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■■■ 「古事記」解釈 [2021.10.26] ■■■
[298] 山背大兄王と山代王は別人か
643年、蘇我入鹿が厩戸皇子の御子 山背大兄王を襲撃し、一族を絶滅させる話は、どういう理由なのかは知らないが必ず習うことになっているようだ。上宮王家滅亡が重大事件ということなのだろう。
33代天皇が崩御し、山背大兄王も皇嗣を狙ったらしいが、その時点では力及ばずだったということか。ストーリーはわかるものの、皇位継承争いは延々と続いており、皇統断絶になりかねないまでの熾烈なものであり、とりたてて注目する理由は小生にはよくわからない。

「古事記」は33代で完了ではあるものの、系譜としては、名称は記載されてはいないものの34代岡本宮天皇までが分かるようになっており、聖徳太子を上宮之厩戸豐聰耳"命"と敬称をつける位にまで重視したのだから📖聖徳太子無視ではなさそう、その御子を記載してもよさそうに思うが、そこまでする必要ないということのようだ。

と言うか、系譜を眺めていると気にかかるのである。

山背大兄王とは34代腹違い兄弟の"山代王"ではないのか、と。(33代の弟も同名。)

と言うことで、下記に系譜を再掲した。📖系譜の史書との類似化で完か?ここでピンク色は「日本書紀」に記載されている名前だが、「古事記」同様に、聖徳太子の妃・御子の記載が欠けている。そこらの情報は法隆寺が保管していた「上宮聖徳法皇定説」に頼るしかないようだ。

皇統断絶の危機回避を果たした際の系譜も上宮文書にのみその情報がある。
「古事記」執筆のせいぜい1世紀前のことであるにもかかわらず、この程度のことの記録さえ残されていなかったということになる。
記録として残す気がなかった筈はなく、皇位継承抗争では敗者の記録は抹消されていたことを意味するのではなかろうか。中華帝国が王朝毎に国史を編纂し、完成したら類似書籍をすべて焚書にするという方針に倣ったのかも。
そのため、皇族内に様々な伝承が存在するようになり、仕える氏族はそれとの整合性を図ることになり、相互矛盾だらけの系譜併存状態がもたらされたとも考えられる。

そんな状態であれば、天皇譜確定は緊要な課題だったと言えよう。太安万侶としては、「古事記」を通じて、なにがなんでも33代の天皇の確定を成し遂げようとしたに違いあるまい。その流れに棹差すような情報は一切不要ということになろう。
ただ、この確定はあくまでも、ベスト・エフォート・ベイシスであり、天皇とみなすべきか迷った箇所が読み取れるように工夫して書いたということだろう。

ただ注意すべきは、太安万侶が目指したのは国史ではないという点。
「記紀」として習合されて読まれたのでは、たまらぬだろう。

天國押波流岐廣庭命/欽明天皇天国排開広庭天皇
└┬△岐多斯比賣(宗賀之稻目宿禰大臣之女)堅塩媛
├┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
橘之豐日命/用明天皇大兄皇子/橘豐日天皇
┼┼石坰王磐隈皇女
┼┼┼足取王臘嘴鳥皇子
┼┼┼┼--------△額田部皇女
┼┼┼┼│〇亦麻呂古王椀子皇子
┼┼┼┼大宅王大宅皇女
┼┼┼┼┼┼伊美賀古王石上部皇子
┼┼┼┼┼┼┼●山代王山背皇子
┼┼┼┼┼┼┼┼大伴王大伴皇女
┼┼┼┼┼┼┼┼┼櫻井之玄王桜井皇子
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼麻奴王肩野皇女
┼┼┼┼
沼名倉太玉敷命/敏達天皇渟中倉太珠敷尊
└┬──豐御氣炊屋比賣命/推古天皇豐御食炊屋姫天皇
│├┬┬┬┬┬┬┐
│△靜貝王/貝鮹王菟道貝鮹皇女
竹田王/小貝王竹田皇子
┼┼小治田王小墾田皇女
┼┼┼葛城王
┼┼┼┼宇毛理王鸕鷀守皇女/輕守皇女
┼┼┼┼┼小張王尾張皇子
┼┼┼┼┼┼多米王田眼皇女
┼┼┼┼┼┼┼
└┬△小熊子郎女(伊勢大鹿首の女)菟名子
│├┐┼┼┼┼┼
│△布斗比賣命太姫皇女
寶王/糠代比賣王糠手姫皇女
└─┐┼┼┼
└┬△比呂比賣命(息長眞手王の女)広姫
│├┬┐│┼┼┼
│●忍坂日子人太子/麻呂古王忍坂彦人大兄皇子
││△坂騰王逆登皇女
││宇遲王菟道磯津貝皇女
││┼┼┼┼┼
│└┬─△田村王/糠代比賣命糠手姫皇女
││├┬┐┼┼┼
││@岡本宮息長足日廣額天皇/舒明天皇
││中津王
││多良王
││└─────
││┼┼┼┼┼
│└┬△大俣王(漢王之妹)
││├┐┼┼┼┼
││〇智奴王茅渟王
││桑田王n.a.
││└┬△吉備姫王
││├┐┼┼┼
││宝皇女皇極天皇 斉明天皇
│││●軽王孝徳天皇
││└┬───
││┼┼├┬┬┐
││┼┼古人大兄皇子
││┼┼┼中大兄皇子天智天皇
││┼┼┼┼間人皇女
││┼┼┼┼┼大海人皇子天武天皇
││┼┼┼┼┼┼
││┼┼┼┼┼┼櫻井玄王櫻井弓張皇女
│└┬─────┘
├┐
●山代王
┼┼笠縫王

└┬△老女子郎女(春日中若子之女)老女子
├┬┬┐
難波王難波皇子
┼┼桑田王桑田皇女
┼┼┼春日王春日皇子
┼┼┼┼大俣王大派皇子

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