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■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.23] ■■■
[387]「古事記」は恋歌収録で焚書化リスクに直面か
「万葉集」は「古事記」を引用しているが、それは、古代官能的センスを隠さずに文字化した作品群を"一応は"伝承していることを示すことにあったと言ってよいのでは。
その趣旨は、「古事記」の文字化は画期的であり、敬意を払わざるを得ないものの、官能的叙事詩の息吹を伝えようという意向には同意できないということだと思われる。要するに、「古事記」の姿勢とは180度反対方向の抒情詩追及(脱歌謡精神・脱官能表現)を進めることになったということ。
📖「万葉集」の恋歌は脱「古事記」志向 📖「万葉集」軽皇子歌の扱いが違う理由

驚くような転換が図られたのではなく、おそらく、その方向に進まざるを得なくなったと見通したらこそ、どうしても稗田阿礼と一緒になって「古事記」を著して、後世に残しておきたかったのだと思われる。インテリなら、そう考えるのは当たり前であるし、おそらく「古事記」の焚書化はいずれ到来するから、懇意な仏僧に伝承を託した筈と考える。
間違えてはいけないが、焚書化するのは仏教勢力ではなく、"伝統"祭祀勢力である。朝廷統治を進める上では、官能的歌謡を捨て、祭祀全体を衣替えする必要があったということ。「万葉集」とは、その衣替えのための手引きともいえよう。

官能的な歌謡は倭の伝統だったが、これを表に出せば、中華帝国では即蛮族文化とみなされる。留学帰国者によって、それを理解すれば、儒教的統治システム導入の意思決定がなされた以上、すべての祭祀で叙事歌謡を捨て、抒情定型歌に代替していく必要があるのは自明と言えよう。
「古事記」は、儒教型統治の仕組みが入ったら、邪魔以外の何者でもなかろう。特に祭祀役にとっては存在そのものが、衣替えの桎梏である。

ここらの意味がおわかりだろうか。

いくら島国とは言えども、震旦の儒教統治標準から外れていると見なされ、蛮族扱いされて殲滅対象にされてはたまらぬ、ということ。
従って、以後、中華帝国が張り子の虎と見られていることに気付いた江戸末期まで、「古事記」が表に出ることは無い。
ところが、西洋の統治標準は違っており、脱中華基準となり、「古事記」活用へと大転換を遂げる。焚書にされかねない書が、突然、「神典」化されたのである。

このお陰で、軽皇子の禁断の愛の話が表立って語れるようになった。「古事記」の中国語翻訳の口火(「『古事記』中的恋愛故事」@1925年)を切ったのが魯迅の弟 周作人であることが、それを象徴していよう。
儒教の宗族第一主義の下では、家族制度は絶対的なものであり、「詩経」の恋愛歌とはその制度的抑圧のなかでもがき苦しむ声をあげているに過ぎないが、「古事記」には自由で官能的な愛を謳歌する姿が描かれているからだ。
儒教社会ありきなので、個人の精神レベルまで官僚統制が入り込む中華帝国とは全く異なり、男女の恋愛がすべてを凌駕するのである。
女鳥王に至っては、求愛を拒絶し、恋人一途の姿勢を露骨に示しただけでなく、天皇に対する謀反心を平然と表明。そして、愛を貫いて死んでいくのである。
これこそ文芸の最高峰と見たからこその翻訳と言ってよかろう。

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