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■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.18] ■■■
[382]「古事記」の 韓国は何処か
邇邇芸命が天降りした地は、竺紫日向之高千穗にある岳であるが、笠紗岬に移ることになる。
ここで出て来る、筑紫と韓国という地名が何処を指すのか、最初に直面する難題だ。・・・
先ず、筑紫の方だが、北九州地区の地名でありながら、九州全体の名称にも使うと記載されているため、混乱は避けられない。この名称を使う時はどちらを指すのか割註してもよさそうに思うが、そうしないところを見ると自明ということなのだろうが、現代人には無理である。それでも、全体観から判断すれば、高千穂宮は南九州しかありえそうにないから、勝手に筑紫の指す地を決めることができる。
📖高千穂宮(2:日向国と薩摩国)
しかし、韓国となると、どうにもならない。現代人にすれば、朝鮮半島の地ということになり、南九州でのストーリーと見なしている以上、その核である地、笠紗岬が"向韓國"の筈はないからだ。しかたなく、"眞來通"で潮流でそちらに向かうと解釈するしかない。その場合、九州から大陸方面へ渡航出発に向いた地(例えば、薩摩半島北西端の野間岬)と言う漠然とした記載なら、わからないでもないが、朝鮮半島を限定した行先にするのは、無理があろう。
と言って、玄海灘の話とはとうてい思えないし。
結果、韓国の意味を、漠然とした大陸と読み替えることで、納得するしかないとなりがち。
本当にそれでよいのか、少々時間を割いて検討してみることにした。

と言うことで、該当箇所を引用しておこう。・・・
        (ルビは音と指定されている箇所)
 [詔]<天津日子番能邇邇芸命>
 [而]
 [離]天石位(≒磐座)
⇒[押分]天之八重[やえ]多那[たな](棚)
 [而]
⇒[伊都能[いつの](厳の)]知和岐知和岐[ちわきちわき](道別き〜)[[]]
[於]天浮橋
宇岐士摩[うきしま](浮島)[[](<あ>り)]…ukishima-ari
⇒[蘇理多多斯[そりたたし]](反り立たし)[[]]
⇒[天降坐][宇]筑紫日向高千穗久士布流[くしふる](奇しふる)多氣[たけ](岳)
   …ここでの筑紫は九州島か。
 :
⇒[於是詔之]
 「此地者向韓國 眞來通
  笠紗御前(岬)
  [而]
  朝日直刺國
  夕日日照國 [也]
  故 此地甚吉 地」[詔]
 [而]
[於]底津石根宮柱布斗斯理
 [於]高天原 氷椽多迦斯理
 [而]
⇒坐[也]
 :
 :
 [於是]<天津日高日子番能邇邇藝能命>
 [於]笠紗御前(岬)
 [遇]<麗美人>
 :
 :
 :
 :
 <日子穗穗手見命>
 [坐]高千穗宮 [伍佰捌拾歳]
 [御陵者 即在] [其]高千穗西[也]
 :
 :
 :
 :
 <~倭伊波禮毘古[いわれひこ]命> [其]伊呂[いろ]兄<五瀬命>二柱
 [坐]高千穗
 [而]
 [議云]
 「坐何地者平聞看天下之政 猶思東行
  即自日向發幸行筑紫
   …ここでの筑紫は北九州の国名か。

南九州に居て、そこから韓国に向かうという記述は、常識的には訳がわからぬ。その上、「古事記」の記載方針から考えても理解が極めて困難である。東シナ海を廻る国際政治情勢については一切触れず、中華帝国の存在すら無視しているにもかかわらず、上巻に韓国が登場してくるからだ。にも拘わらず、三韓(南東の馬韓[後の百済], 北西の辰韓[後の新羅], 馬韓に接する弁韓[加羅])の存在を思わせる記載は皆無。ところが、後世に樹立された国家、百済と新羅との関係はいかにも重要そうに描かれていてバランスがえらく悪い。そう感じさせるのは、明らかに倭国と紐帯があった任那を無視しているからでもある。

結局のところ、唯一登場する"韓国"という語彙は、大陸を意味する用語"カラ"を文字化したとみなすことで、矛盾感覚を払拭させるしか手はない、となる。このことは、中華帝国あるいは大陸全体を想起させる地名表記は使えなかったというのとほぼ同義。利ありということで、朝貢外交をすすめて、日本列島と半島一部の統治権のお墨付きを頂戴した倭国状況を肯定してはならぬという朝廷の方針が存在していたことになろう。
そもそも、漢字を公的に使って文書統治を始めるということは、中華帝国の属国となることを意味する訳であり、それは面白くないが、現実を考えれば朝貢外交の利は巨大であるから、倭国はその狭間で方針が揺れ動いたことだろう。
「古事記」成立とは、まさに、漢語による全面文書化に踏み切った時の、非文書時代の記録を残そうとの意志そのものだから、中華帝国の影を感じさせる文字表記はしないとの意思を籠めた表現が"韓国"と解釈する訳だ。
それが当たっているか否かはっきりしないものの、それ以外に想い付かないから、まああヨシといったところか。
・・・
【韓=龺/倝[カン]+韋[=なめしがわ(剣袋用)]】
       ◇ 日始出光倝倝也 从旦㫃聲 凡倝之屬皆从倝
         ("龺"は部首とされていない。漢和辞典用には朝偏とするが。)

