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■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.6] ■■■
[125] 系譜の史書との類似化で完か?
「古事記」の巻末の記載簡素化は目立つ。📖巻末段記載の意義不明2代の天皇がたったこれだけ。いくら"古事"を記載することに注力した書だからとはいえ、いささか度が過ぎる印象を与える。・・・
㉜【長谷部若雀天皇】坐倉椅柴垣宮。治天下肆歲。
 御陵在倉椅岡上也。
㉝【豐御食炊屋比賣命】坐小治田宮。治天下參拾漆歲。
 御陵在大野岡上。後遷科長大陵也。  【完】


実体的には、㉚㉛㉜㉝の4代は㉙の皇子であるため、すでに系譜は記載済ということであるが、余りの軽さに唖然とさせられる。
下巻では、男子直系継承から、兄弟継承へとルールが変換されていることを示せば十分ということかも知れないとはいえ。📖上中下巻の系譜上の切れ目

この後、おそらく男子直系化が図られた訳だが、それを天武天皇が強引に武力で兄弟継承に戻したが、結局のところそれはならなかったようだ。もともと、倭人は、兄弟継承したり、姉弟の姫彦政体を採用したりしている上に、その2人が天(鬼道の神権)と地(王権)を分担するという、中華帝国の大原則と余りにかけ離れている政体だったから、中華文明圏外とされており、律令国家化を初めてしまえば、そこらの是正は避けて通れない訳だ。
いずれにしても、血族としてのアイデンティティを保つことが至上命題となるから、近親婚で継承正統性を高めることになった訳で、そこらが見えるように系譜を記載すれば十分ということなのだろう。📖兄弟姉妹婚観の問題提起

それにしても、命とはいえ、名前がズラズラと順繰りに並べただけなのでで、全体像も掴みづらいし、系譜好きでなければ読む気力が失せてしまう。しかも、コピー時の御子挿入を防ぐためか、娶ったら産まれた御子は名前だけでなく、その総数を必ず記載している。複数娶るのが普通なので、小計だけでなく、合計の柱数も注記として書き入れており、これでは妃・皇子を後から挿入できない訳で、実に周到そのもの。
そうまでしても、たいした効果などあるまい。その気になれば金と権力でどうにでもなるのが世の常なのだから。だからこそ、「日本書紀」の系図は廃棄されたと見てよいだろう。それによって、金蔓を手にした権力者の仕業に決まっている。
太安万侶は、そんなことは百も承知。しかし、勅命編纂の旗印でリスクの高い記載もあえて行おうとしている以上、この書き方は身を守る上で不可欠と言えよう。

史書との系譜の違いが、継体天皇以後でどの程度のものか眺めるために📖哀本杼命新王朝論について、以下のような系譜図を作ってみたが、当て字は違っているものの、ほぼ同一と考えてよさそう。
そうなると、たいして意味の無い記載ということになるが、全体像を眺めることに意義があるゾ、ということだろうか。例えば、"息長眞手王の女"が2ヶ所登場するが、時代がかけ離れており、およそ有り得ない。当然ながら、わかっていて書き入れたのであろう。

天皇は皇子に限られ、だからこそ先代から魂を引き継げるとの観念からすると、24代と26代の父系ではすでに齟齬が生じている。それを補完するためには近親婚しかないということになろう。📖兄弟姉妹婚観の問題提起それを避ければ、中華帝国型の王朝断絶の革命是認になりかねない訳で。
太安万侶的には、ここらでの一番の苦悩は33代にあるということになろう。示された最後の34代天皇は、以後の皇統の祖に当たる訳だが、両親とも天皇位ではないからだ。
31代・32代は在位が短すぎ、止むを得ずに初の女性天皇誕生につながったのだが、即位儀式が可能だったかは不明である。しかるに、今度は33代の在位期間が長すぎ、崩御時点で継承候補の皇子不在になってしまい、孫を選択するしかなかったのだろう。譲位の仕組みは無かったことになる。それを示唆するために、唐突だが、ここらだけ在位期間を記載したのだろう。
(33代については、天皇と記載されていないのは、太安万侶の考え方を示している。・・・天皇崩御の後、大后天皇と呼ばれていただけのことで、皇子が継承可能な年代迄の代理役を務めたに過ぎまい。)

