→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.12.27] ■■■ [360]13代フィクション論に拘る必要なし そういうと欠史と呼ばれる期間の話と、相場が決まっているが、ここで取り上げるのは13代。考古学的に見て、実在した証拠はないそうだ。 それは何も学んだことのない素人からしても、至極、当たり前の結論と言えよう。系譜記載はあるものの、極めて情報量が乏しく、存在感にえらく乏しいからである。それに宮地がそれらしく映らないし。 📖志賀高穴穂宮 しかし、「古事記」を読もうと言うならこれほど無意味なものの見方は無いと言ってよかろう。その辺りについて書いておきたい。 そもそも、この天皇の名前部分は"空っぽ"。 若帯日子天皇とされているのだから。 "若"にさしたる意味はなく、それこそ"老"に当たるモデルが存在しておりますという程度。先代の"大"に対応しているだけだろう。 次の"帯"は、なんらかの一連性を感じさせる王権を示す用語だ。先代から引き継いでいるにすぎない。しいて言えば、呼び名の核はこれのみ。 "日子"に至っては、皇孫であれば珍しくも無く、天照大御神系の彦称と言うしかあるまい。 それに、"天皇"が付く訳だ。 先代名は大帯日子淤斯呂和気天皇で、帯日子系での、別≒和気の扱いということになっていそう。"大"きな存在感を見せた天皇なのだろうが、IDは《淤斯呂》があり、"空っぽ"ではない。 こんなことは初めて読んだ瞬間に誰でもが気付くことでは。見方によっては、倭建命の天皇外しかと思えるような系譜であるし。・・・ [10]"所知初國御眞木天皇" 天下太平・人民富榮 │ [11] │ [12]大帯日子淤斯呂和気天皇 ├───┐ 倭建命 [13]若帯日子天皇 │<《古市古墳群》《百舌鳥古墳群》時代突入> [14] │ [15]"八幡神" │<下巻> [16]"聖帝" ただ、弟財郎女(穂積臣らの祖 建忍山垂根の娘)との婚姻関係が記されており、和訶奴気王が誕生しているとのことで、おそらく穂積臣をバックボーンにした継承者が存在したに違いないと推定したのだと思われる。 ・・・重要なのは、何故に、事績もほとんどわからないのに天皇と認定したのかという点。天皇と判断する根拠は何かがはっきりしないのに、実在性云々もなかろう。 要するに、天皇という概念が"空っぽ"。 換言すれば、国史プロジェクトチームが、若帯日子皇子を天皇とみなした理由がよくわからないということ。 少なくともわかっているのは、有力皇子の倭男具那命あるいは五百木之入日子命が皇嗣ではなかったこと。そうなると、ほとんど事績の記憶が残っていないものの、穂積臣との婚姻関係がある以上、若帯日子(天皇)以外に該当皇子は有り得ないということでは。 そんな風に考えるのは、12代の宮である纒向之日代宮と違って、大和から遠い近淡海之志賀高穴穗宮とされており、行宮然とした気色だからだ。 大和地区と違って、大型古墳は存在しているとは言い難い地であり、強靭な経済基盤がある勢力が控えているとはとうてい思えない。それに、御陵を近淡海に置いている訳でもない。どうしてこのようになるのだろう。 但し、取るに足らぬ事績しか無いという訳ではない。 先代は御子の数がとてつもなく多かった訳だが、皆、王として処したとされる。後継天皇は、地方統治の仕組みを大きく変えたようだから。・・・ 定賜 大國小國之國造 亦 定賜國國之堺 及 大縣小縣之縣主 也 ・・・日本の組織風土として、時にみかけるような即位スタイルと言えまいか。 目立った成果を上げることに血眼になる時代のようだが、それは同時に熾烈な皇位継承争いを抱えているとも言えよう。力で勝者が決まると思いきや、それが上手く運ばなかったため、そこから一歩引いて過ごしていた皇子に御鉢が回って来たのである。 