  [呉音]ガン
  [漢音]カン
  [唐音]ハン
  [訓音]カラ
  [訓] いげた…井垣@「説文」 (≒榦/幹:みき/カン)
【唐=口+庚】
  [呉音]ドウ
  [漢音]トウ
  [唐音]タン
  [宋音]タン
  [訓音]から
  [訓] もろこし
  [名乗]かろ
【漢=氵/水+𦰩】
  [呉音]カン
  [漢音]カン
  [訓音]から
  [訓] あや
  [名乗]おとこ

半島を、"韓"と呼ぶのは当たり前と考えがちだが、「山海経」海内経では東海之内 北海之隅の国としてと朝鮮が記載されている。従って、韓という名称は、かなり後世に生まれたと考えた方がよかろう。
一方、半島を"カラ"(加羅/駕洛/加耶/伽倻/加良/駕洛)と呼んだ文献上の初出は414年。・・・
國岡上廣開土境平安好太王碑文」に《【任那】加羅》の記載。
  官兵方至 倭賊退□□□□□□□□來背息 追至任那加羅 從拔城 城即歸服。
ところが、「後漢書」東夷伝では、半島国家としては"狗邪"韓国しか記載されていない。このことは、中華帝国内の戦国七雄のうちの弱体国"韓"(前230年滅亡)の逃亡先である蛮族国家という見方があったことを示していそう。まともな名称にするなら金海韓国だ。
名前はどうあれ、中華帝国の概念からすれば、韓国は天子御下賜の漢字を使用する国と見なされ、独立した国家名の"朝鮮"とは違い、服属国化したことを意味しよう。
文字"韓"を"カラ(=唐/韓/漢)"と呼ぶのは、どうも倭国の慣習のようで、概念的には中華圏を意味しているようだ。そのなかの、唐であり、百済であリ、新羅ということになる。

そもそも、本来的に、韓国という国家があった訳ではない。

「魏書」巻三十 烏丸鮮卑東夷傳 東夷 韓では、楽浪郡[後に高句麗が併合。]の南部を分離した帯方郡以南の地を指しており、3種が存在とある。(南東の馬韓[後の百済], 北西の辰韓[後の新羅], 馬韓に接する弁韓[加羅])3国は民族的出自が違うことがわかっていたようである。

中華帝国が衰退すると、独立志向が高まり、中華的表記の1文字"韓"に冠辞をつけた国名から脱皮し、日本のように2文字化を図ったようだ。
しかし、それは体面以上ではない。自らは隷属打破・独自性発揮と考えるが、客観的に見ればあくまでも儒教圏内堅持であり、国家総体としての文化的独自性は極めて薄いからだ。と言うか、儒教下での国粋化は、その方向に邁進するしかない。
大陸であるから、非朝貢国化など望外というか、危険極まりないから、儒教国家化をより深化させるしか道はない。例えば、仏教を載せた儒教国家として、中華国家以上の先進性を発揮することに注力することになる。(中華帝国は王朝転換是認。衰退王朝打倒は推奨すべきこと。一方、ローカルな半島国であろうが、儒教的に最高峰を極め、武力的最強国家になれれば、その王が中華帝国の新王朝の天子に推戴されて当然となる。)

しかるに、後世の半島の為政者は、国家名としての韓文字使用を復活させる。独立性誇示で敬遠したものの、儒教統治深化で逆に賞賛すべき名称とされるようになったのであろう。
その理由はおそらく単純。半島には古代文書が全く残っていないので、漢籍に"姫姓之国" として邑名が存在していたため、韓文字の意義が見直されただけ。儒教的見地から宗族祖地ありとなるからだ。
そうなれば、中華帝国における漢語-漢族観(漢民族とは政治的に定義された概念で、所謂"民族"には該当しないが、表立ってそのことを口に出す人はいない。)の援用で、異なる出自の3部族を統合し小中華の儒教国家化が図れ、政権にとってはこれほど好都合のことはなかろう。

・・・太安万侶のたった一度の"韓国"使用は、そのような儒教観を示している可能性がある。と言うか、そのような儒教観を持つ読み手からすれば、そのような解釈になってしまう。

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