---下巻 26代〜33代--- pink:「紀」@Wiki天皇等
  (見易くするため、順番等はママではありません。)
品陀和気命/大鞆和気命/応神天皇
├───────大雀命/仁徳天皇
┼┼┼┼┼┼┼├─┬─┐ 📖皇統譜の提示が第一義
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┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼大長谷若健命/雄略天皇
┼┼┼┼┼┼┼└┬△和珥童女君(春日和珥臣深目の女)
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┼┼┼┼┼┼┼┌┴┐└┐
┼┼┼┼┼┼┼意祁命(袁祁命の兄)/仁賢天皇
┼┼┼┼┼┼┼┼┼└┬△春日大郎女
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├┬┬┬┬┐
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼高木郎女
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼財郎女
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼久須毘郎女
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼小長谷若雀命/武烈天皇
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼真若王
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└──┐
哀本杼命/継体天皇男大迹王   📖哀本杼命新王朝論について
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
└┬△若比賣(三尾君等祖)稚子媛
│├┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
│〇大郎子大郎皇子
出雲郎女出雲皇女
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└┬△麻組郎女(息長眞手王の女)麻績娘子
│△佐佐宜郎女…伊勢神宮拝荳角皇女
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└┬△K比賣(坂田大俣王之女)広媛
│├┬┬┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
│△~前郎女神前皇女
田郎女n.a.
┼┼白坂活日子郎女n.a.
┼┼┼野郎女/長目比賣n.a.
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
└┬△倭比賣(三尾君加多夫の妹)倭媛
│├┬┬┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
│△大郎女大郎子皇女
丸高王椀子皇子
┼┼耳上王耳皇子
┼┼┼赤比賣郎女赤姫皇女
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
└┬△阿倍之波延比賣和珥荑媛
├┬┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
若屋郎女稚綾姫皇女
都夫良郎女円娘皇女
┼┼阿豆王厚皇子
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└┬広媛(根王の女)
│├┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
菟皇子
中皇子
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└┬関媛(茨田連小望の女)
├┬┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
茨田大娘皇女
┼△白坂活日姫皇女
┼┼△小野稚娘皇女
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
└┬△目子郎女(尾張連等祖 凡連の妹)尾張目子媛
│├┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
廣國押建金日命安閑天皇広国押武金日天皇…御子無
建小広国押楯命/宣化天皇武小広国押盾天皇
└┬△川内之若子比賣大河内稚子媛
│├┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
│〇火穗王(祖:志比陀君)火焔皇子
惠波王(祖:韋那君,多治比君)…↓上殖葉皇子
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
└┬△橘之中比賣命橘仲皇女
┼┼├┬┬
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼││〇倉之若江王△倉稚綾姫皇女
┼┼││上殖葉皇子…↑
┼┼│└┐┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┌│─│───────────┘
└┬△手白髮命手白香皇女
天國押波流岐廣庭命欽明天皇天国排開広庭天皇