従って、単なる皇子イメージしかない。実際、為政者としては、淡々と、既に敷かれていた路線に則って官僚を動かし、地方統治制度の施行を進めたようだ。系譜から見て、空位を避けるために即位したとの姿勢を貫いた可能性も高い。そうなると、一般の宮と違い、有力な勢力の拠点の行宮を転々というのが実像かも。結局のところ、当たり障りのない行宮が宮として認知されることになる。 そう感じるのは、御陵造営まで、中立的な振る舞いに徹していたようだから。新地域を設定したのである。 📖下巻に記載の国造の祖 KEY:☚「先代旧事本紀」巻十国造本紀に志賀高穴穂宮/成務天皇([13]若帶日子天皇)の御世との記載 ---畿内--- 大倭国造__…倭国造❶ 闘鶏国造 葛城国造 山城国造__…山代国造● 山背国造☚ 凡河内国造_…凡川内国造● (和泉国)__…子部連❶ (摂津国)__…坂合部連❶ ---東海道--- 伊賀国造☚ 伊勢国造☚ 島津国造☚ 尾張国造☚ 三河(参河)国造☚ 穂国造___…三川之穂別❾ 遠淡海国造_…遠江国造●☚ 久努国造 素賀国造 盧原国造__…五百原君❼☚ 珠流河国造☚ 甲斐国造__…甲斐国造❾ 師長国造☚ 相武国造☚ 知々夫国造 无邪志国造_…无邪志国造●☚ 胸刺国造__…牟邪臣❺ 阿波国造☚ 長狭国造__…長狭国造❶ 須恵国造☚ 馬来田国造_…馬来田国造●☚ 上海上国造_…上菟上国造●☚ 菊麻国造☚ 伊甚国造__…伊自牟国造●☚ 武社国造☚ 千葉国造 印波国造☚ 下海上国造_…下菟上国造●☚ 筑波国造☚ 新治国造☚ 茨城国造__…茨城国造●☚ 仲国造___…常道仲国国造❶☚ 久自国造☚ 高国造☚ 道口岐閉国造…道尻岐閇国造● ---東山道--- 淡海国造__…近淡海国造❺☚ 安国造___…近江安直❾ 額田国造☚ 三野前国造_…尾張國之三野⓫ 本巣国造__…三野国本巣国造❾ 牟義都国造 三野後国造☚ 木蘇国造 斐陀国造☚ 科野国造__…科野国造❶ 洲羽国造 上毛野国造_…上毛野君❿ 下毛野国造_…下毛野君❿ 那須国造 白河国造☚ 石背国造☚ 阿尺国造☚ 道奥菊多国造 石城国造__…道奥石城国造❶☚ 染羽国造☚ 信夫国造☚ 浮田国造☚ 伊久国造☚ 思国造☚ ---北陸道--- 若狭国造__…若狭耳別❾ 角鹿国造 三国国造 高志国造 江沼国造 加我国造 羽咋国造__…羽咋君⓫ 能等国造__…能登臣⓫ 伊彌頭国造 久比岐国造 高志深江国造 佐渡国造 ---山陰道--- 丹波国造 但遅麻国造_…多遲摩國造❾ 二方国造 稲葉国造 伯岐国造 出雲国造__…出雲国造● 針間国造☚ 石見国造 意岐国造 ---山陽道--- 明石国造 針間国造☚ 針間鴨国造☚ 吉備中県国造 大伯国造 上道国造__…吉備上道臣❼ 三野国造 笠臣国造__…笠臣❼ 下道国造__…吉備下道臣❼ 加夜国造 吉備品治国造…吉備品遅君❾☚ 吉備穴国造_…阿那臣❺ 阿岐国造☚ 大島国造☚ 周防国造__…周芳国造● 波久岐国造 都怒国造__…都奴臣❽ 阿武国造 穴門国造 ---南海道--- 熊野国造☚ 紀国造___…木国造❽ 淡道国造 粟国造 長国造☚ 讃岐国造 小市国造 怒麻国造 久味国造__…(久米直)●・❶とは異なっていそう。 伊余国造__…伊余国造❶☚ 都佐国造☚ 波多国造 ---西海道--- 筑志国造☚ 豊国造___…豊国別⓬☚ 宇佐国造☚ 国前国造__…豊国国前臣❼☚ 大分国造__…大分君❶ 比多国造☚ 竺志米多国造☚ 阿蘇国造__…阿蘇君❶ 火国造___…火君❶ 葦北国造 天草国造☚ 日向国造__…日向国造⓬ 大隅国造 多褹島造 壱岐国造 上県国造__…津嶋県直● 下県国造 (末羅国造)☚ (葛津立国造)☚ (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |