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■■■ 「古事記」解釈 [2021.11.4] ■■■
[307] 尾張は表に出ずタイプか
"尾張連の祖"が何回も登場するのには閉口する。支族が多く、それぞれ異なる祖を持つということだろうか。

地場では、尾張の命名由来は、八岐巨蛇尾から出た剣とされているのだから、倭建命東方十二道制圧を支えた強者を祖にしそうなものだが、その後の、倭建命対抗太子の妃の父が祖とされている。
その3皇女全員が15代天皇の妃となり、皇子が皇継。
理屈から言えば、倭建命と共に戦う力があったのだから、すでに倭國の東のオハリで対外関係をすべて統括していたことを意味しており、祖はずっと古い天皇の縁戚の筈ではあるが。
実際、5、8、10代天皇と婚姻関係があると記載されているが、系譜上での相互位置がわからないから、すべてが祖と見なされたのだろうか。

もっとも、一番古い関係は2代天皇である。
他の多くの氏族と並んで、尾張国丹羽郡の祖が記載されている。場所的に木曽川の渡し辺りだから、現在の尾張イメージと違っており、もともとは東山道系勢力なのだろう。但し、それを窺わせる社は見当たらない。
 託美神社@丹波郡扶桑高尾南(ご祭神:日本武尊 大美和都根命)…工氏の社
尾張連としていないから、尾張は全般的には有力氏族が群居との判断か。

ただ、倭建命の時代に、尾張は東方統治の鍵となる存在へと変身したようである。海陸ともども、路は尾張に通じる型の政策を展開したのだろう。祖が地域的にもバラついていたことが、後押しすることになったかも知れない。
普通に考ええば、伊勢からの東方出兵なら、尾張の軍事力を借りるつもりがなければ、直接三河へ入って東方へというのがロジスティック的に便利だ。わざわざ、立ち寄り、同盟関係を約束する必要があったのだろうから、実態的には尾張軍の力で東征を行っていた可能性さえあろう。
ただ、帰還はいかにも東山道という印象を与える。

しかし、何と言っても尾張勢力の存在感というか、影響力の大きさを見せつけるのは26代天皇との婚姻関係であろう。2皇子が皇嗣になったのだから。おそらく、皇統断絶の危機に直面し、地方に居住する係累(品太王五世孫@近淡海國)を擁立した立役者だろう。表に出ないだけで。

この26代天皇御陵は三島之藍御陵で、比定地は今城塚古墳@高槻家新。その相似形が存在し、2/3型は宇治二子塚古墳@宇治木幡で、1/2型が味美二子山古墳@春日井二子と見られている。この味美だが、180もの古墳があったとされるから、一大勢力が存在していたのは間違いない。しかも、東海全体で最大規模の断夫山古墳@熱田台地とほぼ同時期出現と推定されており、一帯で強大な力を持っていたと考えてよさそうである。
春日井は地勢的に大規模水田開発に向いた地であるから、当時としては圧倒的な経済基盤で政治経済を動かしていたということになろう。

ただ、それはどうも長く続かなかったようである。「古事記」末の時代、尾張は小張にされてしまった。

神倭伊波礼毘古命/神武天皇
└┬△富登多多良伊須須岐比売命
日子八井命
┼┼神八井耳命
┼┼┼②神沼河耳命/綏靖天皇(意富臣 小子部連 坂合部連 火君 大分君 阿蘇君 筑紫三家連 雀部臣 雀部造 小長谷造 都祁直 伊余國造 科野國造 道奧石城國造 常道仲國造 長狹國造 伊勢船木直 尾張丹羽臣 嶋田臣等之祖也)
      …尾張国丹羽郡

御真津日子訶恵志泥命/孝昭天皇
└┬▲余曽多本毘売命(尾張連先祖 奧津余曽の妹)
├┐
天押帯日子命
┼┼大倭帯日子国押人命/孝安天皇

大倭根子日子国玖琉命/孝元天皇
└┬△伊迦賀色許売命(内色許男命の娘)
比古布都押之信命(祖:膳臣)
└┬▲葛城之高千那毘売(尾張連等祖 意富那毘の妹)
┼┼味師内宿祢(祖:山代内臣)

御真木入日子印恵命/崇神天皇
└┬▲意富阿麻比売(尾張連祖)
├┬┬┐
大入杵命(祖:能登臣)
┼┼八坂之入日子命
┼┼┼沼名木之入日売命
┼┼┼┼十市之入日売命

伊久米伊理毘古伊佐知命/垂仁天皇@磯城之玉垣宮

└┬△氷羽州比売命(旦波比古多多須美知宇斯王の娘)
│├┬┬┬┐
│○印色之入日子命
大帯日子淤斯呂和気命
┼┼○大中津日子命(祖:山辺別, 三枝別, 稲木別, 阿太別,
┼┼┼││   尾張国三野別
┼┼┼││   , 吉備石无別, 許呂母別, 高巣鹿別, 飛鳥君, 牟礼別)
┼┼┼△倭比売命(伊勢大神宮 拝祭)
┼┼┼┼若木入日子命

   尾張國風土記[中卷]曰:
   丹羽郡吾縵郷
   卷向朱城宮御宇天皇垂仁世
   品津別皇子 生七歲 而 不語
   傍問群臣 無能言之
   乃後 皇后夢 有神告曰:
   「吾 多具國之神 名曰天甕津姬阿麻乃彌加都比女 吾未得祝
   若為吾宛祝人 皇子譽津別能言 亦是壽考」
   帝 人覓神者<日置部等祖建岡君>卜食
   即遣覓神時
   建岡君到美濃國花鹿山 攀賢樹枝 造縵誓曰:
   「吾縵落處 必有此神」
   縵去落於此間
   乃識有神 因豎社 由社名里
   後人訛言吾縵阿豆良里也  [「尾張國風土記(逸文)」吾縵郷]

└┬△佐波遅比売命(沙本毘古命の妹)
○品牟都和気命/本牟智和気御子
 <二俣小舟>尾張相津之二俣椙
 <取鵠>木國⇒針間國⇒稻羽國⇒旦波國⇒多遲麻國⇒淡海國⇒越三野國⇒尾張國⇒科野國⇒高志國⇒和那美之水門

大帶日子淤斯呂和気天皇/景行天皇
<平遣 東方十二道之惡人等・・・倭建命>
因此思惟 猶所思看吾既死焉 患泣罷時
倭比賣命"草那藝劍"📖
亦賜御嚢 而 詔「若有急事 解茲嚢口」
故 到
尾張國 入坐
尾張國造之祖 美夜受比賣之家
乃雖思將婚 亦 思還上之時將婚 期定而
幸于東國 悉 言向和平山河荒神 及 不伏人等
  :
  :
還來
尾張國
入坐先日所期
美夜受比賣之許

   尾張國風土記曰:
   熱田社者 昔 日本武命 巡歴東国還時
   娶尾張連等遠祖宮酢姫命
   宿於其家 夜頭向厠 以随身剣 掛於桑木 遣之入殿
   乃驚 更往取之 剣有光如神 不把得之
   即謂宮酢姫曰
   此剣神気 宜奉斎之 為吾形影因以立社
   由郷為名成   [「尾張國風土記(逸文)」熱田社]


   風土記:
   日本武尊征東夷 還到當國
   以所帶劍藏于熱田宮
   其劍 原出於八岐巨蛇尾
   仍號尾張國  [「尾張國風土記(逸文)」尾張國號


大帶日子淤斯呂和気天皇/景行天皇
└┬△八坂之入日売命(八尺入日子命の娘)
├┬┬┐
[太子]若帯日子命/成務天皇
┼┼[太子]五百木之入子命
┼┼│○押別命
┼┼五百木之入日賣命
┼┼
┼┼
┼┼┼┼●建伊那陀宿祢(尾張連祖)
┼┼┼┼└┬△n.a.
┼┼└┬──△志理都紀斗売
┼┼┼品陀真若王
┼┼┼└┬△n.a.
┼┼┼┼├┬┐
┼┼┼┼高木之入日売命
┼┼┼┼│△中日売命
┼┼┼┼││△弟日売命
┼┼┼┼││└─┐
┼┼┼┼│└┐
品陀和気命/大鞆和気命/応神天皇
└┬──┘
│├┬┬┬┐│
│○額田大中日子命
大山守命
┼┼伊奢之真若命
┼┼┼妹大原郎女
┼┼┼┼高目郎女
┼┼┼┼┼
└┬────┘
│├┬┐┼┼┼┼
│△木之荒田郎女
大雀命/仁徳天皇
┼┼根鳥命
┼┼┼┼┼┼┼
└┬──────┘
├┬┬┐
阿倍郎女
┼┼阿具知能三腹郎女
┼┼┼木之菟野郎女
┼┼┼┼三野郎女

哀本杼命(品太王五世孫@近淡海國)/継体天皇
└┬▲目子郎女(尾張連等祖 凡連の妹)
├┐
廣國押建金日命/安閑天皇
┼┼建小廣國押楯命/宣化天皇

沼名倉太玉敷命/敏達天皇
└┬㉝豐御氣炊屋比賣命/推古天皇
├┬┬┬┬┬┬┐
靜貝王/貝鮹王
┼┼竹田王/小貝王
┼┼┼小治田王
┼┼┼┼葛城王
┼┼┼┼┼宇毛理王
┼┼┼┼┼┼小張王≒尾張皇子
┼┼┼┼┼┼┼多米王
┼┼┼┼┼┼┼┼櫻井玄王

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