└┬△石比賣命石姫皇女
│├┬┐│
│〇八田王箭田珠勝大兄皇子
│△笠縫王笠縫皇女
┌│─┘
││┼┼┼
│└┬──△小石比賣命倉稚綾姫皇女
││〇上王石上皇子
││
│└┬△糠子郎女(春日之日爪臣の女)糠子
││├┬┐
││△春日山田郎女春日山田皇女
││麻呂古橘麻呂皇子
││──←---日影皇女
││┼┼宗賀之倉王倉皇子
││
│└┬△小兄比賣(岐多志比賣命の姨)小姉君
││├┬┬┬┐
││〇馬木王茨城皇子
││葛城王葛城皇子
││┼┼│〇三枝部穴太部王/須賣伊呂杼泥部穴穂部皇子
││┼┼長谷部若雀命/崇峻天皇泊瀬部天皇
││┼┼└┬△小手子
││┼┼┼┼├┐
││┼┼┼┼蜂子皇子
││┼┼┼┼┼錦代皇女
││┼┼└──────────┐
││┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
│└┬△岐多斯比賣(宗賀之稻目宿禰大臣之女)堅塩媛
├┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐│
橘之豐日命/用明天皇大兄皇子/橘豐日天皇
│△石坰王磐隈皇女
足取王臘嘴鳥皇子
┼┼--------△額田部皇女
┼┼│〇亦麻呂古王椀子皇子
┼┼大宅王大宅皇女
┼┼┼┼伊美賀古王石上部皇子
┼┼┼┼┼山代王山背皇子
┼┼┼┼┼┼大伴王大伴皇女
┼┼┼┼┼┼┼櫻井之玄王桜井皇子
┼┼┼┼┼┼┼┼麻奴王肩野皇女
┼┼┼┼┼┼┼┼┼橘本之若子王橘本稚皇子
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼泥杼王舎人皇女
┼┼└─┐┼┼┼┼┼┼┼
┌──│───────┘
└┬△間人穴太部王穴穂部間人皇女
│├┬┬┐│
│〇上宮之厩戸豐聰耳命(聖徳太子)上宮厩戸豐聰耳太子
久米王来目皇子
┼┼植栗王殖栗皇子
┼┼┼茨田王茨田皇子
┼┼┼┼
└┬△意富藝多志比賣(稻目宿禰大臣之女)石寸名
│〇多米王田目皇子/豊浦皇子
┼┼┼┼
└┬△飯女之子(當麻之倉首比呂之女)廣子
┼┼├┐┼┼
┼┼當麻王麻呂古皇子
┼┼┼須加志呂古郎女酢香手姫皇女
┼┼┼┼┼┼
沼名倉太玉敷命/敏達天皇渟中倉太珠敷尊
┌────┘
└┬豐御氣炊屋比賣命/推古天皇豐御食炊屋姫天皇
│├┬┬┬┬┬┬┐
│△靜貝王/貝鮹王菟道貝鮹皇女
竹田王/小貝王竹田皇子
┼┼小治田王小墾田皇女
┼┼┼葛城王
┼┼┼┼宇毛理王鸕鷀守皇女/輕守皇女
┼┼┼┼┼小張王尾張皇子
┼┼┼┼┼┼多米王田眼皇女
┼┼┼┼┼┼┼櫻井玄王櫻井弓張皇女
┼┼┼┼┼┼┼
└┬△小熊子郎女(伊勢大鹿首の女)菟名子
│├┐┼┼┼┼┼
│△布斗比賣命太姫皇女
寶王/糠代比賣王糠手姫皇女
└─┐┼┼┼
└┬△比呂比賣命(息長眞手王の女)広姫
│├┬┐│┼┼┼
│〇忍坂日子人太子/麻呂古王忍坂彦人大兄皇子
││△坂騰王逆登皇女
││宇遲王菟道磯津貝皇女
││┼┼┼┼┼
│└┬─△田村王/糠代比賣命糠手姫皇女
││├┬┐┼┼┼
││@岡本宮息長足日廣額天皇/舒明天皇
││中津王
││多良王
││└─────
││┼┼┼┼┼
│└┬△大俣王(漢王之妹)
││├┐┼┼┼┼
││〇智奴王茅渟王
││桑田王n.a.
││└┬△吉備姫王
││├┐┼┼┼
││宝皇女皇極天皇 斉明天皇
│││●軽王孝徳天皇
││└┬───
││┼┼├┬┬┐
││┼┼古人大兄皇子
││┼┼┼中大兄皇子天智天皇
││┼┼┼┼間人皇女
││┼┼┼┼┼大海人皇子天武天皇
│└┬─────┘
├┐
山代王
┼┼笠縫王

└┬△老女子郎女(春日中若子之女)老女子
├┬┬┐
難波王難波皇子
┼┼桑田王桑田皇女
┼┼┼春日王春日皇子
┼┼┼┼大俣王大派皇子

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