族の女系的風土があるにしても、武力統治を含む為政は長子が担うのが普通であり、おかしな記載ではない。

天津日高日アマツヒコヒコ波限建鵜葺草葺不合ナギサタケウカカヤフキアヘズ命と玉依毘売タマヨリビメ命の御子・・・
 五瀬イツセ
 稲氷イナヒ
 御毛沼ミケヌ
 若御毛沼ワカミケヌ命/豊御毛沼トヨミケヌ命/神倭伊波礼毘古カムヤマトイハレビコ

九州から紀伊までの間は、実質的に首長は五瀬命だった訳で、末子は三男 御毛沼命に護ってもらうだけの存在というイメージを与えても致し方ない。この期間の名称は、"若御毛沼"である。
兄がいなくなり、軍勢を統率せざるを得なくなれば、"若御毛沼"というより、戦いを勝利に導く"豊御毛沼"と替わるのが自然であろう。木國というか、まさに忌國となってしまった地域と吉野〜熊野〜宇陀での名称ということになろう。
そして、繰り返すが、奈良盆地≒大和≒倭の"いわれ"に入り📖伊波礼の地は失墜したのか、基盤を形成して即位することになる。従って、"いわれ"進出からは天皇名が通用することになろう。

尚、覇権を握ったといっても、地域的には限定的なのは明らかでだり、盆地全域を掌握し、その外周国を従属化したのは、10代である。このため"初國之御眞木天皇"と記載だれているが、これは別称ではない。連合王国時代の天皇とは違うことを示すために使った用語と見るべきだろう。名称は1つしかない。・・・
  御眞木入日子印惠命
  (師木水垣宮天皇)
  (崇神天皇)

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