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■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.24] ■■■
[388]「古事記」はアバンギャルド的なのか
「日本書紀」とは歴史書であって、行政文書ではないのは自明だが、それが誰にでもわかるのは、内容もさることながら、書式が中華帝国で規定されている史書の様式に則っていること。
「古事記」は全く違う。
内容が似ているところがあるものの、様式は史書の原則的様式を大きく逸脱している。
内容にしても、パッと見、性格が全く違う4種が同居しているという、常識では考えられない体裁。
 【上巻】次元が異なる神話の集成再構成集
 【中巻】史書風事績集
 【下巻[16-23代段]】歌物語オムニバス
 【下巻[24-33代段]】(無譚)


これらの根底として、全巻を通して記載されるのは、臣の祖との関係の註付きの"皇統譜"である。どこまで当たっているのかは推定不能だが、34代までの、日本国全体の氏族の成り立ちを示していることになる。その上に、上記3種の"神話"、"事績"、"歌物語"が乗っているのだから、これらは明らかに系譜と不可分な話として伝承されたことを意味しており、後世概念の"フィクション"とみなすべきではなかろう。

何回も書いていることだが、この様な構成の歴史書はありえない。

そもそも、献呈先は、作成詔を発した天皇だが、仏教取り入れに熱心であると目されている。にもかかわらず、仏教伝来に触れない歴史書があるわけがなかろう。
又、史書同様、形式的に、天皇段が順番に並べられてはいるものの、当該天皇の事績を欠くのに皇嗣でもない皇子の事績満載など、およそ考えにくかろう。
しかも、形式を揃えた段構成にしているというのに、異なる段に記載すべき内容を入れ込むことで、普通の編纂とは全く異なることを示しており、どうしてわざわざそんな面倒なことをするのかわからない。
なかでも圧巻は、皇統譜上意味はなさそうで、当該段の天皇統治とも無関係としか思えない、新羅の天日矛の話が何の脈絡も無く挿入されていること。

こうして見てみれば、古今東西、このような書が他に存在しているとは思えない。実際、非漢文での<続古事記>的な試みがなされた形跡は皆無だし、序文からすると、太安万侶もそんなことを期待していたようには思えない。と言うか、平安京に移る辺りですでにお蔵入りとなっており、社会に対して何の影響力もなき書と化していたのが実情。
その第一の理由を、小生は、儒教型官僚統治文化に反する内容があるので忌避されたと見るが📖、公的書類の漢文読み書き能力が必要となり、文芸的鑑賞対象まで漢籍になってしまえば、読まれなくなるのは致し方あるまい。
それに、表音文字が使われているのに、漢文読みでは無いにもかかわらず漢文的表記も同居する文体が採用されており、とてつもなく読み辛いから敬遠されて当然だろう。

繰り返すが、江戸末期まで読もうとする人などほとんどいなかったのである。にもかかわらず、実際には、神話を記載している最古の歴史書ということで、読みたがる現代人がとてつもなく多いのだが、それは無意識的に社会的要請を感じているからかも知れない。
このことは、上記の一部だけにハイライトを当て、他を無視する姿勢で読むのが当然視されることになる。(「酉陽雑俎」を奇書として紹介するのと全く同じ。)

要するに、上記で示したように、「古事記」はとんでもなく不可思議な構成なので、一書として、その全体像を語ることが難しすぎ、"わかりません"で済ませないから、こうなるのであろう。・・・
現代なら、さしずめ、なんらかの尖った思想を秘めたアバンギャルド的な作品か、出鱈目編纂で作成されたお遊びの書ということになってしまいかねないのだから。

小生は、「古事記」とは、口誦歌謡がコミュニケーションの核だった頃の時代精神を、文字社会に伝えるべく、塾考の上で全体構想を練り上げた作品と見ている。従って、見かけは、上記のように4部が別々に並んでいるが、巻頭から巻末まで一貫した考えて貫かれている筈と睨む。

もちろん、勅命に対応して成立した書だから、「天皇紀」としての体裁をとることでの一貫性はあるもの、その情報を伝えるだけなら漢文で十分。そこにこの作品の命があろう筈がない。33の天皇代設定は「国史」と同じではあるものの、補完的に纏められた形跡は全くない。だからと言って、「国史」との齟齬の存在を、対抗意識と見なすべきでもなかろう。伝えたいことが全く異なるので、交わる術が無いだけのこと。

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